二十九の三十三
原田茂から届いた文にはクチバシ先生が新政府からの補償を受けて新しい医院を開けたことが書いてあった。また、父親が行政長官に任じられそうになっていることについて、あんなちゃらんぽらんな親父を高官に任命するようではビゼンも長くはないかもしれないと締めてあった。
不思議なものだが、文にすると茂のあの尖った雰囲気は収められ、文体がごく普通に転じるところだ。だが、これについては自分にも同じことが言えるのかもしれない。
扇は返事を書こうかと書卓に向かったが、そこでふと思い立ち、瑞典是永を手元に寄せた。刀は時代遅れの武器であることは否定しない。空飛ぶ鉄の軍艦相手に刀のできることといえば、太陽の光を反射させて、砲手の目をほんの一秒か二秒くらませるくらいしか役に立たない。ところが、今度の旅では肩にこたえるくらい人を斬った。銃も使ったが、刀のほうがもっと使った。考えてみればヤマトの〈鉛〉はいまだ剣を使っているが、近間の戦闘では刀の有用性は捨てがたいということか。
「扇の字、いるかい?」
虎兵衛が入ってくる。手には多色刷りの新聞を持っていた。
「なにか、用か?」
「興味深い記事があった。これだ」
虎兵衛の持ってきた新聞の第一面に目を落とす。すると、忘れたくても忘れられない黄色と緑の縞模様が目に入ってきた。ペロレン宗も門徒たちだ。新聞によると、ペロレン一揆がカワチ国の政府をひっくり返して臨時政府を建てたらしい。
「これ見て、どう思う?」
「カワチの住人じゃなくてよかった」
「なあ、扇の字。ヤマシロはもう同盟に愛想を尽かし、セッツ国に敵視され、イガ国とも戦争状態だ。そしてカワチの政府が倒れた。つまり、次はヤマトの番だってことだ」
「ヤマトは死にもの狂いで戦うだろうな」
「だが、長くはもたんさ。畿内の諸国は連合を組んでヤマトを潰すらしい。四方八方から攻められる上にあの高杉晋作が秘かにヤマト入りして蜂起させるつもりらしい。そうなったら、独裁政府はひとたまりもないだろうな」
そう言われれば、思いあたることもある。天原は中立地帯だから、ヤマトからも高官や政商をいった連中がやってくる。彼らが扇を見るとき、大砲の射程外に逃げた船でも見るように顔がゆがんだものだ。だが、最近はヤマトからの客はさっぱりいなくなった。それどころではないのだろう。
「別におれには関係ない」扇は言った。「あそことは切れた。最近じゃ、おれや舞をつけ狙うこともなくなった」
「そうだな。まっ、天原で地上のいざこざなんか話すたぁ、おれもヤボが過ぎた。勘弁してくれ」
虎兵衛が出ていくと、扇は是永の刃を抜き、そこに顔を映した。天原に来る前、刀に映る自分の顔は険がかかっていて、ひどく冷たかった。そのころに比べると、自分も丸くなった。
「ヤマトが滅ぶ。けっこうな話だ。もっとはやく滅んでもよかった。おれにすることはなにもない」
茂に返事を書こうと書卓につき、一人つぶやいてみる。
ふと脳裏に浮かんだのは〈鉛〉たちのことだった。命令する大人たちがいなくなり、ただ殺人術だけを携えて、地下に潜む子どもたち。
もう一度、瑞典是永を手に取る。ヤマトから持ち出した無銘の刀を折った後、虎兵衛からもらったものだ。あれは舞が来る少し前のことだった気がする。こいつの切れ味には何度も命を助けられている。反り具合は絶妙で抜き様の一撃は鋭く深い。
だが、まだこの是永を使って、剣の極意を体得していない。
極意とは抜かないこと。携えずに勝つこと。
殺すことだけしか分からない、能面のような顔ともろい心を持った少年と少女たちのことが頭によぎる。 扇には分かっていた。もし、極意を得る機会があるとすれば、〈鉛〉を滅ぼすそのとき一つ。
山の下で呻る溶岩のような剣気がスッと止む。
いまはまだそのときではないのだ。
扇は剣を筆に持ち替えて、茂への返事を書くべく、紙と向かい合った。
第二十九話〈了〉




