二の十一
ペロレンさまの尻尾の入口から外に出ると、火薬中毒者は気絶している僧兵のレンコン銃を手に取り、薬室を開けて実包を取り出した。そして弾丸を歯で外して吐き出し、中の火薬をさらさらと自分の口に注ぎ込む。
「三級品。失格。活きが悪い」と、火薬中毒者。「英国製のボクサー実包に使われる火薬なら弾も二百メートルだってまっすぐ飛べるけど、この偽ボクサーの火薬は五十メートル飛ばないうちに弾がおじぎして地面に突き刺さる」
「あんたたちは寺を出ろ」扇が言った。「仲間が脱出用の車を用意している。白寿楼の半次郎がいるから、あんたのことも見れば分かると思う」
「お前はどうするんだ?」文七郎がたずねる。
「胤姫を連れ出すつもりだ」
「なら、おれも行く」文七郎が言った。
「僕も行くよ」火薬中毒者も言う。
扇が首を横にふった。
「だめだ。僧房に忍び込むんだぞ? あんたたちは足手まといだ」
「お前は胤姫さまの顔を知らない」
「それに萩の室がどこにあるかも知らない」
二人の言うとおりだった。扇自身、夕暮れまで粘って何度か僧房のほうへ偵察に行こうとしたが、どうしても内部を探ることができなかった。それに胤姫の顔を知っているのはこのなかで文七郎だけだ。
文七郎と火薬中毒者はじっと扇の顔を見ている。
扇はため息をつき、
「分かった。ついてこい。ただし、おれが合図するまで隠れているんだ、いいな?」
扇は顔を黒布で隠しなおして、僧房のある区画へ静かに走った。僧房区画は高い築地塀に囲まれていて外からは様子が分からない。門は閉じていないが、五人の僧兵が篝火のそばで立ち番をしている。
正面突破は論外だな。扇は辺りを窺う。本当ならペロレンさまを吹き飛ばして、見張りを全員本堂へ集める計画だったのだが、火薬中毒者の悪食によって、その計画は潰えた。
だが、次善策を持たずに敵地に忍び込むのは素人のやることだ。甲で駄目なら乙で行く。扇は背嚢から折り畳み式の弩を取りだした。小さいが強い弦を張った弩には一本の矢をつがえる。その矢には絹糸のように細いが、決して切れることのない鉄線が結びつけてある。
おあつらえ向きの高台も見つけた。樹齢数百年を越える大きな松が生えている。その枝に登れば、僧房を一望でき、侵入路を決められる。僧房の内部を探るのに絶好の場所だと昼間から目をつけていたが、まさか白昼堂々と松に登るわけにはいかない。
扇は後に続く文七郎と火薬中毒者が登りやすいように苦無を幹に刺して、簡単な足場を作りながら、高い位置に伸びている太い枝を目指した。
扇の思った通り、僧房区画が一望できる。下り斜面に立てられたいくつかの寮舎と小さな寺院、それに書物庫らしき塔。僧兵は十人。決まった道を歩いている。灯は写経をしている僧たちの舎以外には点っておらず、見張り用の櫓はない。
好都合だ。扇は火薬中毒者に萩の室――細長い平屋――を指差させる。扇は弩を構えて、室の屋根に作られた木製の煙り出しに狙いをつけて、引き金を絞った。
ヒュンっと細い鞭をふるったような音が鳴って、鉄線付きの矢は二つの僧房の上を飛びすぎて、狙い通り煙り出しに突き刺さる。
強めに引っぱって、矢がしっかり刺さったことを確認すると、扇は鉄線を松の幹にしっかり結びつけて、弩を分解する。三人がその部品を使って鉄線にぶら下がり、そのまま屋根まで滑る。
数秒後には三人は萩の室の屋根に降り立っていた。屋根は入母屋造りで木格子のはまった両端からなかの屋根裏を覗くことができる。
以前は絞殺用に使っていた鋼線で格子を三本切り、屋根裏に侵入する。梁材の上を歩くよう文七郎と火薬中毒者に注意しながら、文七郎に部屋の天井になっている板材の節穴から部屋を一つ一つ確認させる。
「胤姫さまだ」三つ目の部屋を覗いた文七郎が興奮を抑えた声で言う。
「確かか?」
「間違いない」
扇は天井から部屋を覗いた。胤姫らしき白装束の少女が正座していて、そばに四十過ぎの尼僧が剃刀を用意していた。尼僧は胤姫に背を向けている。
扇は音を立てないよう注意しながら、天井の板を外し、胤姫と尼僧のあいだへ降り立つと、尼僧の首の付け根にトンと手刀を見舞う。尼僧は呻き声一つ上げず倒れた。
上を見ると、文七郎がもどかしげに扇の合図を待っている。
手で制して、外に通じる障子を少し開ける。
誰もいない。
扇は降りるよう合図した。
二人は扇が顔をしかめるほどの音を出して着地したが、それを他の誰かに聞きつけられた様子はない。
「胤姫、無事か? ……胤姫?」
胤姫の目は文七郎をうつろに見つめているだけで、何の反応もない。
「薬で大人しくさせられてるだけだ」扇が言った。「命に別状はない。あんたが担げ。おれは脱出地点までの道を確保する」
僧房区画を囲う塀を越え、光の届かない闇から闇へと身を移しながら脱出地点に定めた総本山裏手の松林まで、文七郎と火薬中毒者がついてこられる速度で走った。そろそろペロレンさまの本堂で倒した見張りか、僧房へ降りるときに使った鉄線が見つかるころだ。計画では久助が総本山の蒸気自動車を一台盗み、半次郎と玄之丞は老僕を見つけて、シモウサ西部につながる街道の最初の宿場で落ち合うことになっている。
寺院から変事の生じた際に鳴らすことになっている鐘がけたたましく鳴り始めたころには、久助の運転する蒸気自動車が松林の中で鐘に負けないけたたましい音を立てて走りこんできた。
「ブレーキが利かない!」久助が馭者席で叫んだ。「このまま飛び乗れ!」
最初に胤姫をかついだ文七郎、次に火薬中毒者を車へ押し込み、最後に扇が飛び乗った。
深夜の鐘の音に住民が起き出した。蒸気自動車は寺の敷地から脱出し、民家の並ぶ道を突っ走った。ペロレン宗の宗都から完全に逃げ切っても、車は速度を落とさず、というより落とすことができず、そのまま宿場へ走りこんだ。五人を乗せた車は真っ青な顔をした半次郎と玄之丞の前を風のように走り去り、小さな宿場町を飛び出した。速度を落とすのに使える上り坂を見つけられなかった久助は乗客たちにもう飛び降りるしかないことを告げて、馭者席から本当に飛び降りてしまった。暴走する車から草むらの上へ、胤姫をしっかり抱きかかえた文七郎が、頭をかばうように首をひっこめた火薬中毒者が、そして、最後に扇がきれいに受け身を取りつつ転がり落ちた。
ペロレンさまの形をした蒸気罐を乗せた車はそのまま速度を上げて、町外れの谷に飛び込み、石だらけの斜面の上で喧しい音を鳴らしながら、バラバラに砕け散った。