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廓雲と扇の剣士  作者: 実茂 譲
第二話 笑う扇とシモウサの姫
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二の十三

 はやく天原に帰ってもくすぐりの餌食になるだけだ。

 扇はそう言って、さも仕方ない様子で千葉荘を奪還に協力することにした。宿場町の電信所から天原の電信所に電報を打たせ、文七郎の無事とシモウサに残ることを簡潔に知らせた。

 千葉へ向かう一行のなかには玄之丞もいた。それを見た扇は、ちぇすの駒だとつぶやいて、微笑んだ。

「あっ、お前、今笑ったな」

 半次郎に指摘されて自分でも気がついた。確かに笑った。

「十両は誰のものになるんだ?」

「玄之丞のものだな」

「大夜と泰宗の悔しがる顔が目に浮かぶぜ」

 半次郎はそう言い、小気味よく笑いながら、

「賭けはこれで終わったんだから、天原に戻ることもできるぞ」

 扇はまた微笑んで、首を横にふった。

 さっき電報を打ったとき、少し考えてから、追伸でキョウ ガ ワイタとつけ加えたのだ。九十九屋虎兵衛の名で返信がすぐに届いた――シッカリ タノシメ。

 虎兵衛の考え方はどうも伝染する性があるらしい。

 一行は千葉へゆく途上、印旛沼いんばぬま北岸の佐倉という町でいったん留まり、戦略を練ることになった。佐倉は豪族の印西いんざい氏の支配する地域で町外れの高台に蒸気要塞が一つある。印西氏は佐倉に対して機械の専売制を布いていて、印西氏に莫大な矢銭を支払った商人のみに武器と蒸気機関その他機械類の販売を許可している。しかし、それは建前で印旛沼北岸の古い城跡では闇市が開かれていて、製品番号を削られた軍事用蒸気機関や出所の分からない携帯型電信送受信装置など怪しげな品を売っている。この闇市は、独占商人はもちろん、領主の印西氏ですら手が出せないほどに成長し、一種の自治都市を形成していた。

 石垣が幾重も取り巻く城跡には板葺きの粗末な店屋がひしめき合い、城下には帆布地製のテントが平らなキノコのように屋根を張っている。

「これだけの品揃えなら既製の二十分の一の額で蒸気要塞が作れるな」蒸気脚圧調整弁や軒からぶらさがった機械の腕を愛おしそうに撫でながら目を細めつつ久助が言った。「もちろん、いい部品を見極め、機械全体が最高の効率を獲得する設計ができる本物の機械屋がいればの話だ」

「なにか、こう、怪しげな雰囲気が」火薬中毒者は火薬入り鯉こくを売る屋台の前でうっとりとして言う。「火薬の味をより甘く、より深くしてくれる。背徳的な感じ。分かる?」

 胤姫が心配そうに扇にたずねる。

「扇どの。あの二人のことだが――」

「あいつらがどうかしたか?」

「大丈夫なのだろうか?」

「つまり、仲間として大丈夫かってことか? それなら大丈夫だ。人間として大丈夫かということなら、駄目だな」

「だ、駄目なのか?」

「ああ、駄目だ。間違いなく」

 胤姫は紺絣に灰の袴姿で髪を結い、刀は扇のものを借りていた。扇はそのかわりにゴミ捨て場で拾った長さ六尺二寸の両端に真鍮をかぶせた樫の棒を拾い、得物にしていた。

 昔、三の丸があったといわれる石垣の上に宿を取った。建物の半分が石垣からはみ出し、床の下に丸太を斜めにあてがって落ちないように支えている店で、泊り客の命運は丸太に住み着いたシロアリたちの顎に委ねられていた。男六人はそのなかでも一番はみ出た危険な部屋に押し込まれた。身動きするたびに不吉な軋みの音が足元から聞こえ、一歩一歩に命がかかった状態は現在の彼らの立場を如実に表していた。

