三の五
おれの本性は結局、〈鉛〉だ。
扇は自室へ戻る途中でそう考えた。
おれの〈流れ〉は人を殺すために渦を巻いている。
この三、四ヶ月で自分は変わった気がしたが、それも幻だったのかもしれない。
大勢の人間を殺した過去も消えたわけではないのだ。
自分が生きていることは興なのだろうか? 今のこの暮らしを大切にしていたいとは思うが、そのために三津屋千鶴のような復讐者を殺せば、二度と興を感じることはないだろう。
もし、〈鉛〉時代の自分に親族なり友人なりを殺された人々が現われたとき、今の扇にはどうしたらいいのか分からない。
――むざむざ殺されたりもするな。
虎兵衛の言葉が思い出される。先の先を読んでいたと知って、いつものことながら悔しさを覚える。
だが、今の自分に扇としてここに生きる資格があるように思えなくなり始めていた。
そのせいか、自室の襖を開けたときもどこか投げ槍なふうだった。見知らぬ、いや、扇の知り合いを自称しているヤマトの暗殺者かそれとも復讐者がいるかもしれない部屋へ刀の鯉口をゆるめず、気配を窺うこともせずに、ほとんど何も考えないまま入っていく。
客が持ち込んだらしいガラスの洋灯が燐光のようにまばゆい白光を火屋から放っていた。その光のなかに客がいた。
なるほど白い髪の客は部屋の奥、扇に背を向けるかたちで書卓の前にあぐらをかいて座っていた。髪は洋風だが短すぎず、上衣の白い襟の上に絹糸のような毛先が垂れている。着ているものは夏用に仕立てられた白い麻の背広で、やはり白く干した麦わらで編んだ帽子がその脇に置かれていた。
客はふり向かなかった。
だが、聞き馴染んだ声で扇に話しかけた。
「言ったろ? キミにはいい忠告をしてくれる人間が必要だって」
客がふりむき、夢のなかで何度も見たことのある顔が愛嬌のある笑みを見せる。
「あっと驚いたかい?」
「ああ」
「ああ、だけかい? ちょっとそっけないね」
「お前は人間なのか?」
「半分はね」くすりと白い客は笑う。「残り半分は神さまさ」
白い客は指先をひょいと上げた。
そのほっそりとした指は小さな白い鳥居を引っかけていた。
向かい合うように腰を下ろした扇の最初の言葉は、
「三津屋千鶴がお前のことを探しているぞ。三三二一番」
それを聞いた白い客――三三二一番は首を横にふった。
「三三二一番じゃなくて。白瀬寿。寿って呼んでよ。それよりもどうしておれがここにいるのかとか、半分神さまってどういうことなのかとか、いろいろきくことがあると思うんだけど」
「神さまと裏取引して生まれ変わったんだろ?」
「おお、正解っ。カンが鋭いね、扇。でも、別に裏取引したわけじゃないよ。ちゃんとした立派な取引だよ。あの白い鳥居に宿った神さまはもっと立派な依り代がお望みでね、で、この空中遊廓をいたく気に入ってね。ここを依り代にしてこの世に顕現するにあたって、おれの御使いにするってことで手を打った。で、おれはこうしてキミの前にいるってわけ」
「どうしてなんだ?」扇がたずねた。「どうして、お前は――」
「扇の見つけた楽園がどんなものか、知りたくなってね。それにさ――」寿は少し恥ずかしそうに笑って耳の後ろをかいた。「生きていたころのたった一人の友達が困ってるのを見るとさ、なんとかしたいと思うものさ。おれもキミ同様、変わったんだね」
「おれは変われてない」
「そんなことはないさ。キミは変わったよ。以前のキミなら、粛清したはずのおれがこうしてのうのうと座っているのを見たら、即刻斬り捨てたはずだ」
「それは――」
「三津屋の千鶴ちゃんか。きっとおれのことを恨んでるだろうね。殺しても飽き足らないだろうね。まあ、そのことは後で解決するとして、おれを総籬株に会わしてくれないかな?」
「総籬株に? なぜだ?」
「白い神さまがねえ、ちゃんとした神社を建てて欲しいってゴネてるんだよ。それにここは総籬株ってのが集まって、物事を決めるんでしょ? じゃあ、その人たちに正式に認めてもらえるようにしないとね」
「あのなあ」扇は今日何度目になるか分からないため息をついた。「その白い容姿は確かに人間離れして見えるが、それでもお前が半分神さまだなんて、そんなこと誰も信じないぞ」
「そのことなら心配御無用。あっと驚くご利益でイチコロさ。もちろん興の乗った飛び切りのやつを用意してるから、大船に乗ったつもりでいてよ」