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廓雲と扇の剣士  作者: 実茂 譲
最終話 廓雲と扇の剣士
603/611

三十の六

 ヤマト遊郭が遠くに見えた。そして、その遊興の発する光を取りこぼさんとするがごとく、木造の陸上軍艦が十重二十重に囲んでいた。小舟に蒸気機関と車輪をつけ、〈酒〉の一文字行灯を艫にかかげた一杯酒屋がそのあいだをあちこち走りまわり、留守番役の航海士と水兵に酒とアテを売っている。

 六輪蒸気の迎え舟がやってくると、舳先に乗った丸っこい体の女幇間が扇子で自分の突き出た額を打ちながら、

「こりゃ、大江の艦長。とんとお見限りではございませんか。や、こりゃこりゃ」

 と、坊主頭の艦長に機嫌取りの口上を述べたてた。

「乗り出す大海 革新の嵐 叩きつけるは 軍刀サーベル きゃぷてん吠えれば 敵も逃げ出す やら剛毅かな。さっそくご案内しやすぜ」

 女幇間は艶話をしながら、足で操縦桿を踏み操り、迎え舟は丈のある野草や葦の浅い水場をかきわけながら、軍艦のあいだをすいすい抜けていく。似たような迎え舟がいくつも遊郭目指して走っていたが、どの舟も乗っている船頭と幇間は女だった。坊主頭の大江艦長は、

「知らねえのか? ヤマト遊郭は女だけの遊郭なんだぜ」

「ひょっとして、それは男が花魁やってる遊郭か?」

「そんな陰間趣味じゃねえって。花魁はもちろん女だよ」

 遊郭は惣門から男たちでにぎわっていた。茶屋を選ぶ前に自分の財布を矯めつ眇めつしている当世紳士、動乱のどさくさに大金を横領した歩兵少佐、祖父に連れられやってきた少年のような若旦那、本日学問を捨てたての漢学者。何人かは天原で見かけた遊びの通もいる。

 仲町の中央には真鍮製の機関が並び、笛を鳴らしている。そこに四階建て、五階建ての天原にも劣らない大見世がずらりと並んでいるが、その玄関前にいる妓夫太郎はみな女である。番頭新造と通すには歳を食っているが、かといって遣手婆になるほど歳はいってない女妓夫太郎たちは丹塗りの張見世と細目のあいだで目を行ったり来たりさせている初心な連中へ、ささっと望みの女を指差させ、それがだいたい太夫か昼三なのだが、そこをハイハイと受け取って見世の玄関上がらせて、後は遣手に引き渡す。もちろん、妓夫太郎に言った希望の女と遣手がつける敵娼あいかたは別の女である。これはどこの遊郭も同じだ。一見で太夫をつけるなんて、よっぽどのことではないとありえない。天原に初めてやってきた六代実篤に朱菊太夫がつけられたのはよっぽどのことであり、そして、筒袖権蔵とお登間がふたり一緒に敵娼をしくじったのもよっぽどのことだったが、なにより六代実篤の望みの相手が大夜だったというのが一番のよっぽどだった。

 人が多ければ情報も多く集まる。それはいいのだが、この華やかな雰囲気で〈鉛〉の居所をたずねることができるものだろうか? それこそ興が冷めるし、登楼あがってからそんなこときこうものなら用心番が出てきて、代はいらねえからとっとと出ていけと尻を蹴飛ばされるのがオチだろう。

「こんなところで〈鉛〉の情報が集められるのか?」

「まあ、まかせとけ。ほら、あの見世だ」

 見たところ、総籬。貸切るのに一万はかかる。お皿が一枚お皿が二枚のお菊が出るという皿屋敷が四万円で取引されたというから、それに比べれば安いものだと思うだろうが、実際貸切れば、それ芸者に祝儀だ、酒だ鯛だ、それ禿どもに一円札をばらまいてやるとなって、結局、総額はとんでもない額になり、お菊の幽霊も目をまわして倒れるほど。

 言葉を変えれば、この遊郭にはそれだけの活気があるということだ。二流三流の遊郭の大門を打ったところで目立つのはがらんとした空洞だ。一流どころを貸し切ってこその大尽遊びなのだ。

 妓楼は号を『カドろう』と称した。普通妓楼の玄関には門というものはないが、このみせには白木の門があった。遣手があらわれ、お待ちしてましたと一通りの挨拶をする。坊主頭の大江艦長はもう常連らしくすぐ座敷に案内される。だが、その前に

「なあ、おおき。こっちの若いのは座敷遊びに来たんじゃないんだ」

 と、扇の肩をバンと叩いた。

「あらまあ。大江さんもご冗談がお好きで。廓に遊びに来ないのなら、いったい何をしに来たのでしょう?」

さんに合わせてやってくれ」

 それをきいた遣手の顔から笑みが引くことはなかった。客の要望とそこに隠されたものをすぐ悟って、一切を取り仕切るからこそ、口うるさい老婆として花魁たちをいじめることが許されているようなものなのだ。

「はい。わかりました。それでは――おきん! こっちの若殿さまを傘のところに案内してやりな!」

「はーい!」

 扇は老将軍と視線を合わせたが、老将軍は肩をすくめた。好きにやってみればいいという意味だ。

 扇を案内しているお琴はくっきりした目鼻立ちで来年には振袖新造になるくらいの歳だ。自分がオモテからカエシのほうへと連れてこられているのは雰囲気や造りで分かる。仕出し屋や芸者が出入りをし、二階廻しはひょいとあらわれて、壁にかかった木札を確認するとオモテへ走り去る。そのうち乾いた木が打ち合う音がきこえてきた。最初は廊下のなかをカーンカーンと軽く響いてきたのだが、そのうちこれがジーンと痺れるような音になりだした。音には剣の気迫が重なっていた。

