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廓雲と扇の剣士  作者: 実茂 譲
第十一話 洛中洛外図扇と梟雄悪御所百鬼夜行
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十一の二十六

 本能寺は寺というより城塞だった。

 本能寺は東を四条西洞院大路しじょうにしとういんおおじ、西を油小路あぶらのこうじ、北を六角小路ろっかくこうじ、南を四条坊門小路しじょうぼうもんこうじの四つの通りに囲まれた広大な地に立てられている。伽藍がらんと本堂を中心に堀と土塁を巡らし、同心円状に並べた子院しいんを銃舎代わりにした堅牢な城塞であり、地下道で子院と伽藍が結ばれている。出撃や奇襲に使う勢隠せがくしの穴にもつながり、突如敵の後ろから現われて斬りまくり、素早く穴に舞い戻り敵を翻弄することができる。

 守備の拠点となる子院のうち、通り沿いにある十の子院は防御に適さず、捨て置くことになる。次の五つは壕と土塁の後ろにあり、ここを第一の守りとする。便宜上一の院、二の院、三の院、四の院、五の院と呼ぶ各子院はみな同じ造りだった。築地塀で囲まれて、それぞれの子院の死角を補えるよう銃眼を切ってある。火矢による炎上を防ぐため瓦を葺いている。仏堂が一つあるだけの小さな建物だが、その地下には外への出撃用と他の子院への移動用、そして後退用の地下道がある。地下道はみな太い支柱、天井と壁を板張りにして崩れにくくし、一方で床は土のままにして足音がしないようにしてある。

 一から五の院の防衛線が破られると、次の防衛線がある六の院、七の院、八の院、九の院、十の院が同心円状に並び、やはり銃舎として機能する。地下道もある。さらに子院間の距離が狭まったため、より緊密な連携が可能となる。

 この五つの院を捨てると、最後の守備拠点、大伽藍のある本堂である。

「おれはここで自害して果てた」

 信長は本能寺の瓦屋根に座り込み、北に目を凝らしていた。金の霞の隙間から室町第が燃えているのが見えた。五右衛門の手のものはわざと姿を見せながら、こちらに逃げる。怒り狂った悪御所がこちらへ兵を送るだろう。

 信長のすぐ脇には扇が立っている。

 扇はこの後、本能寺を出て、こちらへ出陣する悪御所の本陣へ舞とともに忍び込むことになっている。

「お前は昔、殺すための道具だったそうだな」

「ああ」

「今は変心したという」

「そうだ」

「――で、あるか。今さら殊勝ぶるつもりもないが、おれは大勢殺してきた。弟を討ったし、主家の大和守やまとのかみも滅ぼした。今川を討った。もし舅どのが実子の義龍よしたつに討たれていなければ、きっと舅どのも討っただろう。それに大勢焼いた。あの弾正のような癖者も浅井長政のような実直者も火にくべた。叡山を焼き、長島を焼き、伊賀を焼き、武田を焼いた。そのおれがここ、本能寺で焼かれた。焼かれる身になって悟った。是非もなし。そして、おれはここに落ちた。この地獄は――おれがかつて狩野永徳かのうえいとくに描かせた京そのものよ。それをおれは上杉謙信入道に送った。匠の筆と金箔、それに南蛮より取り寄せた鮮やかな顔料で、この世の極楽としての京を描かせたつもりが、実は地獄だったとは笑えぬ話よ。それも己が描かせた地獄に落ちたのだからな。このような話をしたのは、お前が羨ましいからかもしれん。やり直しがきくところで変心ができたお前がな」

「あんた――」

「が、今は悪御所討伐に専念じゃ」信長は扇の言葉を遮った。「お前も道具だったころに体得した技を使いに使い倒して、敵陣に忍び入らねばならん。敵も屠らねばならんだろう。お互い因果な身よ。本能寺は百五十ほどの兵で籠れば、まあ三日は持つ。だが、こちらの手勢はわずか十一。あの日でさえ、三十を超える数で籠ったのに、十一人。おまけに、ここはいろいろなものが欠けている。いびりがいのあるハゲ猿もおらん。殴りがいのある金柑頭もおらん。かわいがりがいのある蘭丸もおらん。それに――からかいがいのある政秀じいもおらん」

 それは信長の本心かもしれなかった――安土城の天守閣から天下を睥睨した第六天魔王としてではなく、かぶいた装束で何の憂いもなく尾張を駆け回った上総介としての。

 屋根にかけた梯子がギシギシ鳴り始めた。松永弾正と斉藤道三が上ってきたのだ。

「どうじゃ、婿どの」道三がたずねた。

「室町第が焼けた。悪御所はもうじき来るだろう」

 松永弾正がため息をつく。

「なんだ、弾正? 何か不満でもあるのか?」

「ええ。美濃のまむしと尾張のうつけ、それに天下の大悪人が顔をそろえて捻り出した策が本能寺に十一名で籠城とは全くひねりがありませんね」

「ならお前だけ討って出てもよいぞ」

「それは遠慮します。そもそも籠城が失敗しても死ぬだけじゃないですか。どうせまた甦る。それにこの策もそう悪いものではありません。敵をこちらにひきつけ、忍びに公方を暗殺させるという卑怯な手はわたし好みです。しかし、この絶望的な籠城、信貴山城しきざんじょうを思い出しますねえ」

