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廓雲と扇の剣士  作者: 実茂 譲
第二十九話 是永の扇と刀狩りの国
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二十九の十四

 やくざの賭場へ殴り込みをかけたものに死よりも恐ろしい制裁がくだされるのは万国共通だった。英領香港ではファンタン賭博の邪魔をした馬鹿者をぶった切るための青龍刀が賭場の出入口にかけてあるという話だし、ロシアの内陸地ではまだらの紐を持ったペルシャ人の絞殺強盗団が出没していたが、その親玉が捕まって絞首刑となったのは警察署長がお得意になっていた賭場に乱入したためだった。特に〈谷〉のような、人々が荒っぽく、常に誰かが自分をなめていると思い込んでいる地域の賭場に日光浴治療室の成れの果てと一緒に落ちてくるのは万死に値した。

 扇の首がつながっているのは、そのすぐ上の高架線でギリシラズが〈かぶりおれ〉を粉砕し、六百円分の青いセッツ紙幣が降り注いだからだった。

 その場を後にして、クチバシ先生が手持ちの財産を数えてみると、仕込み洋杖が一本に、トンビ外套が一枚、それに黒死病専門医がつけるような鳥のクチバシみたいに尖ったガスマスクが一つ(自分のあだ名とあわせたのだろうと扇は思ったが、全くの偶然の産物らしい)、そしてシルクハットがなぜか二つ。かぶる頭は一つしかないので、汚れているほうを道端の居酒屋の酒代にした。

 居酒屋は崩れた壁に囲まれた竹藪の空き地にあった。なかは酔っぱらいや職人が缶詰のイワシのように詰まっていて、ひねた漬物と酒の臭い、それに行燈のなかで焼けるケロシンの甘ったるい臭いがマスクをしても分かるくらいだった。狭い店のなかにはネタ売がいた。藁笠に覆面、青の着流し姿で三文字一文で打つ電信スエーデンキーや背嚢に詰めた新聞や浮世絵を取り出すための小さな起重機を腰の兵児帯にひっかけ、情報ネタはいらんかねえ、と声を上げている。

「残飯屋の今日のおすすめから独裁者の機嫌まで何でも扱ってるよ。おや、これは斬りの姫御。お兄さんからのネタを預かってますぜ」

「兄さんが?」斬り姫は人を斬るのと同じくらいに胸をときめかせた。「兄さんがわたしに伝言を?」

「ええ。はやくカブト屋に戻って来いって言ってます」

「きっと兄さんはわたしが恋しいのね。わたしだって、ほら、こんなに恋しいのに」

 と、返り血で汚れた服を見せる。ネタ屋は深く考えるのをやめ、とにかく伝言は伝えたとだけ言い、ボロ市の魚のあらの相場に興味を持ちそうなものを探し始めた。


 カブト屋は〈谷〉が小さな宿場町に過ぎなかったころからある旅籠で気まぐれな砲弾や略奪好きの住民の魔の手を生き延びた古い家だった。そこに蒸気管や伝声管、電信用の緑のゴムで覆った線などがいろいろ伸ばされていて、〈谷〉で起きていることに目を配り、カブト団をなめるような行動があれば、全員刀に脇差で突撃する。正面には元禄時代からそこにかかっている〈かぶと屋〉の看板があり、鉄兜をかぶった団員が二人、門番のように立っている。団員たちは扇とクチバシ先生がやってきたことに驚いているようだった。カブト団の本拠地にのこのこやってくるカタギなどこれまでいなかったからだ。だが、団員たちは斬り姫の姿にはさほどの驚きを感じなかった。ここに来るまでにたまたま出くわしたツルギ党員を扇が制止するより先に斬り殺して、さらに返り血を浴びていたが、そんなのはいつものことなのだ。

「お嬢! 団長が探してますぜ! ところでこいつらは何者なんで?」

 斬り姫は斬殺衝動に襲われたときにいつでも人を斬れるように縛り上げた政府の密偵やツルギ党員を連れて歩くことがあった。斬り姫は最近西欧で研究の始まったいわゆる共感覚の持ち主で、人を斬ると、口のなかに味覚が生まれるのだが、縛られた人間を斬ると口のなかにほのかな甘味が広がるらしい。だが、連れている二人はツルギ党員には見えない。一人はクチバシ先生だし、もう一人はツルギ党員独特の尖ったマスクではなく、年代物の面頬と頸甲を使ったガスマスクをつけている。それはなかなかカブト団的な代物であり、同じようなものがどこかで売っていたら自分も買ってみてもいいとも思える逸品だった。

