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廓雲と扇の剣士  作者: 実茂 譲
第四話 そっけない扇と大阪の恋
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四の五

 原則というものはあくまで原則であって、それは例外や特例という形で引っちゃぶけることがある。しかし、一度、引っちゃぶけると際限なく引っちゃぶけることは全ての原則に共通しているので、人はあくまで原則を守ろうとする。

 八月七日の夜、原則は守られた。

 その結果、寿と久助、すず、そして火薬中毒者は白寿楼の扇の部屋を勝手に占領して、小さな宴を開くこととなった。

 四人はそれを「はぶかれものの叫び」と呼んでいた。

 四人は用心番宴会に潜り込もうとしたのだ。寿が昔取った杵柄で慎重に決定した潜入経路を、あっさり扇に見破られてしまい、天原一そっけないといわれる扇の拒絶にあって、結局四人は追い返されてしまった。

「悲しいなあ」と寿は首をふりつつ、金平糖を一つまみ、口へ放った。「扇が冷たい。すごく冷たい。きみたち、何かしたんじゃないの?」

「なんにもしてねえよ」と久助。「なあ?」

 すずと火薬主義者がうんうんと頷く。今日のすずの陣羽織の折り返しは竹に見立てた節入りの格子模様に五枚笹。四人はそれぞれ食べたいものを持ち寄り、屋台堤で買い求めた冷やし甘酒を貧乏徳利に入れている。そして、その徳利は水を張った盥に氷と一緒に漬けてあった。

「自覚がないことが最大の罪悪だって言ってましたねえ」と火薬中毒者。「あれはどういう意味なんでしょう?」

「日々の恩を忘れて、師範代を宴の席から締め出すほうがより罪が重いと思うんですけどね」

 すずは白州にすえた罪人をはっしと見やるお奉行のような顔で告げて、屋台で買った海老の天むすをぱくりとやった。

 火薬中毒者はスナイドル銃の実包を歯でしっかり噛んで弾丸を外し、中の火薬をさらさらと口のなかに流し込んでいる。

 寿はしらす干し、白かまぼこ、白魚のかき揚げ、鰻の白焼きと白にちなんだものを集めていた。

「しかし、殺風景だよなあ。この部屋」

 そう言ったのは久助だった。

 扇の部屋は六畳が一間、その六畳と廊下のあいだに入る形で三畳が一間あり、六畳間のほうには横町に向いた格子窓や床の間もある。だが、家具は座卓と長持ちくらいでそれももともと置いてあったものをそのままにしているに過ぎなかった。

 久助の言うとおり、殺風景である。

 虎兵衛はあまりに殺風景なものだから、せめて季節の花々を、と三ヶ月前に一本差しの青い花瓶を渡したのだが、その花瓶は何も活けられないまま、床の間にぽつんと置かれていた。

「きちんとしたカラクリ技術に裏づけされた落とし穴や隠し扉が必要だな。この部屋には」

 久助は扇の部屋をざっと見回し、そう判じた。

 それから四人は扇の部屋に落とし穴や吊り天井をつくるという話を肴に甘酒をなめた。そのうち、よい感じに甘酒がまわってくると、火薬中毒者はこの部屋を地雷原にしてみるのも面白いかもしれないといい、すずは師範代をないがしろにした罰として部屋を地雷原にするのはよいことだと後押しした。久助は真剣な顔で地雷の信管作動方式に重量ではなく磁力を応用したものがあり以前から実用化してみたいと思っていたと告白した。寿は門前払いをくったのは悔しいが、いくらなんでも地雷はまずいから、踏むと電気が流れて、ちょっと痛い思いをする仕掛けではどうだろうと提案してみると、火薬中毒者の猛反対に遭った。だいたいのことは平気で受け流せる青年が、電気と聞いた途端、怒髪天を衝くかのごとく、今まで見たこともないほどに怒った。彼に言わせれば、電気などというものはインチキでありゴマカシであり、未来は火薬のものであることを認めようとしないつまらない衒学者たちのおもちゃである。そもそも電気の役割などせいぜい火薬の起爆用の火花を散らせることくらいで、それでさえ、マッチで事足りる仕事をわざわざ譲歩して、電気にめぐんでやったことなのだ、と強く説いた。

 柱時計が十二を指すころ――夜半を過ぎ、客と遊女がせっせと枕を交わし、余裕のある遊び方をする客は見世を後にするべく花魁に送られながら下駄箱に向うころ――そして、扇の部屋で甘酒をあおっていた四人が扇の部屋の畳を剥がして、踏めば蒸気要塞も吹き飛ぶ地雷を仕掛けようとしていたころ、扇たち四人の用心番が見世に戻ってきた。