「あのとき大人しく平蜘蛛の茶釜を差し出せば生きながらえたのにな。きいたぞ、弾正。お前、平蜘蛛の破片を全部集めねば、成仏できんそうだな」

「木っ端微塵に吹き飛んだ茶釜を集めるなど海に放った白魚に麦粒を当てるようなものです。わたしは永遠にここに閉じ込められるでしょうね」

「だから、平蜘蛛を大人しくおれに渡しておればよかったのよ」

「ご冗談を。九十九茄子と行光ゆきみつの名物二振りを取ってもまだ足りぬのですか」

「ああ、足りぬ」

 扇は屋根から降りた。久助が軒下であぐらを掻いて、何か作業をしていた。

「おっ、扇。ちょうどいいところにいた。こいつを見てくれ」

 久助はカラクリ外套から取り出した茶運び人形を組み立てていた。全部合わせて十個の茶運び人形は閲兵を待つ兵隊のように並べてある。

「子院を捨てて次の子院に撤退したら、地下道にこいつを走らせる。追ってきた敵とぶつかると、人形の口から火種が落ち、茶碗に満たされた火薬中毒者謹製の特上液体火薬へ引火する。どかん!」

「十一人でここを守れそうか?」

「十一人もいらねえよ。エレキ銃一丁があればいい」

「一の院に詰めるのを志願したそうだな」

「ああ、六角通りへ一番張り出した一の院が敵の攻撃に三方から晒される。だから、戦力をぶち込む必要があるわけだ。こう言っちゃ何だが、十一人のなかで一番強い武器を持ってるのはおれだ。だから、そこに剣で敵なしの泰宗の旦那がおれと組む。エレキ銃を撃って、次の弾を用意するあいだに旦那が斬り防ぐ。おまけに旦那はウィンチェスター銃も使えるしな。一番きつい場所に一番強い戦力を注ぎ込む。合理的戦略ってやつさ」

 本堂の扉のすぐには国崩しが鎮座している。青銅の砲には斉藤道三秘蔵のぎりしや火が装填されている。蛇阿弥なる妖物を倒すのに必須の兵器だときいている。全ての子院と防御陣地を放棄してからの最後の手段だ。

 六から十の院は屋根つきの回廊で結ばれている。見ると、七の院と八の院を結ぶ回廊を火薬中毒者がいそいそと動き回っていた。声をかけてみたが反応しなかったのでよく見てみると、回廊のあちこちに爆薬を仕掛けている最中だった。火薬中毒者にとって一番楽しい時間を邪魔しても悪いし、かかわったところで心労が一つ増えるだけだ。難しい潜入任務を前にして、余計な心配はできるだけ減らしたい。

 作戦では、


  一の院 久助、泰宗

  二の院 りん、すず

  三の院 時乃、半次郎

  四の院 信長、道三

  五の院 火薬中毒者、大夜


 ――と、詰めることになっている。六から十の院も同様になる。松永弾正は本堂の屋根に上り、全体の状況を把握し、一から五の院の防衛線を捨てる瞬間を見極め、そして、六から十の院を捨てるときを各子院に紐でつなげた鳴子を鳴らして知らせる。

 子院を捨てるときは火薬中毒者と久助の仕掛け爆弾が作動して、敵に被害を与える。

 本能寺の目的は出陣した悪御所の兵を一人でも多く本陣から引き剥がすこと。手薄になった本陣へ忍び込んだ扇と舞は夜叉から託された神酒を虎兵衛に飲ませて、虎兵衛の体を取り戻す。

 とりあえず、扇と舞は二の院で弾正の知らせを待つ。悪御所が本陣をどこに置くかを松永弾正が見極め次第、二の院から本能寺を抜け出て、北の神明社に開けられた勢隠しの抜け穴から敵陣へ向かう。

 舞は持ってきたウィンチェスター製の連発ライフルと弾薬を泰宗に託しているところだった。潜入任務にライフルなど不用だし、それに敵の攻撃を真正面から浴びる一の院には少しでも多くの火力を集めたい。

 爆薬を仕掛け終わった火薬中毒者は手投げ爆弾だといって、各人に試験管入りの爆薬を三つずつ分けた。りんとすずが見えないが、火薬中毒者にたずねると、もう二の院に詰めているらしい。二の院は最も多くの地下道があり、外周の勢隠しの穴につながっている。火力重視の一の院と三の院のあいだにあって、銃撃で怯み、崩れた敵を二人が勢隠しから飛び出して斬り、敵が態勢を整える前に勢隠しの穴に飛び込み、子院に戻る。この繰り返しで敵を削れるだけ削る。

 大夜は本能寺のあちこちにある大きな釘や小刀、石礫を集めていた。五間の距離で顔に投げつければ、それなりの効果がある。五の院の前には矢竹を植えた庭と通りに面して建てられた放棄予定の二つの子院がある。どちらの子院にも扉に爆薬を仕掛けていて、敵が扉に触れたが最後、木っ端微塵に吹き飛ぶ仕掛けになっていた。境内に敵が入れば、大夜の投擲攻撃で敵を翻弄し、隠れるのに最適な矢竹の茂みには火薬中毒者の地雷が仕掛けてある。爆発すれば細く固い矢竹は飛び散って敵に突き刺さるだろう。

 今回の籠城は本能寺の変と比べれば、人数はわずか十一人と少ないが、迎撃のための前準備は十分に出来ている。また細川軍が敵に当たっている。何よりも勝つための士気が高い。

「来たぞ!」

 屋根の信長が叫んだ。道三は既に梯子を降り始め、半次郎は砂糖饅頭と飴粽を大量に入れた行器を担いで、時乃とともに三の院に向かう。

 忍び装束の扇は脇差酒筒の柄を握って少し揺らした。残ったわずかな酒がピタピタと音を鳴らす。

その音に意を決し、二の院へと走った。

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