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廓雲と扇の剣士  作者: 実茂 譲
最終話 廓雲と扇の剣士
606/611

三十の九

 次の日、正午を半刻過ぎたころ、左手に山があらわれた。形の崩れた白い山頂から下るにつれて、青みが強くなり、地平に達するころには山の輪郭は空のなかに溶けていた。反対側、道を挟んだ右側を見ると薄くたなびく白煙がいくつも流れ出している集落が見えた。

 草原のなかにポツンとある集落はオランダ風の破風を持つ洋風の民家が集まった村だった。てっきり茅葺に煙出しをつけた屋根が点々とし、気難しい顔の老人たちが鋳型に灼熱の鉄を流し込み、鉄器をつくる。そんな村を想像していたのだ。

 小さな洋館があり、宿屋の看板を出していたので、そこに部屋を取った。主人は話好きな男で、ここの鋳物師たちは錬金術を学んでいるのだと教えてくれた。

 扇は小首をかしげた。「おれの住んでる場所にはちんちろりんという遊びがあって、一部の博徒がこれを錬金術と呼んでいたんだが」

「そうじゃないよ、お客さん。ここの人たちは本物の錬金術士さ」

「どう違うんだ?」

「本物の錬金術士は鉛から黄金を作り出せるのさ」

「鉛から……それはすごいな。全員がそうなのか?」

「そう。全員だ。全員がまだ鉛から黄金を作り出すことには成功していない。それができていれば、わたしらはみんな大金持ちだ。宿屋は閉めて、一日じゅう釣りでもしてるさ」

「このへんでは何が釣れる?」

「池があってな。形のいい鮒が釣れる。それも馬鹿みたいに釣れるんじゃなくて、こう戦略を練らないと釣れない、人間さまの手札をよく知った手強い鮒だ。よく釣りは鮒に始まり鮒に終わるというが、あれは間違いなく終わりに釣る鮒だよ。あんたも釣りが好きなのかい?」

「それなりに好きだ。サツキマスを釣りに永良川にもいった」

「そりゃあ、それなりに好きとは言わんよ。極めてるよ」

 主人は錬金術士について、いろいろな伝説を教えてくれた。虎の子の金貨を鍋で熱したら黒焦げのカスになってしまった男、一生を干からびた池の底からソーダ灰を取ることに費やした男、自分が賢者の石をつくるのに必要な最後の金属だと思い込み金属が煮え立つ鍋に飛び込んだ男。

「結局、鉛から富や権力を作り出せたのは独裁者たちだけだったわけだ」

「やつらも鉛が煮え立つ鍋に飛び込めばいい」

「そのへんの制裁は都の連中にまかせるよ」

「ひとつききたいことがあるんだ」

「なんだい? 同好の士として、なんでも快くこたえようじゃないか」

「この唄について、知らないか?」

 扇が紙を渡す。その字を追っていくにつれ、主人の目は険しくなる。サツキマスを釣りにいく楽しみを分かち合える人間の気を害するつもりはなかったが、このわらべ唄が〈鉛〉につながる何かを意味しているなら、しょうがなかった。

「これは〈ほむんくるす〉の唄だ」

「ほむんくるす?」

「錬金術でつくる人間のことだ。鉛を金に変えるのと同じくらい難しい。これはその作り方の唄だ」

「じゃあ、この唄で、その〈ほむんくるす〉をつくることができるのか?」

「そうとは言わない。何事にも加減がある。切った刺身を米に乗せる。それだけきいて、寿司を職人みたいに握れるかい?」

「まあ、無理だな」

「この唄もそうだ。原料とつくり方は分かるが、さじ加減までは分からない」

「この唄を歌うことはあるか?」

「村ではあまり。必要なのは賢者の石であって、人造人間じゃあないんだ」

「そうか」

「だけど……十年くらい前かな。連れてこられた〈鉛〉が口ずさんでいるのをきいたことがある。女の子さ。まだ、このあたりが山だったころ。こんな解放的な草原じゃなかったころ。まったく大した地震でも起きないと、山が消えたりしないのに、笑かせてくれる国になったもんだよ。ヤマトは。それまでは笑えることなんてひとつもなかったがね。話が脱線しちまったから、戻そう。とにかくその少女はいまのわらべ唄と口にしていた。ただ、そばに機関の人間がいたから、それ以上のことは分からない。多分、南のどこかだ」

「なぜ南だと?」

「南からやってきたからだ。ここから南はひどく深い山林で修行僧ですら立ち入ることができなかった。そのせいかな。南には小さな教会があるという噂があった。ヤマトと言えば、寺だらけの国だから、確かに教会が立てられるとしたら、誰も立ち入れない山のなかだろうな」


 老将軍が甲板で暮れなずむ空を見ながら、撃たれたわびにもらった珍しい洋酒を手酌で飲んでいると、坊主頭の大江艦長がやってきた。

「悪い知らせと、いいのか悪いのか分からんがたぶんいい知らせがある。どっちからききたい?」

 老将軍は好きなおかずは最後に残しておく派閥の人間だった。

「悪い知らせを」

「革命政府から入った電信だ。……〈鉛〉の生き残りの隠れ家を見つけて、バラバラに吹き飛ばせとな。たぶん他の艦にもいってる命令だ」

 老将軍は壜をぐいと突き出した。艦長はひと口あおって返す。

「いいのか悪いのか分からんがたぶんいい知らせは?」

「客を連れてきた」

 舷側にかかっていた縄梯子からりんがひょっこり顔を出し、老将軍と目があった。梯子につかまったまま、取れる礼儀には限りがあるが、ぺこりとお辞儀をして、甲板に上がる。そのすぐ後ろからは積んでいる大砲を見れば、その艦にどんな質の火薬がどれだけあるのか分かってしまう火薬中毒者があらわれた。彼もぺこりとお辞儀をするが、そのとき火薬の入った試験管からほんの少しの火薬が漏れ落ち、空気中でバチバチ火花を散らせた。

「扇の知り合いか?」老将軍がたずね、りんの腰のものを指差す。「それはあいつの差料かたなだ」

 りんの腰には小伊豆と一緒に扇より預かった瑞典是永が差してあった。

「わたしたち、扇さんの――」

「それ以上言わなくても分かるさ。やつを探してるんだろ?」

「はい」

 老将軍はここに来るまでに起きたことや話したことを全部りんに教えた。そして、草原をゆく陸上艦が扇が探す〈鉛〉たちの隠れ家を吹き飛ばすよう命令を受けたことを教えた。全て教えた後で、南を指差した。

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