四の十四
大夜ではない。
見たことのない女だった。
大夜より若く、ひょっとすると、扇よりも若いかもしれない少女が手足を縛られた状態で逆さ吊りにされていた。目は閉じていて、気を失っているのか、それとももう死んでいるのか分からない。
分かることもある。身に纏っているのは濃紫の忍び装束だった。
「うっ、ゲホッ! ゴホッ!」
少女が咳き込み、意識を取り戻す。
「うーん……」
ゆっくり瞼が開き、その目が扇の目とかち合う。
「む、そなた、何者だ? 武神党の輩ではないな?」
「どうして、そう思う?」
「目が忍びの目をしている。少なくとも食い詰めた武士の目ではない」
「上の階に寝かされている八人を殺ったのはあんたか?」
「そなたも忍びならば分かるだろう? 任務については何も言えない」
「おれは忍びじゃない」
「はて、わたしの見込み違いかな? まあ、よい。そなたがあの無頼漢の一味でないだけで十分だ。ここから下ろしてほしい」
「下ろしてもいいが、ききたいことがある」
「任務や正体については一切答えられないぞ?」
「あんたが誰かは上の死体とその装束で知れる。おれが知りたいのは、囚人だ」
「囚人?」
「女で、歳は確か二十一か二、髪は長いのを一つに編んで垂らしている。大夜という名だ」
「済まぬが、分からぬ。ここの牢に入っているのは骨ばかりだ。それと、助けるなら、はやくしてくれるとありがたい。頭に血が上ってくらくらする」
「まだ質問がある」
「だから、任務と正体については話せぬと――」
「そんなものに興味は無い。だが、大切な質問だ。あんたは火薬を食べるか?」
「かやく? 五目ご飯にまぜるあのかやくか?」
「違う。銃で使う火薬だ」
「それが大切な質問だというのか?」
「ああ」
逆さ吊りの少女はだんだんかっかしてきた。
「助けるつもりがないなら、そう言え。女だと馬鹿にしているようだが、これでもわたしは忍びの頭だ。これ以上、おちょくるなら――」
扇は巻き上げ機の留め金を蹴っ飛ばした。仕掛けが外れて、紐がザラザラッと音を立てて流れ、少女は一直線にドボンと池に落ちた。
水中で暴れているらしく、縄はマグロでも引っかけたように振れている。
たっぷり三十数えてから引き上げる。
「少しは頭が冷えたか?」扇がたずねた。
「ふざけるな! あと少しで死ぬところだったぞ!」
「もう一度たずねる。あんたは火薬を食べるか?」
「食べるわけがないだろう! 馬鹿者め!」
「本当だな?」
「本当だ!」
扇は部屋の隅にあった大き目の簀子を置いて池に蓋をした。細い滝が板にぶつかり、水がガラス玉のように光ながら四方へ飛び散る。扇は巻き上げ機をゆっくりまわして、少女を簀子の上に下ろし、鉈のように厚金にこさえた短刀で縄を切ってやった。
「ふう。ようやく枷が取れた」少女は手首をさすり、腰に手をやって右へ左へひねっている。「これでも誇りあるまっとうな忍びとして、義理は知っているつもりだ。そなたの探している大夜とやら、探すのを手伝ってやろう」
わめき声と足音が聞こえてくる。
「ふむ。五人、といったところか」重なって聞こえる音から少女が予測する。「そこの箱にあるものをくれぬか」
扇は網代箱を開けた。刃渡り一尺の刃が四枚取り付けられた籠手がある。人を斬るというよりはところてんにするための武器だ。
「物騒な得物だな」
「飛行船から爆弾を落とすのに比べればかわいいものだ」
扇は鉤爪籠手に棒手裏剣を三本つけて、少女に渡した。
「それで」四枚刃の籠手を右の手甲の上につけながら、少女がたずねた。「そなたは何と呼べばいい?」
「扇」
「パタパタあおぐ扇か?」
「ああ」
答えつつ、扇は蓆のかかった出入り口へ抜き様の突きを打ち込む。刃を引くと、苦痛に顔を歪めた侍が蓆を引きちぎりながら崩折れてきた。
二人目の侍が扇の小手を狙うが、少女の鉤爪に弾かれ、胸から顎へと切り上げられて絶命する。
扇は廊下へ出て、先頭にいた侍の懐へ刀身をかつぐように飛び込み、肩口へ斜めに斬り下げる。相手の剣は羽織の裏の鎖帷子を少し削ったが、身に刺さってはいない。
斬った骸にもたれるように左へ退き道を開ける。
刹那、少女が風をまいて駆けて、残り二人の侍の頸が跳ぶ。
「これから、どうする?」廊下を走りながら、扇が少女にたずねる。
「見かけた侍を全て殲滅する」
