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廓雲と扇の剣士  作者: 実茂 譲
第十一話 洛中洛外図扇と梟雄悪御所百鬼夜行
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十一の十五

 大夜は耳を塞いで音が聞こえないようにしていた。

 そうしていると、目の前の光景は熱っぽい書生が清楚せいそな令嬢に恋をして、愛の詩を捧げているように見える。

 耳を塞ぐ手を退けてみる。

「いやあ、感激です!」火薬中毒者が目に見えて興奮して言った。「日本で初めて火薬を使って自害したあの松永弾正さんに会えるなんて夢のようです!」

 松永弾正の屋敷。あれからうまい具合にずらかった大夜たちは今は松永屋敷で出入りの行商人が持ってきた白玉に砂糖をかけて、すくって食べている。火薬中毒者は持てる語彙の全てを動員して、時代に先駆けて火薬で吹き飛んだ美貌の悪魔を褒めちぎっていた。

平蜘蛛茶釜ひらくものちゃがまに爆薬をつめて吹き飛んだというのは本当ですか?」

「ええ。本当です」松永弾正は恥ずかしながら、と言った上で頬を人差指で掻きながらこたえた。「正直なところ、あれは少し後悔しています」

「後悔することなんてありませんとも!」火薬中毒者はほっとけば一日中、爆発のもたらす進歩性を語る勢いだった。「あれは英断です! 天下の茶器を爆薬用の器にすることにより、火薬による発展は一つ上の段階に到達したのですからね!」

 その段階とやらが、あとどのくらいあるのかは火薬中毒者しか知らない。火薬中毒者の話をきいていると、自分の子や孫に囲まれて畳の上で大往生を遂げるのは恥であり、爆死こそ万物の霊長たる人間の最期にふさわしいのだと思わされる。火薬中毒者が言うには人類は向こう百年、水のかわりに液体火薬を沸かし、それで茶を立てて、中毒死することの実現のために邁進しなければいけない、それができないのはもう世間に顔向けできないからできるだけいい品質の火薬を使って爆死することで世間に顔向けできない顔を体ごとふっ飛ばさなければいけないらしい。

 すずは白玉をもぐもぐやりながら、人喰い熊の見世物でも見るように面白そうに眺めている。

 松永弾正はというと、火薬中毒者の話をきいていたが、それも辛抱強くきいているのではなくて、とても興味深いといった様子できいていた。

「面白いですね」話が一段落してから松永弾正は所感を述べた。「これまでも現世からやってきた人と話す機会はありましたが、わたしに会った人がまず言うのは南都を焼き討ちにしたこと、公方弑逆、主家を乗っ取ったことを言うものです。あとは茶ですか。平蜘蛛と九十九茄子つくもなすの話は必ず出ます。でも、わたしが選んだ最期のことでこんなに熱心に話してきた人は初めてですよ」

 松永弾正は微笑むが、どうしてこの温和そうな美しい青年があれだけの悪事をなせるのか不思議に思う。だが、考えてみれば、見るからに悪そうな顔をしていれば、おお、懲役面ちょうえきづらがやってきたと人は身構える。それよりは目の前の弾正のように柔和で幽玄、一見人畜無害な美青年のほうが悪辣もまたやりやすいのかもしれない。

「さてと」大夜が言った。「火薬中毒者の面白さは十分に分かったと思う。でも、そろそろ場所を移動したほうがいい」

 松永弾正が公方の忍びに襲われたのは現世で悪御所の玄孫やしゃごにあたる十三代将軍、足利義輝あしかがよしてるを攻め殺したせいだろう。だとすれば、討手がこの屋敷に向けられるのも時間の問題だ。だが、松永弾正はどうしても持ち出したいものがあるといって、屋敷に戻った。そして、弾正は錠前をかけた箱から小さな黒い天鵞絨ビロードの袋を取り出して、懐に入れた。持ち出したいものはそれだったらしい。

「先ほど、あなた方が人を探しているとのことですが――」松永弾正が言う。「心当たりはあります。最近、現世の京の護りが弱くなっているのか、こちらの妖物たちが向こうで活動できるようになっているのです。その時期とあなた方が探している方々が現世から消えた時期は一致しています。悪御所は脈の乱れた隙を狙い、現世の京へ攻め込むつもりでしょう、ですが、まだ十分じゃない。妖物たちを束ねる悪御所足利義教には体がないのです。体を手に入れない限り、妖物も悪御所も現世へ攻め込むことはできない」

「その悪御所が今度の事件の張本人として――」すずがたずねる。「その悪御所さんにどんないいことがあるんですか? 現世の京に攻め込んだりして」

「さあ。わたしにはさっぱり。何せ生きていたころは万人恐怖と言われた人です。感情のおもむくまま撫で斬りにして焼き尽くすのが好きなのでしょう」

「あんたも相当言われた口だろ?」大夜が言う。

「まあ、否定はしません」弾正は幼げのある可憐な笑みでこたえた。「それでも、わたしはカッとなって家臣を手打ちにしたり、民百姓の耳を削いだり、沸騰した湯のなかの石を取れるかどうかで打ち首を決めたりしません。策略家にも策略家なりの流儀があるんですよ。悪御所はそれがありません。この京に乱を起こし、焼き尽くすことを何度も飽きずに繰り返します。何度もあの悪御所を討とうとしたことはありましたが、そのたびに逆にこちらが討たれ、悪夢は繰り返すのです。悪御所はこちらの京を余りにも焼きすぎた余り、現世の京を焼き払いたくなったのでは?」

