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廓雲と扇の剣士  作者: 実茂 譲
第二十九話 是永の扇と刀狩りの国
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二十九の二十七

 目に雨が入った。

 咄嗟に左へ倒れると、太刀風が唸った。扇はすぐ身を起こし、身をめぐらせて、車斬りにした。兵士が二人、脛を断ち切られて倒れる。魚が泳げるほどに濃く激しい雨のなか、泥にまみれて、稲光に照らし出された敵兵を斬り捨てながら、扇は命令を探した。ここを守るのか、進むのか、退くのか。扇は何一つ分からず戦っていた。扇だけではない。みな取っ組み合って泥の上を転がりながら、窒息するまで泥に顔を押しつけたり、鎧通しで喉を突いたり、至近距離で顔にピストルを発射したりしていた。

 戦いに終わりはなかった。どちらかが劣勢になると、すぐ援軍が送られてくる。雨に遮られた隊列が一斉に発射する音はきこえる。それをもろに浴び、次々と倒れていくのが敵なのか味方なのかはわからない。そうした弾が扇のそばを通り過ぎたのは一度や二度ではない。包帯がきつく背を締め、袴を見たら、銃弾が通り抜けてできた穴が八つもあった。

「どこか守りが手薄なところを見つけないといかん」銃弾が雨粒と一緒に嵐のように降り注ぎ、小さな溝に隠れていると、ごま塩頭の刀工が言った。

「そいつはいい考えだな」原田茂が言った。「で、それはどこにあるんだよ?」

「それを探すんだ」

「誰が?」

「お前たちがだ」お前たちとは扇と原田茂、それに血染めの太刀を肩に担って飛び込んできた寿たちだった。

「このクソ雨のなかをか? 冗談じゃねえ」茂が言った。「あんたが行けよ、おっさん」

 ごま塩頭の刀工は袴の裾を引っ張った。左の脛から折れた骨が飛び出し、アオイソメみたいな血管がぴゅうぴゅうと血をまき散らしていた。「行きたいのはやまやまだが、この通り。脚がぶっ壊れた。おれはたぶん死ぬ。お前らもそうなりたくなかったら、偵察に出て、別の突破口を見つけ出せ」

「あのおっさん、本当に死ぬと思うか?」棚田の丘から横道へと転がり出て、嵐の暗闇のなかを手探りで歩きながら茂がたずねた。

「あの怪我じゃ長くはもたないな」

「そうか」

「どうかしたのか?」

「もうちょっと言葉を選ぶべきだったな」

「意外だ。あんた、後悔してるのか?」

「おれのこと、どんなヒトデナシだと思ってんだよ」

「おれたちにできることはなかった」

「おふたりさん。懺悔の途中で申し訳ないけど」寿が口をはさむ。「あそこ、何かいるみたいだよ」

 近くの村の牛小屋らしいものが立っていた。屋根には弾がときどきぶつかって、葺いた茅が水とねじれながらぼとぼと落ちていたが、建物そのものはなかなか丈夫なつくりになっていて、大砲の至近弾をもらっても気丈に立ち続けている。そこから、不満をぶちまける声がきこえた。聞き覚えのある声だったので、なかを覗くと、クチバシ先生が白衣を返り血で真っ赤にしながら、若い侍ふうの男の右腕からつぶれた弾丸を摘出しているところだった。焼酎を麻酔がわりにした手術は電光石火の三十秒で仕上げ、すぐ次の負傷者にとりかかる。

「あんたたち、男どもはバカだよ、ほんと」クチバシ先生はそこらじゅうに手当てを待って転がっている負傷者たちに言った。「こうやって手当てしても、体が動くと分かると、また戦場にトンボ返りするんだろ。バカだよ、ホント――おっと、バカのなかでも特にバカを極めたやつが来たね」

 どうやら、そのバカを極めたやつとは扇のことを指しているようだった。背中の傷はまだ完治してないのに半日近く撃ち合い、斬り合いをしたのだから、クチバシ先生からしたら、大馬鹿なのだ。

「忙しそうだな」

「とんでもない。暇で暇でしょうがないところさ」

「じゃあ、一つ頼めるか。あっちに一人――」

「暇だって言ったのは皮肉」

「そうか。すまない」

「別に謝らなくてもいいよ。謝るかわりに安静にして寝てな」

「これから偵察に出る」

「この嵐のなかを?」

 と言いながら、クチバシ先生は折れた脛の骨をまっすぐに戻す。患者からは悲鳴が上がったが、クチバシ先生は添え木をつけて、あっという間に包帯で固定した。

「おれたちが行かないと、あの坂に兵隊が投入され続ける」

「あの挽肉坂かい?」

「挽肉坂?」

「もうあの坂はそう呼ばれてる」

「まあ、そう呼ばれるだけのことはあるな」

「で、誰かわたしに診てもらいたいやつがいるんでしょ?」

「挽肉坂の棚田が尽きるところに溝があって、中年の刀工が一人重傷を負っている。たぶん死ぬだろうが、手当てすれば助かるかもしれない」

「こんなこと言うと、残酷だけどね」と、クチバシ先生は新しい負傷者の腹をメスですっと切って、内臓を焼く熱い弾丸をヤットコでつまみだす。「ここで面倒見るのは手当てすれば確実に助かるやつだけ。助かる見込みのないやつや、助かるかもしれないやつは面倒見られない」

「そうか」

「でも、えい、もう。いまいましい弾丸だね。――よっ、ほら、取れた。担架卒をそこに送ってみる。診るだけ診るけど助かるとは確約できない」

「それで十分だ。すまない」

「だから、謝るなら養生しろ」

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