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廓雲と扇の剣士  作者: 実茂 譲
第十一話 洛中洛外図扇と梟雄悪御所百鬼夜行
192/611

十一の二十

「なに? しゅうとどのはおらぬとな?」

 信長が言った。

 まむし屋の番頭が、へえ、とこたえる。

「旦那さまは顔のある現世の方々と出かけられました」

「そいつらはどんなやつらだった?」

 扇がたずねると、番頭は小首を傾げながら、

「一人は甘味に目がない大柄の侍で、二人は細い袴を履いた女子で奇妙な鉄砲のようなものを持っておりました」

「間違いない。半次郎たちだ」

「つまり――」と信長が引き取る。「舅どのはおれと同じで現世に妖怪経由でやってきた連中を連れて、悪御所相手に一戦交えるつもりでいるってことか。ふん。油屋に落ち着いたようでいても、まむしはまむしだな。面白くなってきた」

 信長はまむし屋に入り浸っているらしく、まるで安土城の天守閣から命令を飛ばすように雇人たちを使って、店の表に五人座ってもまだ余裕のある大きな床几を出させて、そこに座った。ちょうど、かんざらし、かんざらし、と白玉売りが通りかかったのをよしとして、五人前を頼み、砂糖をかけてのんびりと食べ始めた。

 扇は虎兵衛奪還に向けての成果と課題を頭のなかで整理し始めた。〈鉛〉だったときの習慣で一度一歩引いたところから物事を見定めて、自分が今、任務完遂までどのくらいのところにいるのかを計るのだ。まず、りんが土蜘蛛を斬って、泰宗を助け出した。これは大きな前進だ。助け出すべき二人のうち一人を救出したのは立派な成果だ。次に幕府の役人を三十人ばかり消し炭にした。これはあまりかしこいとはいえない。目立ち過ぎた。ただ、あの場合、ああしなければ、こちらが蜂の巣にされていたのだから、仕方がない。そして、織田信長の案内で石川五右衛門と会い、子分を使って、虎兵衛を探してくれる。盗賊の情報網は密偵や暗殺組織の情報網よりも細かくできているものだ。隅々まで探って、結果を上げてくれるだろう。ならば、結果が上がるまで、ここでこうして白玉を食べているのもいいかもしれないが、幕府の兵が扇たちを探しているだろうから、場所はこまめに動かさないといけない。それか一種の治外法権が認められているような場所に潜伏する。悪御所の手が及ばず、五右衛門の手下とのつなぎができる場所はないか? 扇がたずねると、信長は、

「そうだな。こんちく寺なんかいいかもしれん。ちょうど大敷おおじきのころだし」

 と、こたえた。

「大敷?」

「こんちく寺ってのは毎日賭場を開帳してるボロ寺だ。六条河原のそばにあってな。京中の博徒ならみな知っている。いつもは蓆を敷いて、鐚銭びたせんをちまちま賭けるんだが、月に一度、大敷って言って大きな賭けをやる日がある。大敷の日には蓆のかわりに畳が敷かれて、賭け金も一貫文いっかんもんより下は受けつけないから、賭客も筋がぐんと良くなる。よほど金持ちの武家か坊主、商人が参加して、一度の大敷で少なくとも一万貫が動くという話だ」

「じゃあ、人も大勢集まるわけか」

「そうだな。侍所も大敷のこんちく寺には手が出せない。ちょうどいいや。いい退屈しのぎになる。こんちく参りにでかけるとするか」

 こんちく寺は元々は時宗道場だった。最初のうちは都の遊び人と河原者が入り混じって、念仏踊りの乱痴気騒ぎをするための宴の場だったのが、誰が始めたのか金を賭けて遊び始め、今ではすっかり洛中を代表する賭場となっている。

 扇たちがこんちく寺に着いたとき、堂には既に大敷が作られて、境内は黒山の人だかりだった。いつもの敷は蓆ござを敷き、賭客は四角い穴のあいた銅銭を張っていたが、大敷では畳を敷き、賭客は重たい銭の代わりに五種類の蒔絵を施した黒漆仕上げの駒札こまふだを使う。鯉の金箔姿が載った駒札は一貫文、鶴は三貫文、百年松は五貫文、鎮西八郎為朝ちんぜいはちろうためともが十貫文、そして龍神の蒔絵は二十貫文。

 小道具からして、すでに格が違った。

 賭事の業の深さのせいか、大敷の畳に上る胴元の翁と五人の博徒にはみな顔があった。みな洛中でも特に名を知られた博徒、いずれも一貫文、二貫文の銭を何の躊躇いもなく場に張れるものたちが揃っていた。畳敷きの横には賭客のために山海の珍味が並んでいて、古酒のなかでも最上のものが甕にたっぷり用意されていた。全ては胴元が無料でふるまうのだが、大敷で手元に転がり込むテラ銭を考えれば、安いものなのだろう。胴元の翁は自分の気前の良さに酔いしれているようだった。

