十一の二十四
「霜台」右京大夫はまっすぐ弾正の目を見た。「そなたの謀に乗ることにした」
「兵を挙げられるのですか?」
松永弾正の問いに対して、
「左様」
――と言って、右京大夫は庭を背にして傍らに座る大兵の侍を指した。
「わしはこの半次郎からまことの武士たるものの姿を見た。美しい砂も流れる川も武の前には何ほどのことはない。ただの道に過ぎぬ。それをこの半次郎から学んだのだ。朴訥に、多くを語らず、泰然自若としている。これぞ、もののふの姿よ。霜台。わしもそなたも言葉が多すぎた。この上はただ弓馬の道に立つのみ。それと、道三と申したな?」
弾正の横に身を低くしている初老の商人風の男へ右京大夫が声をかけた。
「そなたは国崩しを使い、蛇阿弥を討つという。わしが上さまを討つと決めた以上、あの妖物にして奸臣蛇阿弥も討たねばならぬ。よって、国崩しをそなたに授ける。存分に使ってやれ」
「ありがたいお言葉にございます」道三が頭を下げる。
控えの間では大夜とすず、火薬中毒者が時乃と舞と再会し、お互いの身にあったことや情報を交換していた。
「じゃあ、半次郎は甘味が切れてるわけだ」
「ああ」舞がこたえる。
「それを、あのおっさんは朴訥とか寡黙と勘違いしてるんだな?」
「そういうことだ」
「ありゃ、ただの無関心だ。脳みそに砂糖がまわらないと、ああなるんだ」
「扇にも同じことを言われた――そういえば、あの右京大夫という人、どうも扇を見たらしい」
「へ?」大夜とすずが声をそろえた。「どこで?」
「ここで。忍び装束で公方の奉公衆から逃げていた途中みたい」
「やっぱり扇さんもこっちに落ちていたんですか」火薬中毒者がフムムと腕を組んだ。「きっと火薬を自在に使いこなせる善良な火薬愛好家がいなくて、困っているはずです」
むしろ、あなたが顔を見せると扇は疲れるんだと思う――とは舞も言わないでおいた。
「でも、お互い、悪御所が九十九屋さんをさらったことに関係していることはもう分かっているのよね?」時乃が確認する。
「ああ」大夜がうなずいた。「それで相手は幕府の将軍だろ? あたしらだけの手じゃ負えないから、あのおっさんを焚きつけようとしたんだけど、これっぽっちも兵を挙げる気配がなくて、困ってたところに――」
「半次郎さんが庭に迷い込んで、右京大夫さんがその気になった」
「まあ、そういうことだな」大夜が締めくくった。「決戦だ。大将と泰宗を助け出す。あとは扇たちを見つけて――」
「それなんですけど」すずが言った。障子の向こうに細川屋敷の女中がいた。「解決しそうですよ。この方が扇さんたちがいるところへ案内してくれるそうです。それも誰のもとにだと思います? なんと石川五右衛門ですよ」
風呂屋の戸を叩く――二回、一回、三回。
開いた覗き窓へ松永弾正が素早く銀銭を放つ。銭はカンと固いものに当たる音を立てた。
「ほう、南蛮兜か」弾正が関心したように言う。「考えたな、九郎次郎」
風呂屋の扉番九郎次郎は黒鉄製の南蛮兜をすっぽりかぶっていた。
九郎次郎の案内で五右衛門の大風呂へと向かう。そこには扇、りん、久助、それに若かりしころの姿の信長、それと――泰宗がいた。
「心配したぞ、コノヤロー」大夜が軽く蹴りを入れた。
「もごもご、むぐぐ、ふごご」砂糖饅頭を口にいっぱい詰め込んだ半次郎も何か言いながら、泰宗の肩をバンバン叩いた。
「大丈夫です。もう敵に遅れは取りませんよ」泰宗が微笑む。
「姉さん。大夜さんたちに迷惑かけたりしてませんか?」
「してないよ。時千穂流兵法は絶好調!」
朗らかな再会もあれば、油断のない空気がピリッと山椒のごとくきいてくる再会もあった。
「舅どのはともかく――」信長がニヤリと弾正に笑いかける。「お前まで、こいつらとつるんでるとはな」
「こうして地獄で会うのは初めてですね」弾正が涼しい顔でこたえた。「これまで顔を合わせることがなかったのは、きっとわたしたち三人が集まってもろくなことにならないという地獄の采配でしょう」
「これ、待て。三人というのはわしも入るのか?」床几に座った道三が異を唱えた。「一介の油屋が第六天魔王と天下の悪逆人と肩を並べられるものかね」
「舅どもも相変わらずあきらめは悪いようじゃねえか。ただの油屋が国崩しなんか何に使うんだ?」
「蛇阿弥を焼き払うのよ。あの悪御所のまわりにつく悪蛇を蛇の王たるまむしが直々にこんがり焼いてやる」
「美濃のまむしどのは同族嫌悪を感じているようですな」
「おお、言ったな。公方殺し。このなかで公方殺しをやったのは、そなただけだが、コツのようなものはあるか?」
「それについては少々悩んでいるところです。右京大夫さまが挙兵されても悪御所が室町第から出てこなければ討てません」
「待ってくれ」扇が言う。「あれはおれたちの探している楼主だ。怪我をさせるわけにはいかない」
「――だ、そうですよ、前右府どの」弾正が言う。
「――で、あるか」信長は扇を、そして、石川五右衛門を見た。「それについては考えがある。五右衛門。まさか失せ人一人捜し当てて己が役も終わりとは思っていまい?」
「あんたも人使いが荒いな。で?」
「細川屋敷に人を入れてるくらいだから、室町第にも間者は入れている、だろう?」
「入れてはいるが、そいつに悪御所の首を取らせるつもりなら、先に言っておく。無理だ」
「悪御所は――」信長は扇を顎でしゃくった。「こいつに任せろ。あんたの手下にやってもらいたいのは火付けだ。室町第を焼き払って、悪御所を怒らせて欲しい。それで悪御所を誘い込む」
「誘い込む?」何人かが声をそろえてたずねた。「どこへ?」
信長はさらりとこたえた。
「本能寺だ」




