二の十二
宿場の旅籠を借り、そこで胤姫が目を覚ますのを待った。夜が明けて、はるか東のペロレン宗の都の上の空が白み始めたころになって、胤姫は意識を取り戻した。
「う……」
半次郎たちが見つけて連れて来ていた老僕の木工助が涙を流しながら、ただただ身を震わせている。
布団から半身起き上がった胤姫はたずねる。
「じい、ここは? 文七郎どのはいずこに?」
「粥をこさえに厨に行っている」
胤姫は背後から聞こえた声に驚き、振り向いた。
そこには黒装束の少年と金平糖をボリボリ食べている大兵の侍が座っていた。
「そなたらは何者だ?」
「白寿楼の用心番だ」
「白寿楼?」
「細かい説明を省くと、ここには鮫浦村のおけいに頼まれて来た」
「おけいどのが?」
「あんたと文七郎が道中安全に過ごしているか見てほしいと頼まれた。そうしたら、案の定、あの寺に二人とも捕まっていた。ここはあの町から離れた宿場町だ」
「そうか……あそこから逃がしてくれたのか。礼を言う」
胤姫は布団から身を出して、膝を揃えて、扇と半次郎に頭を下げた。凛とした、という言葉が非常にしっくりくる美少女で、見るものをうっとり見惚れさせるよりも、気を引き締めさせる容貌だった。元暗殺者と遊女屋の用心棒に頭を下げて礼を言うその姿にさえ、貶めようのない気高さがある。生まれつきのものだろう。
玉子粥の大鍋と器を人数分、盆に乗せて文七郎と火薬中毒者が戻ってきた。
「文七郎どの……」
「目が覚めたかい?」
「ああ。彼らが助けてくれたときいた」
「その前に腹ごしらえをしよう。玄之丞の分は取り除けてあるから、存分に食べてくれ」
「玄之丞?」胤姫はハッとしてたずねた。「相馬玄之丞もいるのか?」
文七郎は玉子粥を入れた器を差し出しながら、胤姫にうなずいた。
「そうか。玄之丞が……。無事に落ち延びられたのだな」
胤姫の表情が安堵で緩む。
温かい玉子粥を食べながら、半次郎にこれまでのいきさつを説明させる役目を押しつけると、扇は座を立ち、部屋を出た。
旅籠の裏手に広がる草むらを少し進むと、へこんだ土地がある。そのよく注意しなければ見えない位置に玄之丞が座っていた。既に服の前を開けて、紙に包んだ短刀を前に置き、介錯代わりのピストルを脇に用意していた。
「気づかれないよう、十分気をつけたつもりだったが」窪地に降りてくる扇を見ながら、玄之丞は少し気恥ずかしそうに微笑んだ。
「それについては気にするな。それより、あんた、ここで死ぬ気か?」
「ああ」
「意外だな」
「何がだ?」
「あんたはこのまま、胤姫に仕えると思っていた」
「わたしにその資格はない。千葉での戦に負けた後、わたしは姫が生きているという噂を聞いたことがあった。それなのに、銚子から離れようとしなかった。もう、姫は死んだと心で勝手に決めつけ、警備隊の職務に拘泥してしまった。主が一番必要としていたそのとき、わたしはそばにいることができなかった。だから、死ぬのだ」
「侍の理屈はいつ聞いても難しいな」
「理屈ではなく義なのだ。ついてはわたしが腹を切った後のことを託せないだろうか? できることならば、胤姫さまが千葉荘を奪回するのに手を貸してほしいが、そなたと半次郎どのにはそこまでする義理はない。だから、せめてわたしが死んだ後、この刀を胤姫さまに渡してほしい。姫の刀はあの寺で取られてしまったらしい」
「まあ、頼まれれば、引き受けるが、でも、あんたがここで腹を切るのは少し困る」
「なぜだ?」
「興が冷める」
「興?」
「すまない。もっと現実的な話をしよう」
扇は玄之丞の前にあぐらを掻いて座り、指折りしながら、一つまた一つと告げる。
「まず、おれについてだが、おれはついこの間まで暗殺者だった。ただ人を殺すことだけを考えて生きてきた。次に半次郎だが、なるほど腕は立つ。だが、甘味が切れると、動きも考えも鈍り、極度の無関心に陥る。文七郎は義理堅い性格とたくましい体格をしているがそれだけで武芸も兵法も知らない。久助もからくりに詳しいが、やはり武芸と兵法はからっきしだ。じいさんは忠義一番だがいかんせん老齢だ。すると、胤姫の手元には火薬中毒者だけが残る。ここまで説明すればわかるだろ?」