二の十五
扇がいないあいだ、久助と火薬中毒者は手を結び、大いなる飛躍を遂げた。
千葉荘を治める常姫の武装は印旛沼の闇市でも評判になっていた。千胤城を合わせた五基の蒸気要塞、総砲門数は二百以上。その軍団を打ち破るには、常識を越えた発想が必要だということで意見の一致を見たのだ。
扇が単身偵察から帰ってきたときには、もう図面は出来上がっていた。それは一度作動させたら決して止めることのできない恐怖の炸裂機械らしく、乗り物というよりは砲弾のような形をしている。事実、この砲弾に似た乗り物は蒸気ではなく、火薬の爆発によって動く代物だった。久助と火薬中毒者は蒸気を利用した移動手段よりもずっと素早い動きができると太鼓判を押した。
「人呼んで、火薬機関」
久助が自信たっぷりに言う後ろでは、玄之丞がやや顔を蒼くして、久助を連れてきたのは間違いだったかと思い始めている。
「爆発を推進力と跳躍力に変換した新時代の機関だ」
扇は助けになるものを探して目を彷徨わせた。だが、常識的なものの考え方をする胤姫や玄之丞、木工助ではこの二人の狂気的な鬼才を到底制止できず、半次郎はといえば、姿が見えない。どうも甘味が切れていてそれどころではなく、良質な火薬はほのかな甘みがあるという火薬中毒者の言葉を信じかけているらしい。
「おれには爆発する鉄の棺おけに見えるぞ」
文七郎だけがこの狂気に立ち向かおうとするが、久助は嬉々として、
「でも、この火薬機関搭載の自動車なら、敵が大砲の照準を合わせる前に走って懐に飛び込める。とにかく常識破りな速度が出せるんだ。それに跳躍力にも注目してくれよな。ばーんとかっ飛べば、敵の城の天守閣へ一気に突っ込める。確かにこの機関は走らせたら、最終的には木っ端微塵に吹き飛ぶ。それは否定しない。でも、それもそう悪いことじゃない。だって爆発すれば敵に損害を与えられるじゃないか」
おれはもう限界だ、と文七郎の目が言っている。扇が旅立ってからずっとこれを聞かされているのだ。
仕方ない。扇は理性を司り暴走を抑える役を代わる。
「乗っている人間はどうなる?」
「爆発する前に飛び降りればいい」
「飛び降りられなかったら?」
「それについては深く考えんな」
「この空飛ぶ爆発棺おけをつくる金はどうする?」
「まあ、ざっと百両あれ二日で完成させられる」
「百両なんて金は手元にない」
「聞いた話じゃ――」火薬中毒者がずるそうな顔をする。「半次郎さんの刀は相当いいものだそうじゃないですか」
確かに百両の値で売れるらしい。だが、前にそれを企てた男が手首を切り落とされたことについて教えるべきだろう。
だが、そのことを聞いても二人は少しも怯まず、さらに久助が驚くべきことを告げた。
「実はもう半次郎の旦那は刀を質屋にぶち込みに行っている」
「あの刀をか? どうして?」
「これです」
火薬中毒者が一つの壷を取り出す。梅干が百個くらい入りそうな大きさの壷には八分目まで蜜が入っていた。
「この闇市で唯一売っていた甘味です。僕が買い占めました。讃岐は和三盆の糖蜜です。これと交換に百両といったら、半次郎さんは文字通り押っ取り刀で質屋に飛んでいきました」
半次郎のやつ、甘味が尽きるとそこまで状況判断が危うくなるのか。扇は半ば驚き、半ば呆れる。
だが、と扇は考える。昨夜見た限り、相手の軍備はこちらの予想以上に堅固だった。特に四基の蒸気要塞が曲者だ。互いの死角を援護できるように配置された各要塞には三十門ほどの後装砲がある。千胤城に近づくにはこの四つの移動要塞を何とかしなくてはいけないが、いかんせんこちらには火力がない。
この戦力差を埋めるには少しくらい突飛な手を使うしかないのではないか?
「本当に砲の照準がつく前に回避できるのか?」扇は決して心から賛成しているわけではないと用心深げにたずねた。
「おっ、乗り気になってきたな」久助が揉み手する。「調べはついてる。千胤城に砲を納品した業者と話したんだ。千胤城の正面には十門の米国製一〇〇ポンド・ロッドマン砲と十五門のこれまた米国製三六ポンド・パロット砲がある。どちらも大型砲で狙いを修正するために砲を動かすのにたっぷり一分はかかる。敵が照準を直したときにはこの流星号は千胤城の天守閣に突き刺さってらぁ」
「相手は千胤城以外に四つの蒸気要塞を持っている。その砲撃もかわせるのか?」
「それについては深く考えんな」
「いや、考えろ。それがかわすことができるか否かに成功がかかっている」
久助と火薬中毒者の言葉が急に歯切れが悪くなる。まあ、弾幕を張られると、成功率は五分、いや四分、いや三分五厘……とにかく千胤城の砲撃はかわせるんだから、四つの要塞については深く考えないことにすればいいじゃねえか。
扇は、もしもこれが任務だったら、と考える。手元に火器で武装した千人の兵がいれば、同時攻撃を仕掛けて四つの要塞を占領とまではいかなくとも、千胤城攻略部隊の邪魔をさせないくらいのことができる。
しかし、現実は手勢七名。使えるであろう移動手段は火薬の爆発で動くという背筋も凍る砲弾もどき。
くそっ。扇は毒つく。そもそもこれが任務だったら、自分が夜陰に紛れて侵入して熟睡する常姫の首を掻いて終わりだ。
だが、それはしたくない。
興というのは面倒な代物だ。
何でもいい。何か使える手はないか。
考えても良い案が浮かばない。
使えるものはないか?
扇はみなに荷物をひっくり返して、何か使えそうなものはないかとたずねる。情けないがそれくらいしか思いつかない。
いろいろなものが出てくる。失効した銚子警備隊大尉の身分証。三つに切った絵蝋燭、久助のカラクリ外套から出てくる無数の工具、鉱山主向けに発行された爆薬会社のパンフレット。
扇も持ち物を全て出してみる――棒手裏剣と大き目の苦無、絞殺用の鋼線、髪に仕込んである開錠用の針金、半分に千切れた飛行船の切符、半分に千切れた銚子行き汽船の切符、久助が描いたペロレンさまの見取り図、火薬を包んでいた油紙。
「これだけか――いや、まだあるな」
扇は背嚢を逆さにして振る。すると、小さな白い鳥居と紙切れが一枚落ちてくる。紙切れは銚子で扇に陸上巡洋艦を売ろうとした販売代理人のものだった。
ああ、と扇は過去に思いを巡らせる。あのとき、狂っていると思っていた武器商人たちも、今、目の前にいる久助と火薬中毒者に比べれば、精神安定の見本のように大人しい。
ん? 扇の頭のなかで静電気のようなものがパチッと光を弾く。
扇は木工助に目をやる。見事に白くなった髪と美髯。
四つの蒸気要塞を無力化する手立てが突然舞い降りてくる。
名刺と木工助。
あと必要なのは侍烏帽子と直垂だけだ。