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廓雲と扇の剣士  作者: 実茂 譲
第四話 そっけない扇と大阪の恋
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四の九

 服装もバラバラの武装した侍たちが見回りの巡査を斬り、阪麗館へ雪崩れ込むのを見た扇は大夜と実篤の救出を試みた。合札を左腕につけていることに気づくと、下手に忍び込む代わりに賊の一人に話しかけ、合札をなくしたと言って、うまい具合に一枚もらうことができた。扇の姿は白のシャツに吊りズボン、軍人風の飾り帯に打刀を差していたから、仲間だと思われても不思議ではない。

 館は酸鼻を極めていた。華美な軍服を纏っていた阪麗館つきの護衛兵は滅多切りにされ、壁や天井に血が飛び散っていた。血に酔ったらしい侍たちが新身試しをするといって捕虜を斬っている。一方で捕らえた商人やその夫人たちが連行されていくのを注意深く見たが、大夜の姿はない。

 この場合、大夜を探すよりも実篤を探したほうが手っ取り早い。

「おい」

 扇は刀の血を燕尾服の切れ端でぬぐっていた筒袖に段袋姿の侍にたずねた。

「なんだ?」

「六代実篤は捕まえたのか?」

「逃げられた。えらく強い女がいて、藤林先生がやられたらしい」

侍が悔しげに眉根を寄せたので、扇は言葉を失ったふりをして、

「藤林先生が? 先生は今どこに?」

「舞踏場だ」

 賭けてもいい。大夜はそこにいる。

 左手を刀の鍔にかけたまま、扇は舞踏場へ走った。

 嵌め木床の上には燕尾服やドレスを着た人々が血だまりのなかに身を横たえていたが、侍も何人か頭を割られるか腕を切り落とされるかしてやられている。フロックコートを着てベルトで刀を下げた中年の侍が仰向けになっていて、まわりで若い侍たちが涙にくれている。これが大夜にやられた藤林という侍だろう。

 では、大夜はどこに?

 扇は藤林の骸を囲んでいる侍の一人に話しかけた。

「先生を討ったという女はどこに?」

「捕らえられて外に連れて行った」

「捕らえた? なぜ斬らぬ?」

 憤慨したかのように扇が言うと、その侍は同情するかのように首をふり、

「堪えろ。なんでもその女、六代実篤と親しい関係にあるらしい。うまく行けば、逃げた六代めをおびき寄せることもできるし、あるいは女に口を割らせて、六代の隠れそうな場所を吐かせることもできよう」

 扇はその場を離れ、外へ通じる拱廊へ駆け出した。柱の並びは二階の外へと通じ、噴水のある前庭が一望できる。

 大夜がいた。

 後ろ手に縛られて、装甲板を張った蒸気自動車へ乗せられようとしている。おそらく侍たちを斬り結んで浴びたであろう返り血のせいで怪我をしているかどうかは分からない。だが、歩き方が少しふらついていたところを見ると、頭に一撃もらっている可能性があった。

 前庭には見えるだけで七人、扇が飛び降りれば、ちょうど下敷きにできる位置に二人、残りの五人が扇にやられる前に大夜を殺す確率は五分五分だが、助ける機会は今しかない。

 扇は刀を抜いて、欄干に足をかけた。

 そのとき、大夜がふり向いた。

 開いた距離にも関わらず、扇の気配を感じ取り、そして目をまっすぐ向けたまま、小さく顔を横に振った。

 斬り込むな。

 そう目で言っていた。

 なぜだと歯軋りしかけて、ハッと気づかされる。

 自分たちは用心番なのだ。

 用心番は見世に揉め事が起きれば、見世と客を守るために働く。

 まだ六代実篤は敵の手に囚われていない。

 大夜が用心番の仕事を全うするためには六代実篤を守らなければいけない。

 それが叶わない今となれば、その役目は扇に引き継がれる。

 扇は大夜の目を見ながら、うなずいた。

 その役目、受け継いだ。確かに果たす。

 そう心で強く告げる。

 大夜は、聞こえるはずのない心中の誓いを扇の目のなかに感じ取った。かすかに笑んでうなずき返すと侍に背中を突き飛ばされ、大夜は装甲車のなかに消えた。

 扇は近くの部屋に飛び込み、一階へ降りる階段を探した。

 大夜が実篤をどこかに隠れさせたとは思えない。襲撃者たちの規模は大きく、大阪のほとんどが今や手中に落ちたらしい。いくら広い阪麗館と言えど、本気で家捜しされれば、あっという間に見つかるだろう。となると、大夜は敵の装いのバラバラなところにつけ込んで、実篤を逃がした確率が高い。

 扇は実篤の服装を思い出した。洋式の舞踏会に出る服は浪人や侍が着るものからは著しく離れていたが、燕尾服を脱いで、襟を外し、今の自分のようにシャツとズボン姿になれば、合札でごまかせないことはない。

