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廓雲と扇の剣士  作者: 実茂 譲
第二十九話 是永の扇と刀狩りの国
574/611

二十九の十

 装甲列車ギリシラズは〈谷〉の上を走り、気まぐれに砲弾を降らせる。元はイギリスの兵器会社がオスマン帝国の総督パシャに売りつけるはずだったのだが、オスマン帝国の宮廷政治の気まぐれで買い手が弓の弦で処刑され、行き場がなかったのをビゼンの独裁者が買い叩いたのだ。搭載されている火砲は口径も種類も様々だが、特に恐れられているのが二十五センチ榴弾砲であり、赤い炎の尾を引きながら落ちてくる死の星は〈谷〉にとって災い以外の何物でもなかった。

 ギリシラズの名の由来はこの動く要塞を買うためにかけられた重税を払うため、多くの民百姓が不義理なことをしなくてはならなかったことに由来している。全二十両の車体を三両のドイツ製機関車が押し、車体全体には瓦屋根を意識した迷彩が施されていたため、走る姿は鱗のある蛇のようにも見えた。

 そのギリシラズは〈谷〉の上を走って、ビゼン国最大の兵器工場にして没収した刀の処分場でもある〈レンゴク〉へと向かう。その後、神戸湊の市街をぐるっとまわって、また〈谷〉の上を走っていた。ギリシラズは〈谷〉を走る線路のちょうど真ん中で石炭と水の補給を受けなければいけない。補給駅と石炭を運ぶ蒸気自動貨車トラックの走る道だけは独裁者の部下に固められていて、官製愚連隊であるツルギ党が政府暗殺部隊とともに列車に乗っていた。

 補給駅周辺は瓦に有刺鉄線を絡ませた海鼠塀なまこべいで囲まれていて、侵入者は即撃ち殺されるか新しいサーベルの試し切りにされる。

「ニイさん、ここに潜り込むってのやめときなって」夜助が言った。

「潜り込むだけじゃない。あの鉄の化け物に乗って、〈レンゴク〉に忍び込むつもりだ」

「んなこと、カブト団でもしねえよ」

「寿は失った短刀を探してるかもしれない。それなら、〈レンゴク〉に忍び込むのも馬鹿な選択肢じゃない」

「その前にツルギ党か暗殺屋どもにぶっ殺されちまう」

「こっちだってむざむざやられるつもりはない」

「おれはそんなヤバいことに突っ込んだりしないぜ」

「どの道、おれ一人で忍び込むつもりだ」

 そんなやり取りがされたのが、半刻前。夜助と別れた扇は補給駅のまわりにできた町をうろついていた。屋台や小店が密集していて、独裁者の手先からいかにしてセッツ紙幣を巻き上げるかに知恵が使われていた。そのなかにはスリやインチキ賭博も含まれている。小道の脇には二人の年寄りが座る二つの桶を天秤棒に噛みついた状態で持ち上げるというあまり気味のよくない芸が繰り返されていた。穴あき銭がパラパラと投げられるが、見ている人々はまるで自分の顎を痛めたみたいにさすっている。歯力の芸人は本多風の浪花髷なにわまげに煤で汚れた着物を諸肌脱ぎにしているが、それは背中に何か蒸気機関を使った仕掛けがあるのではないかと客たちが疑うから袖を抜いているらしい。他にも篭脱けや一人相撲といった芸があり、それなりに銭が投げられてはいるが、こうした芸に絶対に銭を放らない連中もいた。

 それがツルギ党だった。除毒器がくちばしのように尖ったマスクに頭巾付き外套を着こみ、ギロチンの刃を細長くしたような形の片手剣を鋼鉄製の鞘に入れていた。ベルトの金具は交差した剣の意匠を凝らしてあって、それがツルギ党の目印だった。ツルギ党員はあちこちで見かけた。蕎麦屋、煙草の美人売り屋台、見せ物小屋、ケチな花カルタ賭博の茣蓙ござ――。

 どうやら補給駅に運び込まれるのは水と石炭だけらしく、警備の任にあるツルギ党員は駅周辺で酒なり食べ物なりを調達しないといけないらしかった。通常の兵士には紙切れ同然のビゼン紙幣で給料が支払われるが、ツルギ党員には価値のあるセッツ紙幣で支払われた。これは独裁国家の経済的敗北を示す出来事だったが、ともあれツルギ党員たちは〈谷〉の真ん中で何の障害もなく金を使うことができた。

