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廓雲と扇の剣士  作者: 実茂 譲
第二話 笑う扇とシモウサの姫
25/611

二の七

 大都市は人と金を引き寄せる。情報もまた引き寄せられるものの一つだ。何の計画もなく無用心に歩き回って、地雷を踏んだり、大砲で吹き飛ばされたりしないよう、銚子でできるだけ情報を集めたほうがいいという結論に至った。

 扇たちが泊まった宿は、銃砲工場のそばにあった。土蔵造りの建物から四六時中きこえる、金属にライフル用の旋条を刻む機械が放つ独特の、砂利を口いっぱいに含んで歯軋りするような音には閉口させられたが、宿賃の安さが醸し出す魅力には抗し難いものがあった。それにどこの宿屋も似たようなもので、有毒ガスのあぶくがぼこぼこはじける沼のそばだとか、錯乱した武器商人たちを収容した精神病院の隣だとか、何かしらの不便は付き物だったことも宿泊地選定の決断を後押しした。

 銚子に着いて二日目の朝、扇と半次郎は煤がかかっていない朝食と情報を求めて町へと繰り出した。朝食については煤がほんの少しかかっただけの焼きおにぎりを香の物と一緒に食べることで解決したが、情報についてはうまくいかなかった。煤で黒ずんだ空の下、粗末な機械を入れた印刷屋や金属薬莢を作るのに欠かせない水圧プレス機がやかましい音を立てるなかで、捲土重来を胸に秘めたやんごとなき姫とその老僕、そして心を入れ替えたドラ息子を探すという作業は、もう二度とやりたくないと思うほど、とてもとても楽しいものだった。

 その日、扇の話した相手は世界戦争の勃発を予言する錯乱気味の武器商人や後装式大砲の砲尾に興味があるアスベスト至上主義者、弾薬を食べ続けたために黒色火薬中毒に陥った書生などで、彼らはそれぞれの興味――世界戦争とアスベストと黒色火薬以外には全く関心がなかった。

「一番うまい火薬は南米のアントファガスタ産の硝石だね」火薬中毒者が言った。「世界の硝石市場は南米の気まぐれな独裁者たちに牛耳られていて、その独裁者たちはみなイングランド銀行に借金があるから、いい火薬の材料は決まってイギリスへ優先的に流れていく。シモウサ国に来るのはクズばかりだ。もし、きみたちがアントファガスタ産の硝石を原料に使ったイギリス陸軍用黒色火薬を一キログラム用意してくれたら、きみたちの奴隷になってあげよう。いい取引だと思わないかい?」

 町で胤姫の名を出すたびに銚子治安機関の兵士が曲がり角や路地裏の入口、団子屋の暖簾の向こうから一人また一人と現われて、扇たちに付き纏った。兵士たちは韮山笠をかぶりフランスのズアーヴ兵を気取って真っ赤に仕上げた野袴を穿いていた。正午ごろ、時限信管の販売人から胤姫一行はどうやらシモウサ西部へ向かったらしいという情報が入ったが、そのころにはヤタガン銃剣を取り付けたスナイドル銃を装備した兵士が二十人、扇と半次郎を取り囲むようになっていた。

「どうする? 殺すか?」扇が半次郎だけにきこえるよう小声でたずねた。

「お前、何言ってんだ? 相手は実弾装填済みの銃で取り囲んでるんだぞ。ちょっとでも抵抗すれば、レンコンみたいに穴だらけだ」

 打刀と脇差を差した士官らしい若者が二人の前に進み出た。

「胤姫のことを町じゅうでたずねて歩いているというのは、そのほうらか?」

「そうならなんだ?」

「胤姫は既に死んでいる」

「おれたちが手に入れた情報とは違うな」

「情報?」

「胤姫はアワへ落ち延び、そこから再びシモウサに戻ったって話だ。老僕と文七郎って男と一緒に」

 士官が兵士に命じた。「この二人を逮捕しろ」

「でも、大尉」兵士の一人が困り顔でたずねた。「何の罪でです?」

「虚偽の情報を流布し治安を紊乱した現行犯だ」

 そのころには二人を取り巻く兵士は五十人を数えていた。ここで抵抗すれば、目の前の若い士官を含めて十七、八人を道連れにできるだろう。扇と半次郎は、この異常な町の異常な人々の記憶にちょっとした語り草を残すわけだが、それでおしまいだった。二人の骸は利根川に捨てられるか、投げ込み寺の無縁墓地に埋められるか、あるいは治安を司るものたちへ刃向かうことの結末を住人に知らしめるべく、町の中心に吊るされるかのどちらかだった。