 扇たちを辟易させたのは大勝負を観るために集まった人の賑わいだった。立錐の余地もなく込み合った境内に足を踏まれたものたちの罵声、焼いた餅や濁り酒を売る出店の呼び声が飛び交った。見物人のなかにも顔のあるものが、まるで黒い泥沼から浮かび上がった泡のようにぼつんぼつんと見える。

 これだけの人ごみならスリに気をつけなければと思ったが、それは杞憂だった。というのも、洛中洛外の盗賊悪党にはこんちく寺では仕事はしないという不文律があり、掟破りは半殺しにされた。ましてや大敷の日ともなれば、巾着袋一つ掏っただけで命がなくなる。この京に住む人々からすれば、こんちく寺の大敷はスリの心配をしないで過ごせる貴重な人ごみだった。

 考えてみると、この空間は興に乗っている。興狂いの虎兵衛がこんな賑やかな出来事を見逃すだろうか? もしかしたら、泰宗にかばわれて、土蜘蛛の顎から逃れた虎兵衛は妖かしの京見物と決め込んでいるのかもしれない。こっちが必死に探しているところを、面白いものに目がない虎兵衛が暢気に京見物をしていて、急にひょっこり出くわして大団円。

 虎兵衛ならありそうなことだ。

 そう思うと、さっきまで辟易していた人ごみが好ましいものに見えてくる。興とは本当に不思議なものだ。

「ここにいるのも、そう悪いことじゃなさそうだな」

 扇の問いに、りんはムギューとこたえた。人いきれとごちゃごちゃに絡まった〈流れ〉でつぶれる寸前だったのだ。久助はエレキ銃を守るために四苦八苦していた。万が一でも暴発すると目も当てられない大惨事になる。信長はいつの間にか姿が見えなくなった。唯一、泰宗だけが上背のあるおかげで顔だけは人ごみから出ることができて、一息つくことができているようだった。

 トンカントンカンと音がした。振り返ると、侍烏帽子をつけた番匠の指示の下、工人たちが竹と板で即興の三階建ての桟敷をつくり、よれよれの衣で着ぶくれした老婆が上る人々から金を取っていた。信長はちょうどその老婆と見物料の交渉をしている最中だった。それもまとまったらしく、一行を探す目が扇の視線とぶつかると、手をふって桟敷のほうへ来るように促した。

「ふう。死ぬかと思いました」

「ちくしょう。工具がなくなってないだろうな」

 信長が買った三階の桟敷に腰を下ろして、ようやく一息つく。泰宗は一服つけ始めた。

「ここからなら大敷の様子が全部見える」信長は堂を指差した。「見てみろ。どいつもこいつも金が原因でここに落ちたような顔をしてやがる」

 大敷には胴元と四人の賭客、畳の外には料理と酒を運ぶ女中と雑色がいたが、雑色ですら侍烏帽子をかぶって神妙な顔をしていた。

 胴元は鶯色の狩衣をまとった公家らしい老人で、実際に公家であった。和歌、蹴鞠、料理、有職故実ゆうそくこじつの伝承を行う公家がいるように、賭け事の礼儀作法を伝承するよう務めている公家もいるのだ。

 事実、いざ開帳となると、胴元の翁は手を二度打って、よく通る声を伸ばして節をつけながら、

三宝さんぽうならびに日本国中大小神祇にっぽんこくじゅうだいしょうじんぎに願い奉るーゥ。今宵、敷かれたる大敷はーァ、ただ御仏と御神の導きに従うものなればーァ、ここに集うものみなただただその威徳にひれ伏すものなりーィ。されば、三宝神祇、この大敷を御照覧あれーィ、御照覧あれーィ」

 と、告げた。

 大敷の畳に駒札を重ねて座る賭客はそれぞれ武家、僧侶、商人、盗賊の四人。勝負の進行は賭博に疎い扇にはさっぱり分からなかった。胴元が小さな木の札を六枚ほど持って、その手に赤い袱紗をかけて、その袱紗のなかで札をいじくってから五枚の札を手に握り、賭客から抜いた札が絶対に見えないように注意して、袱紗から手を抜く。

 すると、同じ六枚の木の札をそれぞれ与えられた賭客たちがその木の札に対して駒札を張り始めて、賭けが終る。

 すると、袱紗が除けられる。

「タシマカセのヤンバイ」

 隠された木の札があきらかになると、符牒めいた言葉を胴元が張り上げる。それで意味が通じ、勝敗がつき、駒札が集められたり、払い戻されたりする。袱紗のなかに残った札がどれであるかを当てる遊びのようなのだが、扇にはいまいち勝敗のつけ方が分からなかった。また駒札の張り方も置く際の向きなどで何か決め事があるらしく、それによって払い戻しの額が変わっている。

 どうやら息を飲む勝負の連続らしく、袱紗が除けられた瞬間、賭客だけでなく、見物人たちも、ああと嘆息したり、歓声を上げたり、今の賭け方はこうすべきだったと論議が始まったりしている。