「ひでえ将軍だ」

「悪御所の二つ名はちょっとやそっとの邪悪で手に入れられるものではありません。最近、悪御所はしょっちゅう寺社をまわるといって、行列を組みます。その行列をするたびに往来の町人が手打ちにされます。しかし、悪御所がまだ実体を持たず、この京が焼けるときにしか顕現できなかったこれまでと違い、今回の悪御所は――どうやら体を持っているようなのです。思念だけでも、あれだけの悪さをするのですから、肉体を持ち、さらに妖かしの京と現世の京をつなげた日には想像を絶する悪事がなされるでしょうね」

「じゃあ、あたしらは将軍をぶった斬ればいいわけだ」

「将軍はそこらの与太者とは違います。室町殿むろまちどのには奉公衆にお庭者、それに妖物が控えています。真正面から当たっても犬死です」

「そこは忍び込む」大夜が言った。「その方面の素養はあるんでね」

「ですが、それでも厳重です。まずは悪御所を室町第むろまちていから出陣させて、さらに周囲から人を剥がす必要があります」

「警備を手薄にするのか? でも、どうやって?」

「簡単です。乱を起こすのです」

 大夜は、んん?と呻って小首を傾げた。すずのほうを見たが、すずも小首を傾げた。火薬中毒者はあてにならない。

「これまでの説明をきいている限りだと――」大夜がたずねた。「乱を防ぐには悪御所を討つしかない。だから、悪御所を討つ。これは合ってるか?」

「ええ」

「で、悪御所を闇討ちするにあたって、警備を手薄にするために乱を起こす。これも合ってるか?」

「ええ」

「乱を起こさないために乱を起こす。何だか本末転倒じゃないか?」

「わたしが乱世の梟雄、天下の大悪人と呼ばれたことをお忘れなく」松永弾正はその台詞を清らかな表情で告げた。「悪御所を討つんですからね。考えただけでゾクゾクします。少し乱を起こして、足元をぐらつかせなければいけません。義輝公を討ったときはこちらに数の利がありましたが、今回はそれがありません。その不利を姦計で覆すのは梟雄名利に尽きます」

「なんだか悪御所さんよりも弾正さんのほうが危ない人に思えてきますね」

 すずの言葉に松永弾正は、どうもありがとう、と返した。「最高の賛辞です。でも、あなたたちは探し人を悪御所から取り戻し、わたしは悪御所を討つ。利害は一致しています」

「どうして悪御所を討つのに協力してくれるんですか?」すずは追い討ちするようにたずねる。「ひょっとしたら、一緒に現世に出られるかもしれませんよ」

 弾正は苦笑しつつ、首をふった。

「わたしはどうあってもここから出ることは叶わないのですよ」

 弾正は懐から黒い天鵞絨の袋を取り出し、中身を指でつまみあげた。それは砂粒だった。

「わたしが自害するときに吹き飛ばした平蜘蛛の茶釜――の破片です。これを全て集めなければ、わたしはこの地獄から逃れることはできません。そして、粉々に砕けた茶釜の破片を探して、京洛を歩いてまわるなど成し遂げられるわけがないのです。つまり、わたしはここに永遠に囚われる。すると、梟雄として生まれたものの性が頭をもたげてくる。終わりのない罰のなかを暮らすよう定められたとはいえ、公方がいるなら、これを討って、たとえ何度潰えようとも天下を狙うのは梟雄の性です。それに現世に戻ったところで、さほどの変わりはありません。人として生きて何になるのです? ここに来て分かったことが一つあります。人生とは人間らしさという小さな箱のなかにつくられた地獄だということです。同じ地獄ならここで十分です」

「でも、あんたはあたしら全員を危険に晒してまでして、その破片を持ち出そうとした」

 弾正が睫の長い目を伏しがちにして、ふふ、と笑う。「はた迷惑なあきらめの悪さも梟雄の得意とするところです」

 こりゃとんでもないやつと動くことになった。参ったなと一人ごちながら大夜が頭の後ろをかいていると、門のほうから戸を乱暴に叩く音がした。

「松永弾正少弼。門を開けられよ。公方さまの命である」

 ほうら、来た。

 弾正が動く。床の間に置かれた鹿角の刀掛けには上に黒漆の太刀、下に白銀の太刀がかけられている。弾正は二つの太刀の上下を組み換えた。その途端、仕掛けが動いて刀掛けが少し沈んで、床の間の入れ込みの天井から紫の紐が二本ほどぶら下がってきた。弾正は一つ結んでコブがあるほうの紐を引いた。

