十一の十三
「あの日、わたしと楼主は金色の霞に取り囲まれて道に迷いました」
土蜘蛛の腹から救い出されたばかりの泰宗が髪や服に引っかかった蜘蛛の糸くずを取り払いながら扇たちに説明した。
「そのうち人家を見つけ、人を探して座敷に上がると、その座敷の奥に赤い光を見つけました。行灯がついていて誰かいると思ったのですが足を踏み入れた瞬間、なんと言えばいいのか、嫌な予感がして、咄嗟に楼主をその暗い座敷の外へ突き飛ばしました。そして、土蜘蛛に飲み込まれたわけです」
「じゃあ、楼主の行方は――」
泰宗は首をふった。
「わかりません。ただ、わたしがあの土蜘蛛に呑まれたとき、こう言うのがきこえました。『こいつじゃない』。確かにそう言いました」
「妖物どもの目当ては楼主か」扇はそのとき思い出したように脇差形の酒筒を取り出した。「なかの神酒を少し飲んでくれ。そうしないと、この世界から一生出られなくなる。ただし、あまり飲みすぎるな。楼主にも飲ませるんだからな」
泰宗は酒筒に口をつけた。案の定全部飲み干しそうになったので、扇が取り上げた。泰宗は人心地ついたといって、柔らかく笑い、それから紙巻煙草を取り出してマッチを擦り、一服つけた。
そこは室町通りで四人は道沿いに葦簾を斜めに立てかけた休憩所でお茶を飲んでいた。茶といっても温い水に茶葉の塵を一つまみ入れただけの代物だ。代金は銀で払った。正確には十銭銀貨なのだが、茶屋の老婆はヤットコで銀貨を二つに割って、片割れを懐に、もう一方を扇の返した。お釣りということらしい。
竹で組んだ露台に腰かけて、黒い影たちの京の賑わいを眺める。行商人の呼び声が「買わんか、買わんか。若狭のカレイだァーい」「樒いらんか、樒」と絶え間なく次々と品を勧めている。扇たちのいる掛け茶屋から通りを挟んだ真正面には金粉色彩華やかな絵柄を飾る扇屋がある。そこでは黒い影の女子衆たちが花や緋鯉、笛を吹く平家の公達を描いた扇を見て、華やいだ声を交わしていた。店はまだまだある。黒い石に赤い漆の木を差した茶臼、履き物、鎧の小札を縫い直す職人。擦りきれた素襖をまとった絵解きの翁が巻物を広げて座り、雉の尾羽で絵を差しながら、鬼を退治する武者たちの物語を読んでいる。道の人々が左右に寄った。どこかの寺で連歌の催しでもあるのか、供を連れた侍や僧侶たちがぞろぞろと歩いていく。
そのとき、火縄銃を肩に背負った一人の若者がふらりと掛け茶屋に入り、露台に腰かけた。
「ババア、茶と団子だ」
若者は常連らしく、ぶっきらぼうに言った。典型的なカブキモノだった。手入れいらずの茶筅髷に赤い糸を巻き、袖なしの湯帷子に虎皮と豹皮を半分ずつ使った四幅袴、腰は縄で結び、火打ち袋、それに瓢箪を三つ吊るし、朱鞘の野太刀をいいかげんなやり方で差している。鉄砲は国友作。早合と呼ばれる弾と火薬を一緒にした竹筒を十個ほど紐で結んで肩から斜めにかけている。表情は不敵そのもので、目には、おれにちょっかいかけるやつはどいつもこいつもやっつけてやる、という子どもじみた覇気がみなぎっていた。
「これが茶かよ? 泥水飲んだほうがまだ味があるぜ」
そんなふうに憎まれ口を叩いていると、老婆がたわけ、うつけ、と言い返す。
「ふん、たわけ結構。うつけ上等」
見た目も中身もそうとうカブいている。そのカブキモノが団子を食いちぎりながら、扇たちを訝しげに見ていた。どうも見慣れない十九世紀の服装をした扇たち――特に久助をカブキモノの一種と眺めているようだ。
「その鉄砲はどこの作だ?」
若者が団子串でエレキ銃を指してたずねた。久助は自信たっぷりに、
「おれが自分でつくった」
と、こたえた。
感心したらしい若者の視線は、久助のエレキ銃に吸い寄せられている。
「見ない筒だな。これはどういう鉄砲だ?」
「鉛玉のかわりに雷を撃つ」
「雷を? 撃てるのか?」
「撃てる」
「是非とも見てみたいものだな」
若者はそう言って、にやりといたずら小僧式の笑みを見せた。
久助が肩をすくめた。
「おれも撃ちたいんだけどね、まだ撃つに値するやつに出会えてない」
「撃つに値するやつらが出てきたら、撃って見せてくれるか? もちろん礼はする」
「そりゃ、もちろん見せるさ。でも、礼はいらねえ。いくらでもタダで撃ってやるさ。あんた、なかなかカラクリを見る目があるぜ」
