三十の十
最初に丘が見えなくなった。次に木立がなくなり、鳥の鳴き声が消え、風が止み、空は雲に覆い尽くされ、太陽が微笑みかけるのをやめた。勾配すら消えた。この草原で最後に残ったのは道と扇だけだった。わらべ唄は〈鉛〉がつくりものの人間〈ほむんくるす〉であることを薄っすら指し示している。もし、自分がなにかの実験施設のガラス管のなかで生まれた命だったら?
「関係ない。おれはおれだ」
太陽が陰になったのに青い空の下、その教会はあった。小高い丘の上に立つ石造りの教会。まわりには信者の家は一軒もなく、墓もない。風も光もない。ただ、教会がひとつあるだけだ。教義からも救いからも見捨てられた神の子の家。重く塩のにおいがする扉を押し開けてみると、まるで太陽がふたつあるかのように左右のステンドグラスから光が差して、信徒席のあいだを祭壇へ向かって走る、擦り切れた赤い絨毯に聖人の影を落としていた。影のなかの聖人たちは大勢の人間が生き残れない災厄のなかで生き延びるコツを心得たかのように笑っていた。ステンドグラスには羊をかかえた老人や肩から羽根の生えた天使、生きながらローマの君侯に茹でられた殉教者が描かれている。彩られた殉教者の光。〈鉛〉の心をつくるのにこれ以上の教材はない。彼らはみな教えを守るために死んでいった功績を称えられていた。だが、扇が見たかったのは目の前の子どもを助ける聖人だった。世界をつくった神だとかではなく、いま目の前にある不善に対して戦った人間の光と影が見たかった。聖人は神秘主義に走り、現世を厭世的にとらえ、死んだ後の世界に賭ける。その点でいうと、寿と千鶴は聖人たちが欲したものを手に入れた。だが、そこに行くまで、ふたりにはつらい道のりがあった。
祭壇に近づくにつれ、幻聴のようにわらべ唄がきこえてきた。笑うような泣くような不思議な声は祭壇の後ろ、赤ん坊を抱く女の像からきこえてきていた。光が教会を満たしていく。こんなやり方で現実を破壊されるのは初めてだ。逆原やコスモポリタン・ホテルの地下室とは違った導き方に身構えると、唄がきこえなくなった。だが、扇には自分が探しているものに近づいている確信があった。光が引いていくにつれて、暗い森の輪郭があらわれた。枝がこわばった手のように震えている。教会は廃墟となり、光は森の深みへ通じる道へと吸い込まれていった。野生の青い花が咲く木立のあいだを石を敷いた道が続いていて、歩くたびに靴の下で苔が潰れた。風は冷たく、金属のにおいがして、口のなかがざらついた。それにひどく渇いていた。樹々のあいだには冴えた青い池が見え隠れすることもあったのだが。
流れを追えない。だが、近づいている。流れ以外の何かが知らせているのだ。たぶん本能とか剣士のカンと呼ばれるもので、きっとこう叫んでいることだろう――馬鹿野郎! はやく戻れ! おれを殺す気か! だが、扇は自分を殺す気などさらさらなかった。彼は生きるために先へと進んでいるのだ。何も知らない子どもを井戸の底に閉じ込めるような真似は、いまこのときをもって、終わりにすべきなのだ。
森が尽きた。どこまでも広がる大地に丈のある年老いた桜が満開の花を咲かせている。
そして、〈鉛〉たち。殺すことを運命づけられた少年と少女が五十人近く、桜のほうを向いて立っている。だが、〈鉛〉たちは桜を見ているのではない。その根元にいるひとりの女を見ていたのだ。
女は振り向いた。顔立ちは整っているが、どこか魂の抜けたような微笑みがかかっていた。
「よく来てくれました。もう、大丈夫ですよ」
女は慈母のごとく腕をひろげた。