そう答えた後に少女はハッとして、
「しまった。任務を話してしまった」
「別に隠すほどのことでもないぞ。どのみち、こうなったら全員斬るしかない」
そう言うそばから銃剣が少女の脇腹目がけて真横に突き出される。それを少女の鉤爪が絡め取り、引きつつ走り去る。後ろを走る扇が横道から前のめった侍の頭蓋に梨割りの一太刀を見舞い、斃れた骸をふり返ることなく、そのまま駆ける。
少女は走りながら、首にたるんでいた布を引き上げ、顔を隠した。
「今さら顔を隠してもしょうがないと思うが」
「忍びのたしなみだ」
「そうか」
武士もそうだったが、忍者も独特の理屈で生きているな、そう思いつつ、曲がり角で出会い頭にぶつかった敵の脇腹に刃を打ちこみ、抜き様に横へ蹴り除ける。
水の落ちる縦穴に竹の橋がかかっていて、その先が大空洞につながっている。竹で作った箱のような牢屋が天井から十個ほどぶら下がっていて、その向こう、三十間先に壁をえぐった牢が三つある。その一番左に大夜が入っているのが見えた。
岩棚の通路が左に走っていて、二十人以上のベルダン銃で武装した侍たちが整列している。一人、単発式の短銃を手にした宗匠風の侍が大夜の閉じ込められている牢屋へ走っていくのが見える。
大夜を殺す気だ。
あいつより先に牢屋に着かないと。
まともに道を走れば、岩棚で、銃で武装した二十人の侍を相手にしなければいけない。
だが、ぶらさがっている竹の牢を飛び伝えば、先に到着できる。
考えるより先に体が動いた。竹の牢格子に飛びつくと、縄が頼りない音を立てて軋む。
銃弾が扇の鼻先をかすめて、竹が破裂した。
岩棚の侍たちが扇を狙って、発砲している。
牢屋の上に登り、次の牢屋に跳ぶ。
ぐらぐらと揺れる牢屋にしがみつきながら、風を切って飛んでくる銃弾の呻りをそばに感じ、牢屋の骸骨の頭蓋が格子からこぼれて深い闇の底へ落っこちていくのを見る。
少女も鉤爪を腰に下げて、牢屋に飛びついているらしく、弾はそちらへも飛んでいく。
ぐらぐらする牢屋の天井に立ち、脚のバネを利かせて、次の牢屋に跳んだ瞬間、銃弾が牢屋を吊るしていた縄を切った。だが、ひたすら前へ進むことだけを考えている扇はギリギリで命を拾ったことにも気がつかない。
最後の牢屋に飛びついたとき、宗匠風の侍が短銃の撃鉄を上げるのが見えた。
扇と少女は咄嗟に手裏剣を打つ。
ギャッと短い叫び声が上がり、侍が銃を取り落として倒れる。
大夜は牢格子の隙間から手を伸ばして、銃を取ると、それで牢の鍵を吹き飛ばした。
「おせーぞ、扇」
きらびやかだったドレスは泥と血が黒くかたまり、左の袖がなくなり、スカートが裂けて半分になっている。
「これでも急いだんだ」
「そっちのねえちゃんは?」
「ここで捕まっていた。名前は言えないそうだ」
大夜がじろじろと少女を見る。
「まあ、いいや。何の目的があるかは知らないが、扇と一緒に牢屋の上を八艘飛びしてくれるくらいのことはできるんだし」
「ここから逃げるぞ」
「わたしは行かぬ」少女が言った。「残党の殲滅をせねばならぬ」
「それは言っちゃいけないことになってるんじゃなかったか?」
ああ、またか、と顔をしかめて額を打った。どこか抜けたところのある忍びだ。
「殲滅ってあのくそったれどものことか?」
岩棚の通路から駆けてくる侍たちを指差す。弾が切れたらしく、それぞれが抜刀するか銃剣をつけるかしている。
「ああ、あれで最後だ」と少女。
「よし。すまねえけど、あいつら、あたしにくれ」
大夜はそう言うと、垂れ下がって邪魔になっている生地を千切り捨てながら、岩棚と牢の並びを結ぶ竹の橋へ歩いていく。
「何をする気だ」
扇がたずねると、大夜は指を鳴らしながら、
「きっちりお返ししてやんのよ」
「相手は二十人だぞ」
「阪麗館で遅れを取ったのは、あの〈こるせっと〉とかいう地獄の拷問服で息ができなかったからだ。あれが無ければ、三十人相手にしても勝てる。それに今のあたしは誰でもいいから、ぶん殴りたくてしょうがないと来てる。それとも、あんたが代わりに殴られてくれるのかい?」
「わかった。好きにしろ」
「おう。好きにすらあ」
侍たちが竹橋を吶喊してくる。
大夜はゾッとするような笑みで顔を歪めると、それに負けないくらいの雄叫びを上げて、二十人の侍に襲いかかった。