若者と久助のやり取りをききながら、扇の心にはふとある心象風景が浮かんだ。爆弾を積んだ機関車が突っ走ってきて、自分は線路に手錠でつながれている風景だ。それもとても生々しい。線路が震え、黒煙を吐く機関車は太陽の光でギラギラ光っていて――。
ああ、もう頼むから、これ以上、久助が調子に乗るようなことは言ってくれるな、と思い、扇が口を挟もうとしたときだった。
突然、賑わいの雑音を上回る大音声が告げた。
「公方さまじゃ! 公方さまの行列が来るぞ!」
公方、ときいた瞬間、大路の童から公家まで震え上がり、横道や店のなかに逃げ込んだ。あれだけ賑わっていた室町通りがあっという間に空っぽになった。掛け茶屋の老婆は奥で縮こまって拝み手をしてナンマンダブを繰り返していた。例のカブキモノは、ケッ、とけったくそ悪そうに舌打ちすると、団子を頬張り、ほとんど水の茶で飲み下した。
「何が公方だ。くだらねえ」
若者は火打ち袋から火打ち石と硫黄を塗った付け木を取り出して火を作ると、火縄に火を移した。火縄のはまった国友鉄砲を担いで、立ち上がり、通りのほうへ出た。先触れでやってきた猿回しがそれを見て、やめろやめろと唱えた。
「公方さまは今日はひどく機嫌が悪い。悲田寺で歩き巫女が二人斬られた。かしこまって平伏したのに、額が地べたよりも一寸高かったって理由でだ。ここで大路を立つのは犬死だ」
そういうそばから猿回しは商売道具の猿を抱えて、あっという間に逃げていった。平伏しても斬られるとは江戸時代の大名行列よりもひどい。
そのひどい行列がもうじきやってくるのに、カブキモノは一人、大路を立っている。
いや、二人だった。泰宗が太刀を手に道を出て、カブキモノの隣に立ったのだ。
「火を貸してもらえますか?」
カブキモノが鉄砲から火縄を外した。泰宗は箱から新しいエジプト煙草を取り出して、火を移した。
「ありがとうございます」
「いいのかい? こんなところでうつけと一緒にくたばるなんて」
たっぷり煙を呑んでから、泰宗はこたえた。
「女性を二人斬った、というのが気に入りません」
「へえ。そっちの二人はどういうわけだい?」
泰宗が振り返ると、扇とりんが立っていた。
「あんたを見ているうちに興が湧いた」
扇が言葉少なくこたえた。
「わたしは、えーと、一応、扇さんなので師匠なので……」
最後まで掛け茶屋に残っていた久助に四人の視線が集まった。
「わかったよ! そんな目で見るな」
久助は肩から吊るした電気箱をいじりながら、渋々やってきた。
「あんた、おれにエレキ銃を撃たせるために、わざと行列の前に立つ気だろ」
「よく分かったな。褒美に茶器を取らす――といいたいところだが、手持ちがないと来てる」
「言ったろ? タダで撃ってやるって」
すやり霞の隙間から直垂をまとった侍たちの行列が見えてきた。先頭には赤い鞍を置いた馬に行縢を穿いた侍がまたがり、その後ろを徒歩で薙刀、弓、太刀を持った侍が続いている。将軍の輿はまだ見えないが、行縢の侍が高飛車に退けと言う。
「籤引き公方が偉そうにほざくな」
カブキモノはそうつぶやくなり、国友鉄砲を素早く構えて撃った。主のいない赤鞍の馬が横を駆け過ぎる。地には行縢の侍が仰向けに大の字に倒れたままピクリとも動かない。
すぐに奉公衆の精鋭が前に出て、武器を手にとった。扇にとっての計算違いは全員が火縄銃を装備していたことだった。
ざっと三十丁の銃口が扇たちを睨む。
全員が息を呑んだ。カブキモノですら、押し黙り睨みつけている。
ただ一人、久助だけが鼻唄を歌いながら、電気箱のツマミをいじっていた。
侍大将らしいものが、狙え、と号令をかける。
「放て!」
閃光と轟音。扇は地に倒れた。耳がキーンと鳴り、頭がふらふらした。撃たれたと思っていたが、出血はしていないし、体に銃弾による穴は開いていない。りんや泰宗、カブキモノも倒れているが、負傷はないようだ。ただ一人、久助だけが立っていた。
扇は首をめぐらして、鉄砲隊がいた場所を見た。
だが、そこには黒焦げになって砕けた炭殻がごろごろ転がっているだけだった。
これで少しは溜飲が下がったのか、カブキモノはトンズラと決め込んだ。扇たちも逃げた。侍たちは追ってこなかったが、久助は興奮冷めやらぬ態で、
「すげえ! すげえ!」
と、ずっと繰り返していた。その横ではカブキモノがやはり、
「すげえ! すげえ!」
を、繰り返す。
「あれにゃ、公方も腰抜かすぞ!」カブキモノが言った。「久助と言ったな! その銃、欲しいぞ! それがあれば、天下布武も夢じゃないからな!」