 補給駅の警備は厳重で門には鉄製の扉、海鼠壁に出入りできそうな小さな穴は見当たらない。海鼠壁自体は張りつけに鉄板、高さは十尺を越え、瓦に鉄条網が絡みつき隙はない。しばらく見ていると、一匹の蛾が鉄条網に触れるとバチン!と火花を散らして飛び散った。鉄条網は強力な蓄電瓶につながれているらしい。

 侵入口はないかと見廻って分かったのは愚連隊ながらツルギ党はなかなかの訓練を受けていて、隙も無駄もない配置で補給駅を守っていたことだった。だが、もう一周すると少し違う事情が見えてきた。無駄のない配置のなかに一つだけ無駄があったのだ。小さな家屋の中庭へ通ずる入り口にツルギ党員が一人、見張りに立っていた。これではここになかへ侵入する手段があると教えるようなものだ。

 この見張りを始末して入るのもいいが、死体が見つかれば、警戒は強化され、ひょっとするとギリシラズの運行が取りやめになるかもしれない。〈レンゴク〉へ行くにはギリシラズに乗る必要があった。

 そのとき、扇は大きな鐘の音をきいた。石炭を満載した蒸気ガーニーがその馭者台の前に取りつけた青銅の鐘を鳴らして道から人をどかしていた。斬り飛ばした竹束のような煙突から火の粉混じりの煤柱を上げながら、三台のガーニーが補給駅の鉄扉の前に止まった。そこでガーニーは侵入者が隠れていないか、車体の下を覗き、石炭の山を剣で突きまわす。あれに紛れるのは無理だ。ただ、扇が一つ気づいたのは三台のガーニーのうち、最後の一台はやや旧式でまともなブレーキがついていないようだった。鉄扉の前は上り坂になっていて、そこに停止するには車輪に三角形の車止めを噛ませる必要があった。

 ツルギ党員と暗殺隊員たちの注意は一番目のガーニーと海鼠壁に不必要に近づく連中に注がれていて、小さな三角形の木片に気をまわすものはおらず、馭者と機関士は輸送の受領書を受け取りに車を降りていた。扇はその車止めを蹴っ飛ばして外した。そのガーニーは石炭を五十貫ほど過重に載せていた。ガーニーは蒸気を吹きながら傾斜路をゆっくり下り、そのうちそれは加速して、坂のふもとに立っていた終身統領の銅像に激突してひっくり返った。石炭がばら撒かれ、まわりで見ていたものは帽子や手ぬぐい片手に石炭を拾いに殺到した。大混乱に襲われ、正門を見張っていたツルギ党員が暴動と勘違いして剣をふりまわしながら坂を駆け下りた。それを見ていた中庭の見張りは正門が誰もいないことに明らかに困惑していたが(マスクをつけていてもそれが分かった)、結局、中庭よりは正門のほうが大事と考えたのか、持ち場を離れた仲間に変わって正門に立った。

 扇はその隙を狙って、中庭へ駆け込んだ。門をくぐると、ボルディーニ型辻蒸気タクシーの残骸によりかかられたネジレ松があり、工場の裏手にあるらしい細い道につながっていた。道は金属の削りクズを吹き出す窓で行き止まりになっていた。何もないはずはない。おそらくここに駅の構内に侵入できる地下道への入り口があるはずなのだ。工場裏から中庭に戻ると、すでに門の外にツルギ党の見張りが戻ってきていたので、出ていくこともできなかった――少なくとも見張りを引きずり込んで喉を掻き切らない限りは。

 小ぶりの三日月みたいに沿った苦無を静かに手のうちに滑り込ませた瞬間、一瞬だが温風を感じた。それはネジレ松から吹いてきていて、よく見ると松の根元に積もった土がかすかに崩れかけていた。門の見張りにきこえないよう、用心深く蹴飛ばしてみると、土が崩れて、穴が現れた。外の見張りが見つけさせたくなかったのはこれだったのだ。生温かい風は駅のある方角から吹いているらしい。扇はその狭い穴へ猫のようにするりと入り、埃っぽくなった縄梯子で下に降りた。

 光はなく、夜目に自信のある扇でも何も見えなかった。頭のなかで方角をきちんと残しつつ、風の吹く道を選んで進む。土はもろくて、扇が近寄っただけで壁から土塊つちくれが転がり落ちてきた。

(まさか落盤はないだろうな)