 扇が連れてこられたのは天井が低い剣術道場だった。そこにふたりの女が木刀で打ち合っている。ふたりとも紺の道着姿だが、防具はつけずに戦っている。力でも技でも背の高いほうの女が勝っていた。小柄な女は扇と同い年くらいでなかなか反撃の機会に恵まれなかった。出しうる限りの技を出し切っているのは明らかだ。あと数合打ち合えば、呼吸が途切れて、そこで決着がつく。だが、その顔は怯みやあきらめではなく、まるでこれから敵に斬りかかる奇襲隊士のような陽性の気迫にみなぎっていた。もし、流れが分かれば、すがすがしい水のひろがりのようなものを感じられたかもしれなかった。

 そのとき鈍い音がして、少女のほうが木刀を握ったまま膝をつき、左手で脇腹を押さえ、苦し気に息をついている。お琴はそこでふたりの剣士に近づき、客があることを告げた。背の高い女は頷き、道場の端にある井戸へ歩いていく。負けた少女は木刀を壁に打ちつけた鹿角にかけると、扇のほうへやってきた。

「いつ、脱走した?」

 扇がたずねると、少女は、去年、とこたえた。

「剣を見て分かった?」

「ああ。技は〈鉛〉のものだった。ただ――」

「ただ、なに?」

「気迫は違った。殺気はもちろん敗北が確定したときのあの捨て身でかかろうとする絶望、そういったものがきれいさっぱりなくなって、純粋な闘志に入れ替わっていた」

 少女はつい先ほど鳩尾に強打を食らったばかりなことも思い出させないほどの不敵な笑いをフンと鳴らした後、手を差し出した。

「傘。ヤマト、門ノ楼」

「扇だ。天原、白寿楼」

「あなたのことはきいたことがあるわ」

「ろくな噂じゃないだろう」

「そうね。でも、実物は噂できくよりずっと男前だった」

「世辞を言っても、渡せるものはないぞ」

「火薬中毒者は元気?」

 本物の恐怖を感じたときにあらわれる冷たい汗がいま、扇の背筋を伝い落ちている。

「……なんで、やつの名が?」

「あなたたちは最高の――なんて言った? 英語でふたり一緒に動く人のこと」

「……コンビか?」

「それ。最高のコンビだって」

 扇は早口でまくしたてるように噂の全てを否定しまくった。おれはやつのコンビの相方なんかじゃない。最高なんかじゃない。むしろ、おれはあいつに命を狙われている。火薬機関とかいう殺人機械の犠牲にしようとしているなどなど。

「わかった。わかったから、そう焦らないでよ」

「この恐怖は実際にやつに付け狙われないと分からない。そんなことは、まあ、どうでもよくないが、とりあえずいま話すことじゃない。おれが知りたいのは別のことだ。〈鉛〉の生き残りだ」

「……知って、どうするの?」

「探し出す。そして、やつらが馬鹿な真似をするのをやめさせる」

「自殺? それとも虐殺?」

「両方だ」

「こんなこと言いたくないけど、それは難しい。あなただって〈鉛〉をやめてからのこと、決して楽ではなかったでしょ?」

「楽ではなかったが、やってよかったと思ってる。それはそっちだって同じなはずだ」

「そうだけど……いまは状況が違う」

「状況?」

「わたしたちが〈鉛〉をやめて人間になろうとしていたとき、この国は独裁者たちのもので〈鉛〉はその道具として重宝された。誰も手出しができないまま、暗殺を重ねた。いま、独裁者たちはみな死に絶えた。解放された人たちが何を望んでいるか、分かるでしょ?」

「分かってる。実際、処刑されるのを見もした。だからといって、あきらめる理由にはならない。だから、なにか知っていることがあったら、教えてほしい。どんな小さなことでもいいんだ」

「……イモジガ流ス 何流ス 人ノ涙ト 妖カシノ 熱ク爛レタ 生キ胴ノ」

「なんだ、それは? わらべ唄か?」

「分からない。ただ、これをきいたことがある。〈鉛〉が集まっていた。機関の育成所じゃない。どこか別の場所。女の人がいて――あれは何だったんだろう」

「さっきの唄をもう一度頼む」

 扇は矢立てを取り出して、紙に歌詞を書き写す。

「生キ胴ノ、の先は?」

「覚えてない」

 どうしたものかと考えるが、手がかりとして考えるなら、わらべ唄は悪いものではない。唄というものはよく口ずさまれるし、その手の唄や言い伝えを集める民俗学という学問も最近起こりだしている。しかし、この途方もなく広い草原で唄の一部にすがって〈鉛〉たちを追うのにも限界がある。

 それで、またどうしたものかと考えたとき、銃声が鳴った。傘は脇差を片手に風のように走り、オモテを目指す。扇もその後を追った。見世のなかで銃をぶっ放す狼藉者がいるとお仕置きしたくなるのは用心番としての暮らしが長く続いたせいか。さて、問題の座敷に踏み込むと驚いた。例の坊主頭の大江艦長が銃口に紫煙が細く流れる回転式拳銃を手にしきりにスマンスマンと謝っている。謝っている相手は老将軍だ。右の太ももに銃弾が命中していた。

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