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廓雲と扇の剣士  作者: 実茂 譲
第二話 笑う扇とシモウサの姫
28/611

二の十

 巨大な木の亀は参拝者からは見えない裏側の尻尾の根元に地下への入口を隠していた。気を失った僧兵が倒れている。そばには覆面に黒装束姿の扇が刀を背負い、地下への梯子口を覗き込んでいた。

 梯子を音もなく滑り下ると、久助の見取り図通りに空洞があり、廊下が伸びていて、動力を巨大な木亀に伝えるための動力伝動軸が十七本地下から地上へと伸びていた。廊下には欄干が取り付けられていて、そこから下を眺めることができた。ペロレンさまがすっぽり入るくらいの空洞のあちこちに作業足場が鎖で吊るされていて、五人から十人ほどの男たちが伝動軸に固定された押し車の棒を回しながら、ペロレンペロレンペンペロレンと呻るように唱えていた。


 ペロレンペロレン ペンペロレン

 ペロレンさまを ペレロンさまと

 二度と言い違えたり いたしません

 ペンペンペロレン ペンペロレン


 ペロレンペロレン ペンペロレン

 二度とお坊さまに 唾を吐いたり

 いたしません

 ペンペンペロレン ペンペロレン


 奴隷たちは何らかの懲罰のためにここにいるのだった。扇は見張りの僧兵の位置を確かめた。作業足場にいることもあれば、いないこともあったし、逆に狙撃にもってこいの場所にノルデンフフェルド速射砲をすえつけてあったりすることもあった。

 文七郎を見つけた後の脱出については必要であれば、この人力機関を停止させ、ペロレンさまを内部から破壊することも予定に入っている。久助の見取り図には地下空洞最上部に地下から地上へ動力を伝える動力主軸の歯車があるので、それを破壊すれば、ペロレンさまは致命的な故障をすると殴り書きがしてあった。

 問題はどうやって破壊するかだが、それは扇の背嚢に入っている重さ一貫の爆薬が解決してくれる。銚子要塞から逃げるのに使う車に積まれていたもので、何かの役に立つだろうと思って持ち出したのだ。

 爆音が鳴るのは忍び込むにはよくないが、この場合は吉と出る。何せ信者にとって命より大切なペロレンさまが動かなくなるのだ。寺じゅうの僧侶たちが大騒ぎで本堂に集まる。つまり、胤姫が捕らわれているであろう尼僧の房へ侵入しやすくなる。騒ぎが寺の外のほうまで広まる前に二人を連れて外に出たら、この町を出てしまえば、ペロレン宗徒たちも深追いはできないだろう。

 扇は天井から垂れた鎖を伝って音もなくするすると下り、速射砲の見張り台にいる僧兵の後ろに降り立つと、見張りの首に腕をまわし気を失うまで絞めた。そうやって見張り台の僧兵を一人また一人と無力化して行動可能な領域を広げると、暗闇から暗闇へと移動し、押し車をまわす男たちの唄に耳を傾けた。

 罪を悔いる唄の内容は多岐にわたった。他人の持ち物を盗んだとか、堂内で博奕をやったとか、尼僧をいやらしい目で見たとか。

 薄々感じていたことだが、二百人以上の奴隷のなかから面識のない文七郎を探すことは至難の技に思われた。半次郎から教えられた特徴もなよなよした商家の若旦那のころのものであり、鮫浦村で一年暮らした文七郎はおそらく別人のようになっているはずだ。

 止むことのないペロレンの唄が自分の犯した罪を悔いるための唄なのであれば、歌詞に注意すれば、文七郎にぶつかるのではないかと思うのだが、どの作業足場からも聞こえるのは些細な罪の告白であり、亡国の姫を尼にすることを拒んだ罪を告白するものはいない。

 ついに最低部まで降りてきた。空洞の底は円形の広場であり、十二の出入り口が鉄格子の扉で閉じられていた。中央には篝火が焚かれていて、縛られひざまずかされた書生らしい若者が二人の僧侶に竹を束ねたもので引っぱたかれていた。

 僧侶たちはペロレンさまに許しを乞い、ペロレンさまを崇めよと強制し、かわるがわる折檻を加えているのだが、若者は大きな声でこう言うのだった。

「アントファガスタ産の硝石を使ったイギリス陸軍用黒色火薬に勝るものはない! ペロレンさまなんて三級の紙火薬ほどの価値もない!」

 銚子で出会った火薬中毒者だった。妙な縁だと思い、扇は壁に背をつけた。円形の底には中央の篝火があるだけで壁まで光は届かない。だから、壁に沿って動けば、見咎められることはない。

