四の十三
「おいっ!」
三人目の侍の声が遠くから――硯の坂の上のほうから聞こえた。
もう抜刀を仕掛けるつもりでいた扇の動きが蓆のなかでピタリと止まる。
二人の侍が声のするほうへ向いた。
「飯ができたぞ。食えるうちに食っておけ」
三人目の侍は伝えることを伝えると去っていったらしい。だるまと痘痕はお互いを見やって、
「飯か」
「飯ですね」
「また、酒はなしか」
「もし、大阪が陥ちていれば、祝杯を挙げているところです」
「行くか」
「行きましょう」
痘痕は蓆に触れそうだった手を引いて、立ち上がった。二人の侍は大仰な動作で向きを変えて、背中を見せようとしている。
扇はほっと息を吐くのを危うく堪え、手を刀の柄から離した。
だから、だるまが突然振り向いて、足先で蓆をめくったときは少なからず驚いた。
もっと驚いたのはだるまのほうだろう。死人があるはずの場所に生きた人間が横たわっている。
だるまはハッとして、自慢の胴間声が侵入者がいることを告げようとするが、喉からはうがいのような音が漏れただけだった。
頸には扇が咄嗟に放った袖口の隠し手裏剣が血の道と気道を一度に貫いていた。
だるまの頸に手裏剣を打ち、猫のように身をひねりながら起き上がって、痘痕の口を塞いで、足を絡めてうつ伏せに倒すまでほんの数瞬のことだった。
扇は痘痕面の侍の上にかぶさるようにして体を押さえ、鞘から五寸ほど抜いた刀を、刃を上にして、痘痕の首の下に置いた。扇が上から頭を押さえつければ、刃が食い込んで頸を裂く。
「あれを見ろ」
扇は口を塞いだまま髪をつかんで、痘痕の顔をだるまのほうへ向かせた。だるまは自分の血が気道に流れ込んで息ができずにいる。
「ああなるか、どうかはお前の返答次第だ」
扇が耳元に口をよせて、ささやいた。痘痕の侍はぶるぶる震えだす。
「女を水責めにしていると言ったな。今から手をどけるから、どこの部屋だか教えろ。大声を出せば、お前は死ぬ」
痘痕はうなずいた。扇が手を口からどけると、ぺらぺらとしゃべった。
そばにある緑の門から出て、廊下を通り、縦穴に竹で組まれた足場があるから、それを下って、廊下を右へ、二つ目の部屋。そこが水責め部屋だという。
部屋の前には見張りがいるが、自分が手引きできる、と言って、痘痕面に、おそらく下ろし金でも削り落とせないだろう卑屈な笑みを浮かべた。
その笑みを見ていると、ふと、昨夜、阪麗館で丸腰の男女が銃弾に薙ぎ倒される様子を思い出した。
「お前は水責めの専門家らしいな。人を水に漬けるときもそんなふうに笑うのか?」
「え?」
扇は答えを聞かずに痘痕の頭を抱え込むと、そのまま押しつけるように体重をかけた。
ざくっ、と菜を包丁で切ったような音が痘痕の首から聞こえて、痘痕の体が痙攣した。
刀を痘痕の首の下から脇へ退けると、侍の首の付け根を膝で押さえて、痘痕の顔をしっかり持って、ぐいと引き上げる。メリッと骨が軋み、血管が大きく裂ける音がして、血だまりがどんどん大きくなっていく。
「大夜がお前を見つけたら、こんなもんじゃ済まないさ」
立ち上がり、刀を帯に差しながら、捨てるように言葉を放った。
教えられたとおりの道を音もさせずに走り、目当ての部屋を見つけた。部屋の出入り口には蓆が垂れて戸の代わりをしている。部屋の前の岩にベルダン銃を膝に置いた侍があくびをしていた。
「ん? おい、お前――ぇう」
見張りの鳩尾へ鎧通しが突き上げるように滑り込む。
死骸を部屋へ突き飛ばし、水責め部屋に入る。
中を見て、言葉を失った。
小さな滝が天井から流れていて、おそらく人工的に掘った小さな、だが深い池を満たしている。天井から下がる鉄の輪を縄が通してあり、その縄はまっすぐ水の中に伸びていた。
「くそっ」
扇はすぐに巻き上げ機に飛びつき、取っ手付きの車輪を回した。車輪が動くたびに留め金がカチカチと音を鳴らす。
あの二人を殺るまでのあいだ、ずっと水に漬かっていた。たとえ、騒ぎになっても構わないからすぐに殺して、ここに来るべきだった。
いくら自分を責めても、責め足りない。
気づくと、留め金がはまって、もうそれ以上巻き上げられないところまで巻き上げていた。
真夏に息が震えている。見るのが怖い。
だが、見なければならない。
扇は顔を上げた。ぶらさがっているものを見て、言葉が漏れた。
「そんな……」