「あんたたち、団長に合わせてもらおうか」

「クチバシの先生。そりゃいったいどういう用なんで?」

「補償よ、補償。あんたんとこの斬り姫とこっちの扇のせいで、わたしの診療所がバラバラになった上に六年かけて貯めた六百円もパーになった。これだけあれば、十分でしょ?」

 三人が通されたのは屋敷の上の物見台だった。と、言っても、ちょっとした天守閣のようで古いが畳もあり、板床もある。そこにいたのはバケツみたいな鉄兜を着けた古い軍服にマントの長身の男だった。大ぶりの二刀を佩いて、扇子を持って、腕を組み、〈レンゴク〉をじっと見つめている――かもしれない。というのも、目のある部分に小さな穴が二つ開いているだけで、ひょっとすると立ったまま居眠りしているかもしれないのだ。

 鉄兜の男が振り返ると、斬り姫が初めて可憐な少女らしい顔をして太陽みたいな笑顔を見せた。だが、それもほんの二秒のことで男の拳骨が斬り姫の頭のてっぺんに落ちると、

「あ、う、うわああああああん! 兄さんがぶったあああああ!」

 と、大泣きした。

 ペタンと座り込み、頭を押さえておいおい泣いている斬り姫を無視して、男が言う。

兜傳次郎かぶとでんじろう。一応、この団の頭をさせてもらっている。あんたとは面識はなかったが、クチバシの先生さんよ、評判はきいてる。うちの馬鹿が面倒かけたこと、この通り詫びる」

 と、頭を深々下げた。鉄兜が外れそうになり、なぜかハラハラする。

「ぶっ壊された医院の修理代と迷惑料、払いたいところだが、あいにくこっちも手持無沙汰。カネが出来たら、すぐに払うとこの鉄兜に賭けて約束する。それでいったんは収めてくれないか?」

「ないものを払え、と言っても払えないし。でも、いつごろお金ができる予定かききたいわね」

「今夜だ」

「今夜?」

 エーン!と泣いている斬り姫は後ろから団長の背中をポカポカ叩き始めたが、傳次郎はそれを無視して、今度は扇に、

「〈レンゴク〉に一人で乗り込もうとしたそうだな?」

「ああ」

「あそこにゃ、独裁者のイヌがぎゅうぎゅう詰めになってる。そのこと考えたか?」

「忍び込むつもりだった」

「じゃあ、うちのかわいい妹が邪魔してくれて、そっちの計画はご破算になったってわけだ」

「まあな」

 かわいい妹、という言葉をきいて、泣き声とポカポカが止む。斬り姫はやっぱり自分は兄さんにとってかわいい妹なのだと分かり、すぐに上機嫌になった。危険な人間特有の感情の転がり方も扇から見ると、ハラハラするものがある。かわいいという言葉は皮肉で使われているのに……。

「扇、って言ったな。あんた、どうして〈レンゴク〉なんぞに行こうと考えたんだ?」

「友の短刀があそこにある。それを取り戻す」

「短刀一本のためにギリシラズの駅に忍び込んで、独裁者のお気に入りの利き腕を刎ねたってか?」

「そうだ」

 傳次郎は手にしていた扇子でコツコツ鉄兜の角を打った。たぶん、物事を考えるとき、いつもこうしているのだろう。問題の難しさによって叩く強さが変わるとすれば、この残忍な人斬り妹が巻き起こす問題はどれだけの強さで兜の角が叩かれるのだろう。

 扇子がピタリと止まる。

「気に入ったぜ、扇。まさにあんたは今のおれ、いや、カブト団に欲しい助っ人だ」

 声は深い井戸から響くようだったが、熱っぽい。それに感づいたクチバシ先生は、まさか、と目じりをピクピクさせた。

「団長。あなたのお金をつくる予定って」

「今夜、〈レンゴク〉を襲う。おっと、昨日襲われたばかりで警備が厳重になってるって忠告ならいらねえぜ。もう分かってる。だが、今回は大佐の宇喜多が腕一本失って、独裁者どのは相当カッカきてる。で〈レンゴク〉で直接、兵器生産について指図を飛ばすらしい。そこで、あのハゲデブに引導を渡してやる。ついては扇、あんたに助太刀を頼みたい。どうだ?」

 つまり集団自殺に付き合わないかと誘われている。こんなものに付き合うのは愚の骨頂だが、扇の名を冠して以来、その愚の骨頂とやらに何度も我が身を放り込んだことがある。それがまた起きるだけの話。それに今のところ、〈レンゴク〉に行く以外に手はないし、独裁者が倒れれば、藤原是永の救出もずっと楽になるだろう。

「好きにしろ」

 こうこたえるしかなさそうだ。

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