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廓雲と扇の剣士  作者: 実茂 譲
第二十九話 是永の扇と刀狩りの国
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二十九の二十二

 二日酔い気味なのが扇だけというのに納得が行かなかった。

 あの酒盛りで飲んだのが一番少ない扇がこんな寺の鐘の音を内側できくみたいな地獄の責め苦を受けるとは。世界は間違っていて、世界そのものにそれを是正する力は存在せず、ただ時間だけが解決法として手の届かない宇宙そらの上に輝いていた。

「なんだ、二日酔いとは情けないわね」

「それでよく人が斬れるわね。くすくす」

 その二日酔いを治す特効薬もないくせに医学が大きな顔をするのも許せないし、二日酔いと人斬りのあいだにさも相関関係があるかのようにあざ笑うのも耳障りだが、最も頭に来るのは太陽の光だった。これが全生物に必要なことも分かる。分かるが、いま、太陽の光は必死につむったまぶたをこじ開け、目を貫き、神経を痺れさせ、脳をぐらぐらと揺さぶった。

「で、案内人はいつ来るのかしら?」

 三人は十綱を見下ろせる街道にいた。支度があるので、先に行き、地蔵が十三並んでいるところで待ち合わせるということだった。日が上り、朝日と呼ばれるには賑やかすぎる光が扇の頭をいじめ倒しているころ、案内人が坂を上ってやってくるのが見えた。

 原田左之助は案内人を用意すると言っていたが、自分が案内人になるとは言っていなかったはずだ。だが、一目で新選組と分かる浅葱のダンダラ羽織を山風になびかせ、十三尺の槍を肩に担って、筍の皮で包んだ握り飯を腰から下げたその姿は間違いなく原田左之助その人だった。

「おー、そろってるな。つーか、おれを待ってたのか。まあ、いい。行こうぜ。長船千軒へ」

「いや、待ってくれ。案内人をつかわせるという話だった」

「いいや。違うな。一番いい案内人をつかわせるって話だった。で、考えた。長船千軒までの道のりで終身統領の子分どもが追ってきて、斬り合いになるのは間違いねえ。となると、一番の案内人はお前らに道を教え、刺客どもには槍の金味を教えるこの原田左之助をおいて他にいねえ」

「だが、あんたがいなくなると、十綱の町はどうなる?」

「どうもなりゃしねえって。ともかくよ、はやく長船千軒に行って、世直しの兵を起こそうや」

「世直し?」

 いったい何の話だ、と思ってから、扇はハッとして、クチバシ先生のほうを見た。二日酔いで霞んだ記憶のなかから、原田が斬り姫を指して、なぜこの危なっかしい娘っ子を連れて歩いているとたずねたとき、世直しがどうたらこうたらとこたえていた気がする。

 間違いない。原田左之助はこれからの道中、見つけた独裁者の手先たちを手当たり次第に串刺しにするつもりでいる。いや、もうしてしまったかもしれない。ここに来るまでのあいだ、町のなかにも密偵がいたはずだ。扇の懸念通り、単純だがカンがよいこの男は密偵を見つけていた。その密偵は自分のベルトに固定した電信鍵スエーデン・キーに、町内の街路に隠された情報機関専用の秘密電信線を接続しようとしていたところを背中から斬られた。まわりで見ていたものは愕然としていたが、原田のほうはその昔、近藤勇に言われて長州の密偵を背中から斬ったときみたいにいい気分になり、ほろ酔いになっていた。

 ああ、なんてことだ。斬り姫一人の面倒でも大変なのに、ここに来て槍男まで来られては扇の胃がもたない。だが、原田はビゼンで暮らしてから、槍をふるう機会もなかったのか、また実戦に出られるとウキウキしていて、とても扇の言葉に耳を貸す様子はない。

 このまま原田がついてくるかと思ったそのとき、またもう一人、若者が坂をかけのぼってきた。歳は扇と同じか少し上、彫りの深い端整な顔立ちではあったが、ひどく不機嫌なのか目つきが悪い。裁着袴の腰に大小をたばさんでいたので、誰か斬りにきたのかと思ったくらいだ。

 その若者は十三の地蔵が並ぶ山道まで来ると、挨拶もなしに、

「親父、帰れよ」

 と、原田に言った。言葉に音が鳴るとすれば、ピシャリと音がしただろう。

「帰れとは何だ、帰れとは。おれはお前の親父だぞ」

「親父なら親父らしいところを見せろ」

 なるほど、この青年、原田の息子か。そういえば、似ている。がさつさが前に出て、気づかなかったが、原田左之助も見れば、なかなかの役者顔で男前だ。

「だから、親父が長船千軒で世直しの兵を挙げるのだ。もちろん、十綱からも志願者を募る。安心しろ。お前が斬る分も用意してやるよ」

「いらねえよ、そんなもん。とにかく戻れって。親父がいなくて、寄合人どもが困ってるぞ」

「問題ねえって。あいつらはあいつらでうまくやるさ。それより世直しだ。きいた話じゃ終身統領のやつ――」

「おっ死んだんだろ。知ってる。それで十綱の主だった連中が親父にこれからどうするのかききたいって屋敷に押しかけてる」

「それに対するこたえは出した。今ごろ、電信線のそばに転がってる」

「くそっ。あの密偵、やっぱり親父の仕業だったのか」

「仕業とはご挨拶じゃねえか。とにかくおれは行くからな。あばよ、茂。達者でな」

「おふくろに言いつけるぞ」

 その言葉に原田はピタリと止まった。いや凍りついた。

「て、てめえ、親を脅迫するのか?」

「そうでもしねえと親父は十綱をほったらかしにしちまうからな。で、どうする? おふくろ、呼んでこようか?」

 原田は、くそーっ、と鉢金を巻いた頭をガシガシ掻きながら、叱られた小犬みたいに名残惜しそうに扇たちを振り返り振り返り山道を十綱のほうへ降りていった。

「長船千軒に行くぞ。ぐずぐずしやがったら置いていく」

 一番の案内人――原田茂はらだしげるはぶっきらぼうに言った。

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