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廓雲と扇の剣士  作者: 実茂 譲
最終話 廓雲と扇の剣士
602/611

三十の五

 次の日の朝、扇は地響きに起こされた。手が刀に伸びたが、空振りし、持ってこなかったことを思い出す。老将軍のほうは六連発拳銃を手に廟の外へ出る。

 そこにあったのは帆船だった。一本マストの中型船に六つの車輪がついていて、十六ポンド砲が並ぶ砲甲板の上の舷側からはリボンに艦名を刺繍した水兵たちが顔を並べて扇たちを見下ろしている。

「艦長! 人を発見しました!」

 遠くから艦長と思しき男の声がきこえる。「どんなやつだ!」

「じいさんと若い男です!」

「どんなじいさんとどんな若い男だ?」

「そいつはきいてみないと分かりません!」

「じゃあ、ききにいけ!」

 縄梯子が舷側を飛び越えてぶらりと扇の目の前に垂れさがり、真っ白な水兵服の若者がひとり降りてきた。

「おい、あんたら、なにもんだ?」

「革命軍准将。高杉の副官だ」

「天原の白寿楼の用心番だ」

「こんな草原のど真ん中でなにしてるんだ?」

「〈鉛〉の生き残りを探している」

「ちょっと待て。どうも面倒なことになりそうだな。船に上がってくれ。直接艦長に話してくれや」

 艦長は三角にガラス窓を区切った船尾楼で大きな盥に下着一枚であぐらを掻いて座り、当番兵が持ってくるガラス瓶の水を頭からかぶっていた。頭とヒゲをつるつるに沿った妖怪坊主みたいな大男で頭に落ちた水は頭皮を真っ直ぐ下に滴り落ちていく。盥は縁日の金魚すくい用の最も大きなものだった。

「〈鉛〉の生き残りを探してるって?」

「ああ」

「この自由の平原に〈鉛〉がねえ。まあ、いても不思議じゃないが。で、そいつらを見つけたら、どうする?」

「分からない。だが、死なせないことだけは確かだ」

「死なせない?」艦長は頭から水をざばっとかぶった。「いまのおれは盥で行水してる坊主頭だがな、これでも義勇軍の艦長だ。〈鉛〉どもがまだどこかにいるなんて話をきいたら、ハイそうですかと放っておくことはできん」

「さっきも言った通りだ。おれはひとりも死なせるつもりはない」

「これまでさんざん殺してきた連中なのにか?」

「ああ」

「お前さん、元は〈鉛〉か?」

「ああ」

「おれの友人がひとり〈鉛〉にやられてる。この国じゃみんな大切な誰かを〈鉛〉にやられてるんだ。これは根深い問題だぜ」

「ああ」

「お前だって、誰かから命狙われてるかもしれないだろうが。それについちゃ、どう思う?」

「前は、おれを仇と狙うやつがあらわれたら、ただ殺されれば済むことだと思っていた」

「いまは?」

「殺されるわけにはいかない」

「なんでだ?」

「自分勝手な理由からだ」

「その自分勝手な理由ってやつを知りたいんだよ」

「……大切な人たちができた。おれが死んだときいて悲しむ人ができた」

「理由はそれだけか?」

「ああ」

「なるほど、自分勝手なことだ。おい」

 坊主頭の艦長はその肉づきのいい顎で飾り棚のコルトを差した。コルトは革の銃嚢に入れっぱなしでその胡桃材の銃握はある種の妖刀みたいに抜いてくれと言わんばかりの位置にある。だが、当番兵が持ってきたのは銃の隣に置いてあるガラス瓶だった。

 艦長はその中身である炭酸水をかぶって、ひゃーっ!と大声を上げてから、これまた大声で笑い始めた。

「がっはっはっはっは。すっきりしたいときには炭酸水の行水に限る。機会があったら、試してみな」

 艦長は出っ張った腹を一発叩いて、また大笑いした。

「まったく、運のいいやつだ。信じられんね。他のやつなら、この鉛野郎ぶっ殺しちまえってことになるだろうがな。おれは生憎、自分勝手ってのが大好きなのさ。おれ自身、すげえ自分勝手だからな」

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