十一の十七
遅かった。
目の前の光景が、舞にそう告げていた。
陰陽師たちの墓が移された心光寺は既に悪御所の襲撃を受けていて、仏僧や雑色、稚児まで斬り殺されていた。八つの面はもう奪われた後だった。
「惨いことを」
時乃がつぶやいた。悪御所を処刑するときは祈る五秒も与えまいと心に決めたらしい。舞は自分が始末したと思ったあの忍びたちに討ちもらしたものがいたのだと知って、歯軋りする。〈鉛〉だったときなら気づけたかもしれない。勘が鈍った。そうとしか思えない。慢心したのだ。もっと気をつけていれば――。
「これこれ」
道三は舞の頭に手をポンと置いた。
「そう自分を責めるでない。そなたの仕事は確かだった」
え? 舞は思わず道三の顔を見上げた。まるで舞の心を見透かしたような言葉だ。そして、まるで舞が中島で敵の間者を屠ったことを知っていたような言葉。
道三の手は舞の頭を放れ、その目は境内に散らばった骸を眺めている。
「ほれ、これを見てみい」
心光寺の抜かれた閂のそばに何か重いものを引きずった後があり、寺の僧侶二人が仰向けに倒れていた。
「二人とも抵抗の跡もなく、真っ向から額を割られている」
道三が死んだ二人の手の平を見た。
「ほれ。小さな切り傷がある。八つの面はあまり上等の箱には入れなかったからな。箱のささくれか打ち金のヒビで切ったのだろう。要するにこの二人が悪御所に面を売ろうとして、逆に殺されたのじゃ。目と鼻は崩れているが、口元は笑んでおる。約束の金をまさか延べ金でもらうことになるとは思いもせんだろうて。欲に目が眩みおって。そのせいで、寺のもの全員が割りを食った」
半次郎は境内の池のそばにある大きな石に腰かけて、レモン味のパイを口にしていた。
「最悪、八つの面が蛇阿弥の手に落ちたとしても、あんたは一度、やつを倒したことがあるんだろ?」
「左様」袖に両手を突っ込んで腕組みしている道三がうなずいた。「ぎりしや火で焼き払ってしまえばいい。だが、これでは完全には倒せない。ぎりしや火で面も焼かねばなるまい。面は切り込めばヒビができる。切り込みさえ入れれば、面も蛇阿弥ごと焼き払える。だが、ぐずぐずしていると面は再生する。だから、一度に八つの面にヒビを入れた状態でぎりしや火を浴びせる必要がある」
「ぎりしや火はつくることができる?」
時乃の問いに道三はうなずいた。
「もうすでに作ってある。問題はぎりしや火を発射するのに〈国崩し〉が必要なことだ」
「国崩し?」
「フランキ砲ともいう。要するに青銅でこさえた大砲よ。それ一つで国を崩すほどの威力があるというのが名の由来だそうだが、実際はそれ一つこさえるのに国が潰れてしまうほど金のかかることを言っておるのだろう。前に蛇阿弥を屠ったときは大木をくりぬいて砲身にしたが、途中で破れてしまった。やはり国崩しが必要だが、さすがにこれはわしも持っておらん」
「じゃあ、せっかくのぎりしや火も宝の持ち腐れか」
半次郎の言葉に道三は首をふった。
「いや。所有している人物を知っている」
「じゃあ、その人から借りればいい」
舞が言うと、道三は苦笑いした。
「京で唯一の大砲を柄杓か桶のように借りるわけにはいかない。しかも、相手は管領、細川右京大夫どのだ。それに比べれば、こっちは一介の油屋。まず、会うのに一苦労だ」
「ちょっと待った」甘味が利いている半次郎がたずねた。「管領といえば、将軍を補佐する役目だ。つまり、将軍の右腕じゃねえか」
「いかにも右腕だ。そして、右腕ゆえに途方もない苦労を負わされている。悪御所と京の住人のあいだに板挟みされて、今にも潰れそうなくらいだ。だから、その苦労の根源を――悪御所を取り除くための国崩しを貸せと言えば――」
「――相手は乗ってくるってわけか」
「そういうことじゃ」
「こりゃ、前途が明るくなってきたな。じゃあ、早速、その屋敷に行こうぜ」
と、言った半次郎がリンゴ味のパイを食べた。
前途洋々――本当にそうだろうか?
舞の観察が正しければ、半次郎の手元にはパイが六つ、羊羹は半分かじったものしか残っていない。半次郎はパイは一口で食べるし、半分の羊羹など三口で胃袋におさまる。
つまり、半次郎の甘味はきれかけていた。