四の十二
横穴に入り、天井の低い通路を通る。油紙をかぶせた甕の部屋やほっそりとした水が流れ落ち続ける部屋、縄を巻いた支柱が並ぶ通路をうろついているうちに少し広い部屋に出た。ちょうど硯のような長方形をしていて、硯のように奥へ床が坂下っていく。硯でいうところの墨が溜まる場所に蓆をかけた死体らしいものが、八つ並んでいた。
「まさか大夜のやつ、本当に殺られてないだろうな?」
蓆をめくってみたが、その土気色の顔はみな武神党の侍と思しき男たちのもので大夜の骸は転がっていなかった。
まずは一安心だが、奇妙な点もある。八人はみな喉を切り裂かれるか、鎧通しのような鋭く細い刃物で心臓や首の後ろを一刺しにされていた。少なくともガトリング砲を相手に戦ってできる傷ではない。ちょうど忍び込んだ暗殺者が音もさせずに警護兵を葬るやり口だ。
つまり、自分以外にここに忍び込んだやつがいる。
とはいっても、死体をこうして横に並べて蓆をきちんとかけてあるところを見ると、潜入は発覚し、侵入者は既に見つけられた可能性が高い。実篤が自分以外の誰かを雇ったにしては仕事が早すぎる。少なくとも自分より先に岩窟寺院に到着できるはずはない。
これが吉と出るか凶と出るかは分からない――いや、おそらく凶と出るだろう。もう一人の侵入者がヤマトの放った〈鉛〉であると考えると、筋が通ってしまう。
つまり、昨晩の蜂起もまた前回と同様にヤマトを後ろ盾にしたもので、蜂起が失敗したとみたヤマトが口封じのために岩窟寺院の残党を処分しようとしている。
だが、その論で行けば、既に捕虜が千人いるのだから、本当にヤマトが関わっていれば、そこからばれる。それにこんな人里離れた山のなかの洞窟に数十人の武装した侍がいるのなら、二十人の〈鉛〉を五つの部隊に分けて行動させたほうが全員を確実に殺れる。
しかし、並んだ死体は八つだけ。傷の癖から同じやつの手にかかっていることが知れる。
敵地潜入中にうっかり考え事に足を引っかけてしまい、気配を読むのを怠った。八つの死体が並んだ左端の門から話し声がする。
入ってきた扉から逃げるには時間がない。舌打ちを堪えて、壁に立てかけられた蓆の束を一つ解くと、八つ目の死体の隣に仰向けになり、自分の体を隠すように蓆をかけた。
――て、――介――でき――あら――。
侍たちの声が途切れ途切れに聞こえてきた。足音が反響して聞こえてくる。この先は大空洞ではなく、廊下になっているらしい。声はだんだんつながり始めて、音から単語、単語から会話へと変じていく。
「それにしても許せん」
丹田に力を入れた太い声が怒りに震えている。
「あの女、水責めでも足りませんよ。いや、それにしてもしぶとい。わたしも大勢責めてみましたが、あんなにしぶといのはそうはいませんよ」
今度の声はもっと若く、相手を立てるような抑えた口調だった。水責めについて語るときの声の調子がどうも気にいらない。
大夜のことか? ほどけかけた蓆の隙間から、扇はそっと覗く。
緑に塗られた門柱の陰から二人の侍が硯部屋に入ってくるところだった。
一人は今どき珍しい不動の絵韋を張った胴丸をつけた、だるま鬚の大男。三尺越えの野太刀を下げて、銃は背中に負っている。剣で鍛えたらしい喉が必要のない大声を迸らせ、水責め水責めと繰り返している。
もう一人はシャツの上に久留米絣を着た痘痕面の若侍で、年中そんな顔をしているからだろう、卑屈な笑いが顔から剥がれないでいる。腕に自信があるのか、それとも戦をするつもりがないのか、刀の柄に柄袋をかけていた。回転拳銃を入れた銃嚢があるが、蓋がしっかり閉じてあるのですぐには抜けない。
どちらも奇襲に対する心構えがなっていない。
後は機会だな。扇は息を殺して、すえた蓆の臭いを我慢し、骸のふりをする。二人そろって、後ろを向いた瞬間にだるまを殺る。そうすれば、若いほうは大夜がどこにいるかすぐに白状するだろう。
しかし、二人の侍はいっこうに後ろを向く気配がない。ずっとだるまが昨日の戦闘で死んでいった仲間の名を上げては、痘痕面のほうが唾を飛ばしながら、惜しい男をなくしましたと繰り返している。
そのうち、だるまが蓆のかかった骸の前に立ち、
「久米衛門。ここまで逃れてきたのにこんな最期を遂げようとはなあ」
と、言い出した。
若いほうが惜しい男をなくしましたと紋切り型の弔辞を述べる。
今、二人の侍は扇とは反対側の蓆の骸の前に立っている。
どうやら、だるまは全員の名前を挙げるつもりらしい。
冷や汗を首筋に感じる。
だるまはそんなことをおかまいなしに名前を呼んでいく。
玄三、おれはお前の分も戦うぞ――京太郎、お前はまだこれからだったのに――加藤さん、この無念は必ずや晴らしてみせます――岩内、お前ほどの使い手がなあ――七郎、面白いやつだった――。
若いほうが唾を跳ばす調子まで寸分も違わせずに、惜しい男をなくしました、を繰り返す。
ついに二人は扇のそばに立った。だるまが蓆で隠れた扇の顔を覗き込むように前にのめっているのが藁の隙間から見える。
「こいつはいいやつだったなあ……ええと」
「惜しい男をなくしました」
「おい、忠左衛門。こいつの名前はなんだったか?」
「いえ、才蔵さんがご存じだとばかり……」
「思い出せんなあ」
「蓆をめくって、顔ぉ見てみましょう。それで分かるでしょう」
若い侍が屈む。藁の隙間から赤みがかった痘痕の穴が一つ一つはっきり見えるくらいにまで顔が近づいた。扇は体にぴったりくっつけて持っていた刀の柄に逆手をかけている。仰向けに寝た状態からの抜き打ちにどれほどの効果があるかは分からないが、とにかく相手の手が蓆にかかったら、腕を斬り飛ばし、だるまが三尺太刀が半分と鞘から抜ける前に首を刎ねるしかない。若いほうは痛みで悶えてわめき散らし、この洞窟にいる侍全員がその叫び声を聞く。潜入の意味がなくなるが、仕方がない。隠密行動から強襲に切り替え、大夜を奪還、迅速に退却するのだ。
痘痕侍の指が蓆に触れる。扇の目は跳ね飛ばす予定の痘痕の右腕の付け根をしっかり捉えながら、逆手持ちの刃が――