 しかし、顔は広く知られているだろうから、侍たちより先に見つけるべく急がなければいけない。

 阪麗館舞踏場の裏庭にも人がいる。片手に下げた洋灯を潅木や花壇にかざしている。逃がしたという前提で考えれば、見るべきは足元ではなくて、もっと上だ。扇は敷地を囲う鉄柵沿いに歩いた。鉄柵は鋳鉄の蔓草模様で一番上が尖っている。

 しばらく歩いて、やっと目当てのものが見つかった。鉄柵の先に白い布の切れ端が引っかかっている。

 抜き身の刀の先でその切れ端をひょいと取って手にしてみると、安いメリヤスなどではない絹の切れ端だった。おそらく柵を越えたときに引っかかって破れたに違いない。

 扇は左右に目を配り、侍たちが足元に注意を向けているのを確かめると、一息に鉄柵を上って、音もなく外の通りへ着地した。

 大阪府庁には火が放たれたのか赤みがかった煙の大きな影が見えている。町のどこかで散発的に銃声が聞こえた。

 昼の繁華が嘘のようだった。武神党の蜂起で夜盗すら夜道を歩くことに脅え、人気がない。ガスの切れた街灯と鎧戸を閉じた店や宿。客も車掌もいない路面電車が窓を全て割られたまま道の真ん中にぽつんと置き去りにされている。煮豆売りの屋台車が横になって倒れ、開いた引き出しからこぼれた漬物が舗道の上でしなびていった。

 道なりに行けば豊橋がある。欄干に手を置いている細身の影を見つけた。月を隠していた雲が動き、橋の上の影が引いていき、蒼白い光に晒される。

 実篤だった。

 扇が近寄ると、実篤は身を固くしたが、白寿楼のものだ、と言い、誤解を解いた。

「大夜に代わって、おれが護衛を引き受けることになった」

「大夜さんは?」

「捕まって、やつらに連れて行かれた」

「ぼくのせいだ……」

「大夜は用心番だ。見世と客を守るのがあいつの任務だ。それにそうそう簡単に死ぬようなやつでもない」

「助けに行かなければ」

「今は無理だ。とにかくどこか隠れる場所に――」

 叫び声が上がった。振り向くと、洋服や小袖を着まぜにした侍が三人、刀を抜いて走ってくる。

「大きく息を吸い込め、川に飛び込むぞ!」

 扇が実篤の体を背中から抱きかかえるように腕をまわし、空気が漏れないよう口と鼻を塞いで、そのまま欄干に腰かけて背中から川に落ちた。

 視界のない黒い水のなかを流れにまかせて、泡一つ上げずに下る。

 実篤が苦しげに身もだえするが、扇はそれを抑えるように抱え込み、下流を目指して、足を器用に動かして泳ぐ。

 息の限界が近づく。水面を見上げると、月明かりの蒼白い筋を遮る黒いものが見つかる。小舟と思って、その陰に隠れるようにして、顔を出す。

「静かに息をしろ」

 そう言って、扇が手を離すと、実篤は咳き込んだ。

 その音が聞かれていないかヒヤリとして、河岸を見上げるが、人の気配はない。

 そこは百間堀川の北端、崎吉橋のたもとで灯を落とした舟宿がいくつか川沿いに並んでいた。その先には崎吉橋のかかる中の島堀川の石垣が見え、そこから左へ目を移すと、その石垣が途切れて、いくつかの水路や支流が安治川へつながっていた。

 安治川の河口から外へ泳いでいけば、天保山にゆける。そこまでくれば、小舟で何とか実篤を大阪から逃がせるかもしれない。

 扇は実篤をしっかり捕まえたまま、安治川へつながる流れへ加わった。なるべく目立たないように川べりをゆき、橋のそばに来ると水に潜った。

 河口に出ると、国内外の汽船が何隻も停泊していて、隠れる物陰に不足することはなかった。ただし小舟は見えない。いつもなら船頭相手に燗酒を売る舟がうろつくところだが、反乱士族は外出禁止令を出したらしく、笹の葉舟一つ見当たらなかった。

 二人は水を吸った服に水底へ引きずり込まれないようにしながら、河口から泳ぎ出て、停泊する船のかたまりを左に眺めつつ、南の天保山を目指した。

 山といっても、丘くらいの高さに過ぎない土の盛り上がりに松が生えている程度のものだが、登って振り返れば大阪の町の一望が立ち勝るという行楽の地であり、葦簾掛けの茶屋や饅頭屋、投網を打って獲った魚を出す店が山のまわりを囲んでいる。

 天保山の岸辺に何とか上がって、海を振り向いた。

 夜が明けてきた。曙光が海に浮かぶ大小さまざまな船に取りつく影を払っていく。

 ああ、と慨嘆とも安堵ともとれる声が実篤の口からもれる。

 海へ振り返ると、セッツ商業政府の旗を上げた甲鉄艦が一隻、大阪沖を遊弋しているのが見えた。

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