 敵はシモウサでも有数の大荘園を押さえた豪族で、移動蒸気要塞を少なくとも五基保有している。兵も二百はいるだろう。

 それに対して、こちらは総勢七名。保有していた唯一の蒸気機関は盗品で、しかも昨夜バラバラに砕け散った。

 その状態で常姫率いる千葉の軍に喧嘩を売るのだ。足元から軋みが聞こえる部屋くらい何でもない。

 そもそも使える戦力を見ても、剣は扇と半次郎、玄之丞、胤姫が使えるが、銃は玄之丞だけしか使えない。火薬中毒者は敵の弾薬庫に放り込みさえすれば、砲弾を全て食べてくれるかもしれないが、扇たちが敵の砲の射程圏内に入れば、それで終わり。木っ端微塵に吹き飛ばされる。敵の弾薬庫まで肉薄することは不可能に近い。

 もちろん一発逆転を狙って、扇が単身敵陣に忍び込み、常姫を殺害するという手もある。できない話ではないし、これまで何度もやってきたことだ。

 だが、扇は今回のことは敵の首魁である常姫も含めて、誰の命も奪わないことにした。甘いかもしれないが、あまり人死にが起きると敵討ちを残す。胤姫が千葉を治める際にそれが後々の治世に響くだろう。

 ――というが、本当のところは虎兵衛に興のある終わり方を見せつけたいという念があって、人死にを避けている。

 本当に酔狂だ。認めたくないが、扇は自分に呆れる。

 呆れついでにもう一つ。扇は敵の親玉がどんな人物か見ておくために単身、常姫の館へ忍び込むことに決めた。

 夕暮れ時、かさばる棒は置いていき、途中で着替える潜入用の黒装束と数本の苦無が入った包みを片手に宿を出ようとすると、胤姫がいた。

「扇どの、いずこへ?」

「単身で千葉へ偵察に行く。敵の顔も拝んでおきたい」

「そうか」

「あんたは何を?」

 胤姫は手に持った木刀を見せた。一人素振りの鍛錬に励んでいたようだ。よく見ると、首筋に汗がふき、息が上がっていて、月明かりの下でも頬が紅潮しているのが分かった。

 月明かりの下でも分かる紅潮した頬には見覚えがある。

 ああ、鮫浦村の娘だ。扇は思い出す。確か、おけいと言った。あのときはよく分かっていなかったが、後で半次郎から聞いた話では、おけいは文七郎に惚れている。だが、自分では分不相応だと思っていて、それを切り出せないでいるらしい。扇がそんなことを思い出していると、

「白寿楼、と言ったな?」

「ん?」

 突然、見世のことをたずねられた。胤姫はたどたどしく続ける。

「その、文七郎どのはそこの傾城けいせいに、その、なんだ――」

「惚れていた?」

「あ、ああ。そうだ。惚れていたときいた」

「そうらしいな。だが、おれが来る前の話だ」

「その惚れていたという相手は、え、と、……その……美人か?」

「ああ」

 相手は天原一の大見世の太夫なのだから、そう答えるしかない。

「そうか……」

 胤姫は落胆したような顔をする。

 朱菊太夫が美人だと、どんな不都合が胤姫にあるのだろうか?

 扇にはさっぱり分からないが、このことを半次郎に相談すれば、また呆れ顔で鈍いだの何だの言われるであろうことだけは理解できた。

「用はそれだけか?」扇がたずねる。「詳しいことが知りたいなら、半次郎にきいてくれ。おれはもう行く」

「常姫のことだが」立ち去ろうとする扇に胤姫が言葉をかける。「そなたは暗殺を生業にしていたことがあったときいた。常姫を斬るつもりか?」

「いや。そのつもりはない。説明しにくいんだが、この国盗りはできるかぎり死人を出さずにやり遂げたいと思っている。まあ、信じられないとは思うが」

「いや。信じる」

 ん? 扇は眉をひそめる。胤姫がかすかに安堵の息をもらしたからだ。

「常姫には死んでほしくないのか?」

「ああ」

「あんたの国を乗っ取って追放した相手だ」

「だが、わたしの姉だ」胤姫は言った。「正確には腹違いの姉だが」

「どちらが正室の子だ?」

「わたしだ」

「そうか。まあ、親兄弟で殺し合う。武士なら別に珍しくもない」

「そうだな。だが、わたしには姉上の気持ちが分からない。なぜ謀反を起こしたのか。いまだに信じられないのだ」

「それなら全てが終わった後、本人の口からきけばいい」

 扇は相手の答えを聞かず、走り去った。

 一人残った胤姫は空を仰ぐ。

 藍の影を差した茜雲が夕空に薄くたなびている。

「姉上……」

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