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廓雲と扇の剣士  作者: 実茂 譲
第二話 笑う扇とシモウサの姫
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二の八

 朝靄のなかに村や田畑、雑木林、領主が住む蒸気要塞の影がゆらめき、曙光の差し具合で時おりハッとさせられる色を見せる。なぜハッとするのかはどうしても分からないのだが、その色に染まった建物や樹木を見ると、自分はここで何をしているんだろうという気持ちにさせられるのだ。

 扇は西へ走る蒸気自動車の馭者台の隣に腰掛け、久助の愚痴をきいていた。久助がいうには自分にもささやかな地位と財産というものがあり、それをこんな形で放棄することにどうしても納得がいかないというのだ。

 ただし、銚子における彼の地位とは、人員に空きが出るまで見習い期間が終わらない日給銀三匁の機械技師候補であり、そして財産である彼の工具は全て彼が今着ているカラクリ外套のなかにあったことを考えると、久助は自分で言うほど大したものを銚子に残していない。

 ただ愚痴を続ける久助は扇が同年代なので話しやすいと思ったのだろうが、扇は考え事をしていたので、久助の愚痴を全く聞いていなかった。

 今の状況は扇にとってなかなか複雑なものであった。〈鉛〉として人の命を奪っていたときは物事は味気ないほど単純で、遂行すべき任務もきちんと定まっていた。

 だが、白寿楼に関わったその日から、そうした決まりがめちゃくちゃになり、果たすべき目標はそばへ近づくとぐにゃぐにゃと姿を変えて、また新しい目標が据えられる。本来の任務は文七郎の状態を見に行くだけだったのが、どういうわけだか、シモウサに向かうこととなり、銚子の要塞で三百発近い弾丸をばら撒きながらの脱走までするハメになった。

 しかも、シモウサへ行くという決断は他ならぬ扇が下したものなのだ。

 シモウサ行きを決心したのは文七郎の姿をこの目で確認するまでは任務を完遂したとはいえないからだ。扇もそのつもりではある。

 だが、実際にシモウサ行きを決めたとき、あのおけいという少女に見つめられながら決断したとき、虎兵衛であったら、どんな行動を取るのだろうか、とほんの一瞬だが考えた。

 それが妙に悔しくて、悶々と物思いにふけっている。

 昼飯が食べたくなり、街道沿いの小さな宿場で車を止めた。半次郎は茶屋に駆け込むなり、たっぷり密をたらした団子を五十本ほどこれまで食べられなかった分を取り戻すつもりで食べた。思考の燃料である甘味が尽きて、物事に対する関心を失いつつあった半次郎もここでようやく気力を取り戻した。

「おかげでいろいろききたいことが出てきたぜ」半次郎は言った。「玄之丞と言ったな。あんたがいなけりゃ、おれと扇はいまごろ銚子の牢屋のなかで苔でもむしって食ってたところだ。それを出してくれたのはありがたいが、理由が分からないのが、妙に引っかかる。教えてくれてもいいんじゃないか?」

 玄之丞は半次郎を、次に扇を見た。どうやら久助を探しているようだったが、久助は茶屋の裏手に止めた車相手にかかりきりになっていた。玄之丞はため息をつき、話した。

「胤姫さまはわたしの主、いや、元主だった」

「へえ」

「奮闘叶わず、腹違いの姉、常姫つねひめさまに千葉の所領を奪われた際、討たれたときいた。それを信じたわたしは銚子へ落ち延び、生きるために警備隊に仕官した。これで分かってもらえたか?」

「ああ。ところで常姫ってのは? そいつが敵の親玉と考えていいのか?」

 玄之丞は黙ってうなずいた。

 そこに久助がやってきた。

「悪い知らせともっと悪い知らせがあるんすけど」

「悪い知らせから聞かせてくれ」と、玄之丞。

 久助は街道の向こうを指差した。街道の先には土煙がうっすら立ってけばけばしい色の衣を着たものたちが大勢蠢いていた。

「新興宗教の信者たちが街道を踊りながら練り歩いてるっす。あれを通り抜けるのはかなり時間がかかりますよ」

「わかった。それで、もっと悪い知らせは?」

「車がオシャカ。もう一寸だって動かないっす」

 汽罐には銃弾がつくった穴が三十ヶ所以上あった。久助はその穴を塞ぐために真鍮を叩き延ばしたり、穴の開いた蒸気管を使わずに済むよう細い竹で脇道をつくって蒸気の流れを変えてみたり、あるいは異人の酒瓶の蓋に使われるコルク栓を穴に突っ込んでみたりしてみた。

「やれるだけのことはやったんすよ」

「だが、駄目だった?」

「あれを治せるのは奇跡だけっすよ。そんな奇跡が起こるくらいならシモウサの戦争だって終わるってもんす」

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