「これで秘密の抜け道が開きます。砂粒のために本当に命を捨ててはただの阿呆ですからね――おや、おかしいな、引いても抜け道が開かない」

「ちょっとちょっと、勘弁してよ」

「第二の策でいきましょう。皆さん、床の間の入れ込みへ入ってください。広間に居てはいけません」

 弾正は結び目が二つあるほうの紐を引いた。すると、天井板が次々と開いて、数十振りの刀が刀身をむき出しにしたまま次々と落ちてきて、板敷きの広間に突き刺さった。

「……敵が来てからのやったほうがよかったんじゃねえの?」

「いえ、敵が来る前にやるのです。大勢の敵とやりあうとどんな名刀でも人肉の脂と血が刃につまって切れ味が鈍るものです。だから、こうやってあらかじめ畳に刺しておけば――」

「――刀が使えずに討たれることもねえってことか。梟雄の知恵ってやつか?」

「いえ、これは昔、わたしがころした義輝公の知恵です。恐ろしい、人を斬るために生まれた化け物のような公方でしたが、悪御所に比べればかわいいものでした」

 松永弾正と火薬中毒者が二人で抜け道の仕掛けを何とか動かすまで、大夜とすずが広間で斬り防ぐことになった。

 外では悪御所の軍勢が門を丸太で衝いているらしく、閂がミシミシと音を立てているのがきこえた。そのうち、らいが大樹を割ったような音がして、わめき声を上げながら、胴丸をつけた足軽たちが刀だらけの座敷へ殺到した。大夜とすずは手近にある刀を抜き取ると、それぞれの敵へ一閃放った。大夜の握る相州伝そうしゅうでんの古刀は胴丸の小札をざくざく白菜か何かのように斬った。すずは二刀で一度に斬りつけるやり方で相手に間合いを見誤らせ、前に傾きすぎた敵の首を刎ねる。

 二人が奮戦しているあいだ、松永弾正と火薬中毒者は床の間に開くはずの抜け道の仕組み相手に苦戦していた。抜け道は半分開きかけていて、カラクリも見えた。どうも鉄の歯車が噛み合ってはいけない歯車と噛み合っていて、それが床の間の倒し戸を開く邪魔になっていた。火薬で吹き飛ばせば済む話だが、退避できる場所はなく、すぐ後ろではすずと大夜が死に物狂いで敵の攻め手を寄せ付けないように鬼神のごとく働いている。

「そうだ。例の新製品を使うときがやってきた」

 それは液体火薬の一種で音をさせずにどんな物でも焼く火薬だった。爆発の分類では非常に遅延した爆発ということになるこの火薬は、彼の好みである大爆発とは性質を異にするものだ。それでも、これを合成したのは火薬博物学の一環として、気に入らない火薬も含めて全ての火薬を網羅せねばならないという(本人が言うには)高潔な義務感からだった。

 火薬中毒者の発明と合成にはある奇妙な法則があった。それは本人も知らないうちに全世界の常識をひっくり返す発明に成功するのだが、肝心の本人がその発明の価値をさっぱり理解せず興味を示さず応用も考えず、その薬品庫に埋もれて忘れ去られるというものだった。ただひたすら大爆発と滋味じみ極まる火薬の発明を志す彼にとって、音をさせずに物をじわじわ焼く火薬など何の用もないのだ。しかし、実際にはこの音のしない火薬は世界中の金庫破りが泣いて欲しがる夢の薬品であり、これがあれば、ヴァンダービルド家の金庫も帝政ロシアのカザン銀行の大金庫も思いのままに開くことができる。

 だが、火薬中毒者はそんなことは知らない。試験管の栓を外すと、開きかけの扉に手を突っ込んで、問題の鉄の歯車に火薬をかけた。すぐに薬品のかかった鉄の歯車がしゅうしゅうと無臭の白い煙を上げ始め、少しずつ形が崩れていった。

「これであとどのくらいで開くのです?」

 松永弾正の質問に火薬中毒者は三百数えて欲しいとこたえた。

 鉄の歯車が溶けるように崩れて、抜け道が開いたころ、敵は火をつけた畳を盾代わりにして、すずと大夜目がけて突っ込んでいた。何とか斬り防いできた二人も、これには敵わないとその場を逃げ出した。抜け道に飛び込むと、火薬中毒者が試験管三本分の緑色の粉末を抜け道の入口に盛り塩のようにまいた。

 まるで抹茶のようだが、たぶん抹茶ではないのだろうな。火薬中毒者以外の三人はそう思いつつ、木の支柱が組まれた地下の抜け道を腰をかがめて進んでいく。

 悪御所の侍大将は薙刀を構えて座敷に入ると、すぐ後を追え、と足軽たちに命じた。火のついた畳を構えたまま、抜け道に足を踏み入れた途端、火の粉が抹茶に似た粉の山に飛んだ。すると、一万本の藁束を一度に燃やすよりも激しい炎が巻き起こり、火炎の渦は侍大将や足軽たちを松永屋敷ごと呑み込んだ。

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