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廓雲と扇の剣士  作者: 実茂 譲
第二十九話 是永の扇と刀狩りの国
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二十九の十三

 病院へ戻ると、クチバシ先生が闇市のほうから銃声がきこえたが、まさか関わってないでしょうね? と念を押すようにきいてきた。

「三人殺った。残りは致命傷じゃないが、きちんとした手当てを三日以内に受けられなければ死ぬ」

 クチバシ先生は自分がなぜクチバシと呼ばれるのか、その由来を深く深く思い知った。

「つまり独裁者の兵隊を大勢が見ている前で、しかも、その大勢のなかには間違いなく密偵がいるんだろうけど、そうした人たちの前で独裁者の兵隊を三人も殺した。この国じゃそういうのを〈手の込んだ自殺〉っていうのよ。傷は?」

「開いていない」

 はぁ、とため息をつくと、クチバシ先生はともかくと扇から斬り姫の仮面を受け取った。斬り姫はいま凶暴な患者を閉じ込めるための鋼鉄の部屋にいた。仮面がないことで情緒が著しく不安定になり、目につくものこれみな全て敵だと思い込んでいた。部屋からは蒸気を噛んだ暖房装置みたいな強い金属音がガンガン鳴り響き、「出せ! 殺すぞ!」と脅し文句が途切れることなく流れてきていた。

 監禁室の扉は鋼鉄製で上にずらして開く小窓がついていた。クチバシ先生はその小窓を開けると、仮面を放り込んで、窓を閉めた。大人しくなったところを見計らって扉を開けると、人に馴れない豹みたいに殺気を飛ばす少女がいた。

「あなたたち、だれ?」

 扇が肩をすくめた。「あんた、死んだんだよ。ここは地獄で、おれは鬼。彼女は閻魔大王で――あいた!」

 クチバシ先生は扇を蹴飛ばすと、現在の状況をざっと説明した。独裁者の軍隊が〈谷〉へとやってきていることをきくと、斬り姫は金の塊を見つけた加州カルホルニヤの砂金取りみたいに目を輝かせた。

「それじゃあ、政府のイヌを斬りたい放題ってこと?」

「勘弁してよ。こっちの扇くんはもう六人殺してるのに」

「死んだのは三人だけだ。残りの三人は半殺しでやめてる」

「とにかく」と、クチバシ先生は革鞄グラッドストンを診察室から持ち出した。「士官の上の人間を探して話をつけないと。ああ、ほんと、まずいことにクチバシを突っ込んだわ。後で弁済させるからね」

「まだ何も壊してないぞ」

 先生は鞄の留め金を外した。なかには青いセッツ紙幣が六個の束になっている。

「賄賂か」

「ちまちまため込んだ六百円。ここまで貯めるのに六年かかったし、倫理的にも危ない橋を渡った。そのまま死なせたほうが世のためになるような盗賊を手当てして、ろくな使い方しないと分かっていながら中毒者たちにモルヒネを処方して、自分じゃ効能を信じてもいないインチキ薬も売った。あと百円貯まったら、この国を出ていくつもりだったけど」

 扉が乱暴に叩かれたとき、クチバシ先生は覚悟を決めて、政府軍と対決することにした。やってきたのはだいぶフランスに被れた軽騎兵隊の中佐だった。左右を細くねじって固めたルイ・ナポレオン風の口髭に真っ赤なズボン、肋骨服の胸には銀の勲章。それは武器を持たない反抗的な百姓たち五十人をひとまとめにして焼き殺した功により、終身統領自らが中佐の胸につけたものだった。

「六百円だ。先生」中佐は前置きも何もなしで取引を切り出した。「それで目をつむろう」

「六百円ね」

「もちろんセッツ紙幣で」

「愛国心はどこへやらね」

「愛国心で紙幣の価値は上がらない。で、どうする? この医院はわたしの部下が包囲している。わたしがちょっと手を上げれば、この病院を蜂の巣にしてくれるぞ」

「誰も払わないなんて言ってないでしょ。ほら」

 クチバシ先生は革鞄を開いて、なかの札束を見せた。

「賢い選択だよ。先生。まあ、今後はまずいことにクチバシを突っ込まず、貯蓄に励むことだ」

 中佐は鞄を取り上げると、悠々と病院から離れた。そして、

「全員殺せ」

 そう命じるなり、弾が横殴りの雨みたいに襲いかかった。弾丸に引き裂かれ、薬棚や寝台が焚きつけになり、窓は全て吹き飛んだ。弾丸同士が空中で衝突して、伏せた扇の頭に火花が降った。扉が蹴破られ、軽騎兵たちは機関カービン銃で手をつけた仕事をサーベルで片づけようとした。まだ子どものような顔をした軽騎兵が窓枠をまたぐ。斬り姫が笑いながら軽騎兵へ飛びかかった。「キャハハハハ!」その手には二本のメス。馬乗りになり、顔、肩、首をメッタ裂きにする。

