三の六
「まあ、おれは信じるよ。だって、こいつぁ素敵に楽しい話じゃないか。だが、おれ以外の二十九人の総籬株はおれほどおめでたくないから、よっぽどのことをしてみせないと納得はしないだろうなあ」
虎兵衛の室。扇の説明を受けた虎兵衛が苦笑いを浮かべつつ、手を直垂の袖に突っ込むようにして腕組をしている。
「そのよっぽどのことをしてみせたら、おれを総籬株の会議にかけて、依り代の件を考えてもらえます?」
と邪気のない笑みで寿がたずねる。
「そうだな。それは約束できる。ただ、今日日機械が何でもできる世の中で、人も獣もちょっとやそっとのことじゃ驚かないと来ている」
そう言いながら、虎兵衛は自分の書卓をちらりと見る。そこには久助がつい今さっき持ち込んだ試作品の木製自動人形が鎮座していて、頭のてっぺんの調速機をくるくるまわしながら、帳面の整理をしていた。
「このとおり、七面倒な帳簿仕事を機械が勝手にやってくれる。計算間違いを見つけたら、きちんと直すように仕掛けがされているらしい。すごいもんだ。そもそもこんなでかい島が空を飛んでいるってこと自体がまったく驚きの極致といったところだ。そんな天原でお前さんは何をやって人の耳目をひいてみせようってんだい?」
虎兵衛の目は生まれて始めて海を見る子どものようにらんらんとしている。どうやら帳面仕事から解放されたのと、転がり込んできた三三二一番、もとい寿の申し出に興が沸いたらしい。
寿は赤い蝶ネクタイを少し直してから、
「そうですねえ……仲町の桜を常咲きにしてみせましょうか」
と軽々と言い、立ち上がって、障子窓を開けた。
外は遊廓を左右に貫く大通り〈仲町〉を見下ろせる外廊である。この時刻ともなると、人の賑わいは祭りのようで、そこから仲町を見下ろせば、いろいろな頭が見える。髷、総髪、洋髪、向う鉢巻、山高帽、スジイリのパナマ帽、イガグリ頭、三段重ねのお膳、簪が光る島田。
遊廓の中央を長さにして二百間の仲町が通っていて、その大通りを真ん中で二つに割るように桜の並木が続いている。唐金の青銅ガス燈籠が橙の光を放ち、夜桜を照らすが、それは七月の葉桜である。
寿は帽子を手に取ると、それを投げた。くるくるまわりながら、真っ白な帽子は白寿楼の目の前に立つ桜の木に引っかかる。
帽子の重さで枝がしなったかと思うと、桜の葉があっという間に色あせて、音もなくぽろぽろと落ちていった。すると、左右の桜がやはり同じように葉を落とし、さらにその先の桜が、と言った具合で瞬きするうちに天原仲町の夏の盛りの葉桜五十本が冬の木枯らしに吹きさらわれたような姿になってしまった。
突然の自然の変異に仲町を歩いていたものはもちろんすでに見世に登楼っていた客や遊女、それに雑用係の中郎たちまでが外廊に出て、季節外れの不吉な丸裸の桜を見て、すわ天変地異の前触れかとざわめいている。
だが、それもほんの少しのあいだのことだった。葉を落とした枝の梢が小さくふくらみ始めたのだ。そして、仲町の桜の梢が全てふくらんだ瞬間、いっせいにつぼみが花を開いた。
いまや灯に浮かび上がった仲町の桜は薄紫の影を帯びた花の重さで枝を垂れんばかりになっている。季節外れの桜の開花に言葉を失ったのもほんのわずかなことで、遊客たちはこの華やかな僥倖に歓声を上げ、その花盛りの見事なことを口々に褒めた。
「どんなタネがあるのかは知らないが、さすがは日本一の遊廓だけあるなあ」
「こんな立派な桜の並びはそうそう見られるもんじゃあねえなあ」
寿はというと、盛況ぶりをうんうんとうなずき、微笑むと、あっけにとられている虎兵衛にふり向いた。
「どうです?」
「ほお。こいつは……大したもんだ」
虎兵衛は心の底から感服した様子でこぼした。だが、寿は虎兵衛よりも扇が驚いた顔をしていることが嬉しいらしく、扇と目が合うと片目をつむって見せた。
寿はこほんと咳をして、改まって言う。
「それじゃ、まずは梯子をお借りしようかな。帽子を桜の枝から取り返さないといけないし。で、その後は約束どおり、総籬株会議のほうを――」
虎兵衛が答える前にバタバタと足音がして、襖が開いた。
やってきた四階番が、やはり表の変事にすっかり驚いた様子で口をぱくぱくさせていたが、なんとか虎兵衛に用件を伝えることができた。
「あの、親方。総籬の方々がお呼びです。表の桜のことで話が聞きたいと……」