 結局二人は工場と見分けのつかない要塞に連行された。実際、そこは工場であり、要塞の半分では銚子警備隊が必要とする装備の数々――スナイドル銃、中折れ式リヴォルヴァー、弾薬、銃剣、革製のベルトと弾薬入れ、水筒、韮山笠とズアーヴ風の真っ赤な野袴を製造していた。

 持ち物を全て取り上げられた扇と半次郎はライフル用銃身製作部門のそばにある低い塔の牢屋に入れられた。牢屋に開いたちっぽけな窓から、口いっぱいに砂利を含んで歯軋りするような機械音が途切れることなくきこえてきた。

「どうする?」扇はたずねた。

「銃殺刑にされるとき、目隠しを拒んで不敵に笑ってやる練習でもしたほうがいいかもしれないな」甘味が切れているせいか、半次郎の答えはどことなく投げやりである。

 扇は髪のなかに隠しておいた針金を取り出した。「この鍵なら簡単に開錠できる」

「じゃあ、逃げるとき、口をぽかんと開けておれたちを見る看守どもを不敵に笑ってやる練習をしよう。ずらかるのは日が落ちてからのほうがいいだろう」

「ああ」

 もともと鉄格子から見える空はもともと薄暗く、夜と昼の境も曖昧だったが、町の半分が燃えているのかと思うほど強烈な夕日が牢屋に差込み、扇と半次郎の頭上を真横に飛びすぎて、向かい側の鉄格子に当たった。そして、陽が絶えると、夜間勤務開始のベルが鳴った。

 夜になったと見なした扇は針金を鍵穴に差し込み、ほんの数秒足らずで鍵を開けた。

 金属を刻む音が延々と響き続ける塔を出て行くと、二人を逮捕した若い士官が立っていた。右手には機関部に真鍮をつかったレバー式連発ライフル。左手は大きな包みを抱えていた。

 剣客特有の鋭い目で扇と半次郎を牽制しながら、左腕で抱え込んでいた包みを二人に放ってよこした。なかを開けるように促され、開けてみると、二人の持ち物が、武器からフランスの軍艦販売人の名刺、扇がうっかり持ってきてしまった白い鳥居まで全て揃っていた。

「おれたちは釈放か?」

「違う。だが、似たようなものだ」

「似たようなもの? じゃあ、仮釈放か? それに、あんたの服、軍服らしいが、ここの隊のものじゃないな。どういうことだ?」

「逃げたいのなら黙ってついてこい」

 扇が半次郎を見る。ここ一日甘いものを口にしていない半次郎は判断力の全てを引っこぬかれたように気だるげにうなずいた。

 三人は城壁上の通路を歩いていた。左右には銃眼を刻んだ胸壁が続いていて、右手の下に兵舎と射撃練習場があり、左には用途不明の鉄の球を作る工場があった。城壁はその工場を取り囲もうとするかのように曲がっていて、途中に降りる階段があった。階段の先では巡回する兵士や出来上がった鉄の球を運ぶ蒸気機関があり、工場の右側を歩いていくと、車庫が見えてきた。

十台ほどの蒸気自動車が並んでいて、真鍮製の罐がケロシンランプの光を反射させていた。そのうちの一台――青く塗られたもの――のそばでレンズ切り換え式の眼鏡をかけた技術屋らしい少年と警備兵が口論していた。

「相馬大尉は今夜、車が必要だって言ったんだ」少年が言った。「もし、大尉が来たときに罐が温まってなかったら、おれが叱られるんだぜ」

「だから、書類を見せろと言っているんだ」警備兵がこたえた。「車両係から車両使用許可状が発行されているはずだ。大尉からもらわなかったのか?」

「もらってない。おれはただここで大尉の車をいつでも走ることができるように言われただけだ」

 士官が、少年に、久助ひさすけ、と呼びかけた。

 久助は士官を見ると、一瞬怯んだが、すぐ悪の在り処を知っているもの独特の傲慢な顔をして、全部こいつが悪いと言って、警備兵を指差した。

「久助、車に石炭と水を」

 はい、大尉、と久助は青い蒸気自動車の罐に飛びついた。

 警備兵が文句を言おうとすると、士官がそれを制した。

「書類は持っている。今、出そう」

 士官は懐に手を入れると、ちょっと持っていてくれと連発銃を警備兵に手渡した。

 警備兵が両手で銃を受け取るや否や、士官の拳ががら空きの鳩尾にめり込み、気を失った警備兵は声も立てずに倒れた。

「すげえや、大尉!」機関士席から立ち上がり、久助が声をあげた。「もろに入った。ざまあみろ、三下。今度から腕のいい機械屋にはもっと敬意を持って接するこった」

 久助が罐相手に作業に戻ると、士官が扇に名乗った。

相馬玄之丞そうまげんのじょう。銚子警備隊の元大尉だ」

 元大尉? 扇はいぶかしむ。今も大尉じゃないのか?