「まだ生きてるぞ!」

 軽騎兵が恐れの入り混じった喉をふるわせて叫んだ。扇は伏せた頭を上げた。見れば、ラッパを腰から吊り下げた軽騎兵が斬り姫に向かってカービン銃の蒸気機関を操作している。横になった姿勢から体をねじりつつ銃を蹴り上げる。右へ大きく跳ね上がった銃口は屋根から飛び込もうとした三人の軽騎兵へと向き、ピーッと汽笛が鳴った。次の瞬間、三〇・三〇弾の嵐が三人の軽騎兵を屋根ごと蜂の巣にする。ヘマをした軽騎兵が扇の顔へ銃床を叩きつけようとするところで、起き上がり、相手のサーベルを抜き取って、後頭部へ一太刀送り込む。軽騎兵はコマのようにまわって倒れた。

 片手打ちのサーベルはあまり慣れないが、使ったことがないわけではない。銃剣突撃してくる軽騎兵を左へかわし、手首を返して、顔に叩き込む。続いて、胸を突き、刃をねじると、ポキポキと肋骨が折れた。刃を蹴り外す。中尉の肩章をつけた男が物凄い悪罵をしながらサーベルを頭上でふりまわし、扇に迫る。刃を寝かせて、相手の斬撃を受ける。金臭い火花が散る。扇は剣はそのままに騎兵中尉の股を蹴り上げた。ゲッと舌を出して呻いたその顎をサーベルの護拳で殴り上げると、噛み切られた舌がポトリと落ちた。空いた左手の苦無で喉仏をえぐり出したので、これでもう悪罵もできまい。

 そのとき、地面がぐにゃりと曲がり、そのまま横滑りに動き出した。建物全体が川へと滑り落ちているのだ。扇と斬り姫は知らなかったが、クチバシ先生の医療所には非常用脱出装置が組み込まれていた。それを作動させるための三本の鍵はすでに鍵穴にあって、それぞれが四十五度、九十度、百八十度まわされていた。川のほうにいた軽騎兵たちはこの水陸両用病院に轢き潰され、院内に残る軽騎兵は慌てて外に逃げた。

「まさかと思うが」扇は病院が煤まみれの水を下流へ走り始めたのを見て、たずねた。「あの中佐を追うんじゃないだろうな?」

「追うに決まってるでしょうが! わたしからもらうものもらっておいて、こんな真似。絶対に許さん! それにお金も取り戻す!」

 ビゼンの軽騎兵隊はそもそも馬に乗らず、軍用の軽量蒸気自動車〈かぶりおれ〉で移動する。例の中佐はその〈かぶりおれ〉で川沿いの道を逃げていた。それは馭者が座席の後ろから操縦する車であり、従卒が背中を丸めて操縦舵輪にしがみつき、ゴム製の玉を握ってラッパの音を繰り返しながら、邪魔するものを蹴散らしていた。

 大きな窓を取った日光浴治療室で舵輪を操作しながら、クチバシ先生は徐々に〈かぶりおれ〉との距離を詰めていった。今や病院船と化した診療所の蒸気機関は最高出力で推進スクリューをまわしていた。銃撃で削られて重さが半分に減った病院は今にも空を飛びそうなくらい加速していた。その一方で穴だらけゆえに病院は沈みつつあり、病室が一部屋また一部屋とちぎれて、灰色の航跡の上へ哀れな遭難者のように漂い沈んでいった。病院はますます軽くなり、まるで始祖鳥の進化を見るかのように飛行へと確実に近づいていった。ついに操縦室だけが残るようになると、病院船の切れ端ともいうべきものが飛翔した。スクリューが〈かぶりおれ〉から馭者を引っかけて弾き飛ばし、操縦室だけとなった病院は亀の子みたいに〈かぶりおれ〉の上に乗った。クチバシ先生のほうはこれを望んでいたらしく、すでに武骨な仕込み洋杖ステッキを手に真下の〈かぶりおれ〉に殴り込もうとしている。斬り姫はどうやら仕込み杖はまだ未経験だったらしく、斬らせろ斬らせろとクチバシ先生にしがみついた。

「ばかっ! 離しなさいってば!」

「斬りたい! わたしが斬る!」

 そのとき扇は事態が極まった際に隅から現れ、こんがらがった利害の糸を見事に解きほぐす知恵者の役割を果たした。

「脱出しろ! ギリシラズだ!」

 何かおかしいとは思っていた。なぜ〈かぶりおれ〉は追手をまくために川沿いの道から離れないのだろうか? こたえは簡単だった。離れられなかったのだ。〈かぶりおれ〉の車輪は線路の上しか走れなかったのだ。そして、今、この病院の名残を乗せたまま高架線へと上がり、扇はまたまたギリシラズのご厄介になろうとしていたのだった。扇はかつての日光浴治療室にして今は操縦室の壁に体当たりした。操縦室はぐらりと左へ傾き、仕込み杖にしがみつく二人をそのまま手前へと転がした。操縦室がヤクザたちの賭場の上に落ちたときは目から星が飛び散るほどの衝撃を食らったが、奇跡的に背中の傷が開くことはなかった。

 軽騎兵中佐はというと、追手をまけて、セッツ紙幣で六百円が手に入り、おまけに反逆者を葬ったというので、すっかりいい心地になっていた。今度は金でできた勲章がもらえるし、大佐、いや将軍にしてもらえるかもしれない。まあ、部下のほとんどが死んだが、そんなものはいくらでも取り換えが利いた。

〈かぶりおれ〉はこの上なく幸福な軽騎兵中佐を乗せたまま、ギリシラズへと突進していった。

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