 扇にはさっぱり勝負の行方が分からなかったが、自分以外の全員には理解ができているらしく、信長と泰宗が符牒めいた言葉で勝負について論じ合っていた。

「カチガンにサタぁなしだ。張るならドテをみくびっとかねえと」

「いえいえ、ここはカラビンのサンザンです。サバリマユしておけば、コテンは堅いのでは?」

 まあ、信長や泰宗は知っていてもおかしくなさそうだが、困ったのはカラクリ以外に興味を示さないはずの久助や、りんですら、袱紗の下の札を見て、あれこれ言葉を交わして、勝負に関する私観を交換していたことだ。

「おおっと、コロビがいるから、ピンツバをソバギリにしてらあ。でけえ勝負しやがんなあ」

「あっ。ズテ三つ、タシマカセですね。おじいさまはタシマカセにヤカヒキをつけるのが得意でしたっけ」

 こうなってしまうと、あれはどういう決まりで勝負が動いているのだ? とききづらくなる。下らない見栄と言えばそれまでなのだが、自分以外の全員が知っているというのはやはり臆するものがある。きくは一時、きかぬは一生の恥というが、人間一瞬の恥をかくのにもためらうものなのだとしみじみ感じる。ああ、きっとこの賭博に対する無知は殺すことしか教わらなかった〈鉛〉だったせいで、普通に生きているものはこの賭博に通暁するのが当たり前なのかもしれない。だが、〈鉛〉だったら、変な見栄など意に介さず、あれはなんだ? とぶっきらぼうにたずねていただろう。この恥ずかしさは扇となって得た、まあ、ある種の宝物なのだ。

 しかし、安全な人ごみで五右衛門からの知らせを待つという目論みが飛んだ薮蛇になった。扇はりんや泰宗に勝負について意見を求められるたびに、さも知っているかのように肩をすくめたり、慎重に言葉を選んでいるように腕組をして押し黙ったりしなければいけなかった。

 知ったかぶりをするにあたって何か得るものがあるかもしれないと思いつつ、扇はひたすら観察に徹することにした。大敷の賭客たちは筋金入りで、大金を失っても涼しい顔で勝負を続ける。彼らはよく賭け、よく勝ち、よく負けた。また彼らは癖のある賭け方をした。武家は末広がりの八を好んで必ず八貫を賭けた。一度の額が大きいだけに浮沈は激しく見物たちは武家の一挙一動に注目した。一方、金貸しで儲けた和尚は阿弥陀如来の本願にすがるべく南無阿弥陀仏を唱えながら駒札を張る。鯉の一貫文、鶴の三貫文を一枚ずつちょこちょこ張るのが多いが、十に一度は龍神の二十貫をピシャリと張ってくるので油断がならない。盗賊は大敷の金を用立てるために京へ送られる年貢米を奪いまくったらしい。盗賊らしく金離れのいい大胆な賭け方をする。どうやら、どう儲けるかよりも、どのように大きく負けるかを考えている節がある。負け方が大きくても平気な顔をしていれば、博徒としての名は上がる。名を上げることの難しさを思えば、なに金など分捕ればいくらでも稼げる。商人はひたすら聡い賭け方をしていた。細かく儲けを重ねて、危ない大賭けをひたすら避けているらしいことは簡単にうかがえた。商人はうっかり間違えて為朝や龍神の駒札を張ったりしないよう、為朝や龍神の札を円座の下に敷いていた。為朝や龍神を尻の下に敷いた祟りか、商人は細かい負けが続いて大きな負けを背負い込みそうになっている。

「お金って、あるところにはあるもんなんですね」道場経営でいつもかつかつなりんがため息混じりにつぶやいた。「しかも文字通り手駒にして使ってます」

「あれはお金ではありません」泰宗は物憂げに言った。「お金というのはお団子を買ったり、見世物小屋の木戸銭を払うときに使うものです。彼らの駒札を銅銭に替えて一ヶ所に集めてみれば、重さで寺が傾くでしょうね。彼らはお金を賭けているのではなくて、自分の名を賭けているんですよ」

「馬鹿馬鹿しいや。その銭があれば、すげえカラクリが作れるのによ。ふん。寺が傾くほどの銭か」

 同じ傾くなら城のほうがいい。虎兵衛ならばおそらくそんなふうに言うだろう。

 虎兵衛のことを考えたせいか、五右衛門の息がかかった桟敷付きの雑色が餅を売りに来たふうをよそおって、虎兵衛にまつわる知らせを持ってきた。いくら悪御所の手が及ばないとはいえ、細心の注意を払うに越したことはない。雑色はほとんど口を動かさずに餅を買うために身を移した信長の耳に何事かささやいた。

 買った餅をかじりながら、信長が戻ってきた。

「お前らの探しているやつ、九十九屋虎兵衛といったな? 居所が分かったぞ」

「本当か?」

「ああ」

 喜ぶべき進展にもかかわらず、信長は浮かない表情で告げた。

「九十九屋虎兵衛は室町第にいる」

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