 そう思った矢先に、火薬中毒者がくんくんと鼻を鳴らすなり、ぴょんと立ち上がった。

 嫌な予感がした。

 案の定、火薬中毒者は闇に隠れて見えていないはずの扇のほうを真っ直ぐ見つめて、

「アントファガスタ! アントファガスタ!」

 と、叫んだ。

 扇は火薬中毒者が叫び始めたときにはもう舌打ちし、身を低くして篝火の灯のなかへ走り込んでいた。そして無駄のない流れるような動きで二人の僧侶に驚く隙も与えず、急所に一撃ずつくれてやり気を失わせた。

 一方、火薬中毒者のほうも同じくらい素早い動きで扇の背嚢に頭を突っ込んで、包みを食い破り、火薬を貪り始めた。扇が引っぺがしたころには一貫はあった火薬がきれいさっぱりなくなっていた。

「僕はもう幸せだ。信じられるかい? アントファガスタ産の硝石が僕に食べられるために太平洋を旅してくるなんて」

 火薬をペロリと平らげ幸せそうに笑む火薬中毒者を前にして、扇は絶句した。こんなマヌケたやり方で任務をしくじるとは。自分のことを任務遂行のためだけの道具だと思うのはやめていたが、それでもこれはあまりにもひどい。

「やあ、顔を隠しても目で分かる。きみとは確か銚子で会ったね」

 火薬中毒者は上機嫌で言った。

「今はそれが恨めしい」

「まあ、そう言わないで。あんなおいしい火薬をごちそうしてくれたんだ。約束どおり、僕はきみの奴隷になるよ。なんでも命じてみてくれ」

「死ね」

「それは無理だなあ。だって、僕は死ぬときは極上の火薬を過剰摂取して死ぬって心に決めてるんだ。そして、その火薬はまだ発明されていないってわけ。他の命令はないかい?」

「文七郎」

 駄目でもともとだと思いながら、扇は名前を出した。

「お姫さまを尼にしようとしたのに反抗した彼だね」

「知っているのか?」

「おや? 意外そうな顔をしているね。閉じ込められてる場所なら分かるよ。そこに倒れている僧侶が鍵の束を持っている。鍵には干支の絵が描かれているだろう? まず八番の鉄格子に戌の鍵を使って進み、次の部屋では四十三番の牢屋に丑と寅の鍵を同時に差すんだ」

 火薬中毒者の言った通りに牢を開けて進むと、中背で体が引き締まった若者が閉じ込められた部屋にたどりつくことができた。若者は蓆の上に横になっていた。扇は文七郎を見て、火薬中毒者と出会えたのもそう悪いことではないかもしれないと思えてきた。というのも、文七郎からは、半次郎の言う青白い商人の息子らしいところはすっかり消え、漁師町に生まれついたように日焼けしてがっしりとした体づきになっていたからだ。

「あんたが文七郎か?」

「そうだが、あんたは?」文七郎は横になったままたずねた。「黒ずくめで顔まで隠して、まるで忍者みたいだぞ」

 扇は顔が見えるように覆面を下げた。

「ここから逃げるぞ」

「待ってくれ。あんたが誰だか分からない。悪いがあのペロレン連中の仲間なら――」

「おれは白寿楼から来た」

「白寿楼?」

 文七郎はポカンとした。

「どうして白寿楼が? おれに何の用だ?」

「詳しく話している時間はない。胤姫を助けたいなら付いて来い」

 文七郎がガバッと跳ね起きた。

「胤姫さまがどこにいるのか知っているのか?」

「まだ突き止めてはいないが、おそらくは尼僧用の僧房に――」

「萩の室だ」火薬中毒者が代わりに答えた。「尼削ぎの儀式が終わっていない尼はみんな一度萩の室に集められる。そこにいるよ。でも、たぶんだけど、髪は切られちゃったかもしれない。でも、つるつるにするわけではなくて、うなじが隠れるくらいの長さに切るんだ」

「あんたは何者だ?」

「僕は彼の奴隷なんだ」火薬中毒者は眼鏡と学生帽をなおしながら、扇を指した。「実はここに捕まるのは初めてじゃなくてね。もう二十回くらい捕まってる。坊主どもが僕に火薬への忠誠を否定させようとするけど、そのたびに脱走しているんだ」

「奴隷? 火薬?」文七郎は首を傾げた。「さっぱり分からないんだが」

「少し黙っててくれ」扇は火薬中毒者に言い、文七郎に言った。「とにかく上まで上ろう」

「見張りがいる」

「全て無力化した。行くぞ」

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