 ズボンのポケットにはマッチと小さな薬莢パトロンランプがある。灯をつける誘惑にかられるが、それでも出口から見張りをしているやつがいるかもしれないので、暗闇のなか、温い風だけを頼りに進む。ほとんど手探りで少し息苦しさを覚え始めたところで風が止まった。突然、野獣のような咆哮とともに何かが大きく体を広げて襲ってきた。扇は咄嗟に刀を抜き、刃で斬るかわりに柄で相手の喉と思しき場所へ痛撃を与えた。半ば抜いた状態の是永をそのまま抜き放って相手の胴を薙ごうと思ったが、止めた。相手の吐いたため息に何か感ずるものがあったのだ。やがて殺気は消えてなくなり、狂人の遠ざかる足音がきこえてきたが、今の騒ぎが地上にきこえたのは間違いない。

 扇から見て右に三間ほどのところで、戸板がずらされる音とともに光が差し込み、縄梯子が落ち、人影が三つ降りてきた。

「おい。ランプをつけろ」

「久々にキチガイがこっちにきてる」

「狩ったやつがセッツ紙幣十枚でどうだ?」

「いいだろう。狩っちまおうぜ。キチガイを狩るのはいい運動になる。なにせ生き延びようと町じゅう走らされたからな」

「それよりランプだ。はやくつけろ」

 ハリケン洋燈ランプの火屋のなかで三分芯が燃え出した瞬間、見た刃の閃きが三人のツルギ党員が最後に見たものとなった。誰もが死の床に集まった子どもと孫たちの顔を目にして死ぬことはできないのだ。死んだツルギ党員の外套で刀の血を拭うと、扇は縄梯子を素早く上り、補給駅のなかに入ることができた。古ぼけた屋敷の裏庭で、医療機関を表す赤い十字の木片が軒にぶら下がっていた。薬棚は空っぽで、白いバネがむき出しの寝台が六つ並んでいる。施療屋敷をまわり込むようにして、表を見ると、二台の蒸気ガーニーが巨大な蒸気計算機の真鍮塔をまわり込んで、プラットホームのほうへとまわり込みつつあった。扇とは石垣一つで区切られたプラットホームの北側には黄色く塗った起重機があり、鎖でぶら下げた顎が蒸気ガーニーの荷台から石炭を食い、自動給炭塔へ石炭を吐き出した。扇はふわりと低い石垣を飛び越え、給炭塔のつくる影へ素早く飛び込んだ。給炭塔からはベルト装置があり、装甲列車の給炭車に石炭を流し込むようにできていた。

 地面が震えているのは起重機を動かす巨大な蒸気機関によるものだったが、そのうち震動に強く二度連続してコツンコツンと叩くようなものが加わった。南のほうから夜空よりも黒さが目立つ煙が現れ、装甲列車ギリシラズがその姿を見せた。先頭には線路に置かれた障害物を押しのけるための衝角があり、三台の最新式機関車が喘息患者みたいにあえぎながら、水を求めていた。誰かが装置を動かすと、ゴム製のベルトが動き出し、石炭がざらざらと流れ出した。耳がおかしくなるほどの騒音が頭上から容赦なく降り注ぎ、めまいすら覚えた。ギリシラズはとにかく石炭を食う兵器であり、その運用方法はとりあえず燃料がなくなるまで突っ込み、大砲を撃ちまくって敵陣を乱し、後続の歩兵部隊が石炭を背負って追いつくというものだった。これなら戦争そのものよりも、独裁者が街に天罰を下すほうがずっと使い勝手がいい。

 給炭塔から列車に忍び込めないかと機会をうかがっていたが、ツルギ党員と暗殺隊員がそばで立ち話をしていて、二人の視界に入らずにギリシラズに忍び込む方法がない。それでもベルト装置からこぼれた小さな石炭を見つけると、これで注意を引けると思い、前途が明るく見えた。

 石炭を投げようと思った先で、扉が開き、扇たちを罠にかけた宇喜多大佐が降りてきた。暗殺隊員に二、三の指示を与え、今日、砲弾を撃ち込む予定の座標を取りに蒸気計算塔まで走らせた。マントと毛皮飾りの軍服、独裁者の側近には特例が許されているのか、立派な銀拵えの太刀を騎兵風に佩びている。

(この距離なら殺れるな)

 今後の面倒を考えるとこの場で斬ってしまうのがはやそうだ。扇は鯉口を切った。一気に飛び込んで間合いを詰め、相手が刀の柄に手をやる前に首を刎ねるのだ。

 警報のベルが鳴ったのは膝にためた力がバネみたいに解放されるその直前だった。

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