二の十九
「へぇー、そんなことがあったとはなァ」
九十九屋虎兵衛がウーンと呻る。場所は天原の白寿楼、虎兵衛の部屋。暮れ六ツをまわって見世は賑わい出している。質に入れた半次郎の刀を受け出したり、文七郎が鮫浦村へ帰るのを見届けたりといろいろあって、あれから三日経った。
虎兵衛が続ける。
「汚れ役は全部自分が引っかぶって、妹のために死んでいくなんて、同じ腹から生まれた姉だって、そうそう聞くもんじゃない」
「ただの頭痛持ちだった可能性もある」扇が言う。「それか虫歯」
「でも、その常姫は、これでよい、って言ったんだろう?」
「ああ」
「じゃあ、やっぱりそうだ。そうに違いないや」
「そっちのほうがあんたの好みだってだけだろ?」
「よく分かってるじゃないか。お前さんだって、おれにこの話をするために人死にを避けたんだろうが」
「否定はしない。家老には腹を切られたが、おそらく常姫の秘密を知っていたんだろう。それで墓場まで秘密を持っていこうとしたわけだ。それよりも、あんた、本当に久助と火薬中毒者を天原に置く気か?」
「ああ。こっちとしても、ちょうどいいからな」
白寿楼ではカラクリ番の軍兵衛が貯めた金で自前の機械屋を開いてしまったので、新しく雇える腕のいい機械技師を探していた。例の爆弾自動車の話を聞くと、虎兵衛は面白がり、久助を白寿楼のカラクリ番に迎え、火薬中毒者には花火屋へ働き口を紹介した。
「おれは一応止めたからな」
「そこまでひどいことにはならんだろ。それにそういうやつがいるから世の中は面白くなる。火薬を食っちまうなんて、実に笑えるじゃないか」
「好きにすればいい」
「おう、好きにする。しかし、あの文七郎の若旦那がねえ。立派にやってるとは。何とも嬉しい話だ」
「文七郎はサガミに戻されるのか?」
「あそこは次男が継ぐんじゃないか? まあ、そのうち風の噂で届くだろう。文七郎とおけいって娘。それに胤姫と玄之丞」
「それが、どうかしたのか?」
「なるほど、半次郎の言ったとおり。お前さん、相当鈍いな」
「またそれか。鈍い、鈍い、と。まあ、どうでもいいが、玄之丞には十両を送ってほしい。実際におれは笑った。半次郎が証人だ」
「わかってる。きちんとやっておいた。天原じゅうにあの賭けは終わったと言ってまわった。これからは安心して天原を歩けるぞ」
「そう願う」
立ち去り際に虎兵衛が呼び止める。
「なあ、扇」
扇が振り返る。
「いい仕事をしてくれた。礼を言う」
虎兵衛が頭を下げる。顔を上げたときには扇はいなくなっていたが、虎兵衛には勘で分かる。恥ずかしがって逃げたのだ。
今、扇は笑っている。
それも心からほっこりと。
第二話〈了〉