 扇と大夜はつぶれて、すっかり正体をなくしていた。少なくとも五升は飲んだはずなのに顔色が変わらない泰宗が扇を、飲めばつぶれると分かっていたから酒を断り続けて冷やした水饅頭を食えるだけ食った半次郎が大夜を背負っていた。

「いや、大変なことになりました」

 扇の部屋まで扇を背負い、寿が敷いた布団に扇を寝させてから、泰宗が誰にともなしに言うのだが、その声音はどこか嬉しげだ。

「何かあったんですか?」

 すずがたずねると、泰宗は、

「六代実篤氏です。彼がまたやってきて、宴会の場へ大夜どのを目当てに押しかけてきたんですよ」

 と、説明した。

 泰宗の話では、実篤を連れてきたのは繚乱楼の用心番で、大夜が困る様を肴にしようとしたらしく、その用心番はその場で大夜にとっ捕まって籬堂の板の間から経師ヶ池に放り込まれた。

 大夜は実篤を池に叩き込んでやろうとしたが、昼間に扇たちと交わした会話を思い出し、池に叩き込まれることはこいつにはご褒美なのだと思いなおして、実篤などどこにもいないかのように無視をすることにした。

「あの、質問なんですけど」と、寿。

「なんでしょう?」

「どうして、扇はこんなふうに酔いつぶれてるんです? いくら〈鉛〉をやめたからといっても、こんなふうに隙だらけになるようなことを好き好んでやるやつじゃないはずなんですけど」

「わたしもそう思いましたが、一人手酌で黙々と飲んで、勝手につぶれてしまったのです。まあ、扇どのにも飲んでつぶれて忘れたいことがあるということでしょう」

「扇さんがお酒に頼ってでも忘れたいと思っていることってなんでしょうね。師範代として興味が湧きます」

 すずが言った。

「うーん。扇さんが忘れたいこと――わかりませんね。忠実で火薬に詳しい奴隷がいるから、幸せ極まりないはずなんですけど」

 火薬中毒者は両手を上げて降参の素振りをした。

「では、話を戻しましょう」

 泰宗は続けた。大夜は実篤を無視する戦法に出たが、ひょっとすると、こうやって目の前ですげなく無視されることすらも実篤にとってはご褒美なのかもしれないと思い始め、ちらりと様子を見ると案の定そんなふうであった。単刀直入に帰れと言っても、大夜のことだから、どうしても「ヒョーロク玉」とか「スットコドッコイ」といった言葉が帰宅を促す呼びかけのあいだに挟まってしまう。

 大夜はよく考えた結果、一つの提案をした。

 ――あたしと酒で勝負して勝てたら、大阪遊覧に付き合ってやる。

 ここで天原ではなく大阪遊覧と言ったのは、天原で二人連れで歩いた日には、遊女や幇間、そして虎兵衛にどれだけ冷やかされるか分かったもんじゃないと咄嗟に判断したからだ。

 大夜はもちろんつけ加えた。

 ――ただし、あたしが帰ったら、きっぱりあきらめて、明日の朝一番のフネに乗って、陸に帰んな。これで、どうだ?

 こうして飲み大会が始まった。実篤は、わかりました、とうなずいて、二人は並んで座り、枡に酒がたっぷりそそがれた。

 結果は実篤の辛勝だった。大夜は泰宗のようなザルではないが、決して下戸ではないし、週に二日か、三日くらい軽く引っかけるくらいのことはする。

 しかし、実篤の喉は異人と取引した際に飲まされる異国製の強烈な蒸留酒に慣らしてある。体力では大夜に劣るかもしれないが、酒では決して劣らなかった。

「あはは、それはえらいことだ」寿が言った。「きっと大夜さんはそんな賭けをしたことは覚えてないね」

「そこは向こうも大阪の豪商で鳴らす方です」泰宗はいかにも他人事らしく言う。「その場にいた用心番八人を証人にして、きちんと誓約書を作成しました。大阪遊覧の日は八月十一日と決めて、白寿楼に一人使いを出して、ご丁寧に楼主から十一日には大夜は出かけてもよい、という許可までもらったくらいです。ここまで来ては、どうしようもありません。大夜どのはもうどうあっても、あの実篤どのと逢引するしかないというわけです」

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