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廓雲と扇の剣士  作者: 実茂 譲
第一話 〈鉛〉の扇と〈的〉の虎兵衛
18/611

一の十八

 九十九屋虎兵衛襲撃事件から一ヶ月が経った。

 そのあいだ大きな事件小さな事件がいくつかあった。大きな事件としては天原遊廓の属国化を露骨に狙っていたヤマト国が方針を転換し、天原から手を引いたことだった。

 その少し前に、ヤマト中央政府直属の諜報局長が二人あいついで、変死を遂げていて、この変死事件と対天原政策の転換とのあいだに何か関係があるのではと取り沙汰された。死んだ諜報局長のうち、一人目は浴室で転んで頸の骨を折り、後任の諜報局長は着任の三日後、イギリス製の蒸気自動車の動輪に巻き込まれて惨たらしい最期を遂げた。

 二人の亡骸のそばには、二人の変死が実は他殺であることをほのめかす手がかりらしいものが残っていたという噂がまことしやかに流れたが、ヤマト政府はその噂を否定し、あくまで二人の死は事故死であると発表した。

 ヤマトの諜報活動を一手に担う長がむざむざ二人も殺されたことをヤマトとしても認めるわけにはいかなかったのだろう。

 ヤマトが手を引いた二日後、籬堂では三十人の総籬株たちが集まり、天原の上方かみがたへの移動を決めた。ヤマトとの案件が片づけば、天原は安心して商売に励める。馴染みの遊女に会いたくてたまらない遊客たちへのつながりもこうして無事に保つことができる。もし、ヤマト相手に戦端を開いていればこうはいかないだろう。全てが戦時下となり、その遊びはシケたものになったことは想像に難くない。

 また、この事件で九十九屋は大きく株を上げた。

 遊女屋の親爺が国一つを相手に一歩も引かず、対決して勝ったのだ。忘八ぼうはちなどと蔑まれることもある楼主たちのうちで、これを痛快に思わないものはおらず、天原はもとより地上の遊廓でも九十九屋虎兵衛の評判が立ち、地上では目端の利く戯作家たちがこの事件に多少の脚色を加えて、芝居小屋にかける始末。

 ともあれ、天原は騒擾を乗り切った。

 そして、小さな事件。

 それは白寿楼が一人、新しい用心番を雇い入れたことだった。

 ひえええ! と甲高くわめき散らしながら、乱暴な酔客が三階から中庭の池へ落ちていく。

 大砲をぶち込んだような派手な水柱が上がる。それを一階の回廊で野次馬たちに混ざって眺めていた大夜と半次郎、そして泰宗が評価する。

「まあまあだね。初めてにしては筋がいい」と、大夜。

「投げる際の身の入れ方を良くすれば、男の落ちていく弧をより美しいものにできるのでは?」と、泰宗。

「おい、見ろ。鯉が噛みついてるぞ」と、半次郎が酔客の袴を噛む池の鯉を指す。

 そのころ、三階の回廊には扇が立っていた。汚れを払うように手をパンパンと打つ。着ているものは首まである黒の上衣に灰色のズボン、打刀をベルトで差し、棒手裏剣の入った革の装具もつけている。着ているものこそ、物騒だったが、表情からはほんの少しだが、険が取れていた。口元に微笑らしきものが浮かんだように見えないこともない。

 わっと下で騒ぎが起こる。虎兵衛が現われたのだ。

「当楼の至らぬところをお見せしましたこと、楼主よりお詫び申上げます。平にご容赦くだされ。ささやかながら、詫びの品をお座敷、お部屋に取らせました。どうぞご賞味ください」

 いいぞ、九十九屋、太っ腹! と歓声が上がる。

 それを扇は上から見る。人々の表情、声、笑顔。うまく伝えられないが、でも、間違いない。今、自分の見下ろした先には興の乗った空間がある。

 扇は賑わう一階へ降りながら、ふと思う。

 前に食べ損ねた小田巻蒸し。

 今度はきちんと食べてみよう。


                              第一話〈了〉

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― 新着の感想 ―
[良い点] 描写が丁寧で天原遊廓の絢爛な景色が目に浮かび上がりました。戦闘描写は臨場感があって手に汗握りますし、文章の言葉選びや言い回しもセンスがあってくすりとなります。中でも一番良かったのは〈鉛〉が…
2020/09/09 00:10 退会済み
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