 嫌な予感がした。この士官――玄之丞は二人が釈放されたわけではないと言っていた。そして、今では書類を見せる代わりに警備兵を倒し、蒸気自動車を無許可で使い、扇たちに元大尉と名乗った。

 まるで脱走だ。

 この脱走最大の謎は相馬玄之丞がどうして警備隊大尉の地位を棒にふって、扇と半次郎を逃がしてくれるのか、ということだった。

 ただ、現状ではこれ以外にここから出る方法はない。

 玄之丞は壁からぶら下がった道具のなかから極太の錐とトンカチを選び取り、他の自動車の罐に二つほど大きな穴を開けていた。

「ちょ、ちょっと大尉!」久助が驚いて、素っ頓狂な声をあげた。「何してんすか!」

「他の車が走れないようにしている」罐に錐をぶち込みながら玄之丞がこたえる。

「うーん、でも、そんなことすると、後でまずいことになりませんかね。査問会議とか」

「それはない。ここにはもう二度と戻らないつもりだ」

 久助はぽかんとした顔で玄之丞を見て、そして、座席に乗り込む扇と半次郎を見た。玄之丞は連発ライフルを手に戻り、久助を運転席に座らせた。

 脱走を知らせる鐘が要塞の全工場の機械が黙るほどの大きさで鳴った。要塞のあちこちで銃に弾を装填する不吉な金属的な音がなった。

「出せ!」玄之丞が命令した。

「や、これはまずいっすよ。いっそ――」

 弾丸が車庫に飛び込んで、久助のすぐそばをかすめた。

「行け!」

「ああ、わかった、わかりましたよ! どうなっても知らねえぞ、こん畜生!」

 久助がペダルを踏み込むと、蒸気自動車が急発進した。提灯を手にした警備兵がコルトの海軍拳銃を撃ち、まわりの櫓や銃舎からもライフル弾が車の屋根目がけて飛んできた。だが、弾は車体の木製の表面を穿って装甲板で止まり、力なく落ちていく。

 銃声が途切れることなく聞こえた。蒸気自動車は弾丸から逃げるように右へ左へ曲がり、撃たれた弾は轍が残った地面やピカピカに磨き上げた真鍮の罐、あるいは扇のすぐ目の前にぶらさがった馭者呼び出し用ベルにぶつかった。

 追っ手の蒸気自動車が現われ、銃火がちかちか光るたびに罐に弾丸がめり込む不穏な音がきこえてきた。玄之丞は久助の荒い運転で何度か車から放り出されそうになりながらも、体を内側に向けて窓枠に座り、よく狙った一発で追っ手の車の車輪の軸や座席下のピストンを撃ち抜いた。追っ手の車は乗り手をあちこちに投げ出しながら横転したり、制御を失って食堂に突っ込んで三百人分の味噌汁をおがくずを撒いた床に飲ませたりした。

 そのあいだも玄之丞は窓から半身を出し、櫓や提灯目がけて発砲していた。車のなかに引っ込んで、銃弾を込めながら、扇たちに言った。

「あなたたちも撃ってくれるとありがたいんだが」

 そう言われて、扇は半次郎と目を見合わせ、そして足元へ視線を落とした。蒸気自動車の向かい合った座席の下には弾丸装填済みの様々な口径の銃が転がっていた。球形弾、ミニエ弾、散弾、炸裂弾、焼夷散弾、鋼鉄貫通弾が装填された銃の数々を、扇と半次郎は手にとっては窓の外へ銃口を突き出し、一番最初に目に入ったものへ発砲した。銃についての知識は筒のどちら側から弾が出るかくらいしかない二人の弾は誰も傷つけず何も壊さない無害な方角に飛び去っていった。

 だが、扇が撃ったラッパ銃の焼夷弾が主計軍曹の部屋に飛び込み、見台に開いたままになっていた兵士たちの出勤記録と給料台帳を焼き始めると、追っ手を含めた全ての兵士たちが恐慌状態に陥り、自分たちの給料を守るべく、消火活動に向かっていった。

 その隙に扇たちの車は蒸気洗濯場のなかを突っ切り、要塞司令官専用の茶室をおしゃかにし、最後は閉じた城門を全速力で飛び越えて。銚子の市街地へと着陸した。

「胤姫さまは本当に生きておられるのだな?」

 郊外まで逃げたとき、突然、玄之丞がたずねた。

「聞いた話ではな。シモウサの西部へ向かったらしい」

 扇の答えをきくと、玄之丞は扇から視線を外し、切なげに「千葉荘へ向かわれたのか」と言葉をもらした。

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