十一の七
ペンペンペロレン ペンペロレン
死ねや 死ね死ね
ペロレンさまのために
東のほう――おそらく烏丸通りの六角堂から甲高い鐘の乱打する音が続いていた。洛外から先込め銃や竹やりで武装した町人たちがわらわらと現われて、四条大橋を渡って洛中へ怒涛のごとく流れ込んでいた。連発式ピストルや小型爆弾を発射できるラッパ銃を構えた女たちが髪を振り乱して、ペロレンさまのために死ね!と高い声を上げている。牛車が走る。その巻き上げられた簾からはガトリング砲や四斤山砲の銃身が突き出ていた。緑と黄色のだんだら模様の武装した門徒が市街地へ雪崩れ込む様子は尋常ならざるものがある。加茂川の向こうにある洛外の町からは放火があったのか黒煙が一つまた一つとゆるゆる昇り始めた。
南無散多大菩薩 南無散多大菩薩
南無目理居栗洲摩須 南無目理居栗洲摩須
一方では白鬚翁の面に赤装束の散多宗の門徒たちが散多念仏を唱えながら、路面鉄道の車輌や二階建て蒸気自動車で道路を塞ぎ、近所の家や店から引っぺがした畳や大看板で補強した。こうして要塞化された散多本願寺の倉から門徒に武器が放出された。錆びた脇差からドイツ製の最新銃まで、その全てがペロレン宗を討つために使われる。
竹の筒に入った檄文が気送菅で京じゅうの道場へ送られ、散多宗とペロレン宗は門徒全員を集めて決着をつけようとしていた。
ペロレン宗の門徒が新京極から散多本願寺前に殺到とすると、道を塞いだ車輌の銃眼からいっせいに散多宗の銃が火を吹き、ペロレン門徒のほうが数名ほど武器を落として倒れた。だが、ペロレン宗の門徒たちは落ちている銃を拾って、倒れた仲間を踏み越えて、散多宗の要塞に肉薄した。数十丁の銃が一度に発射され、白い硝煙に包まれて、戦いの様子は分からなくなった。聞こえるのは阿鼻叫喚や断末魔の叫び、そしてけたたましい銃声と弾丸が骨を砕くグシャリという音。
そのうち、四条大橋を渡るペロレン宗と三条大橋を渡る散多宗が何も橋を渡ることもない、ここから敵を撃ってしまえと橋に陣取って銃弾のやり取りを始めた。砲弾が橋から欄干をもぎ取り、それぞれの橋からバラバラになった肉のかたまりが落ちて、加茂川の水を朱に染めようとしていた。
「あーあ。ったく。血の気の多いやつらだなあ」
半次郎は四条河原から見上げるようにして戦いを評した。舞からすると、半次郎の態度には緊張感が欠けていた。そのことを言うと、
「だって、他人事だからな」
と、さらりと言った。
「どっちの橋が勝つか賭けるか?」
半次郎がこんなふうに余裕を持って物事に臨めるのは、それもそのはずで、半次郎がたすき掛けにした道中雑嚢には普通の倍の和三盆を使ってつくられた特製羊羹十本、時乃がつくった一口パイが五十個――桃、りんご、レモン、パイナップル、オレンジがそれぞれ十個ずつあった。
舞は扇の注意を思い出していた――半次郎の甘味を切らすな、甘味がつきるとあいつは何もかもがどうでもよくなる。
半次郎は二本差しでそれ以外に何も武器をつけていない。それに対して、舞は黒い上衣とズボンに〈鉛〉のときから使っている刀、棒手裏剣、大ぶりの苦無のほかにレミントン・リヴォルヴァーを一丁背中の革製銃嚢に差していた。
時乃は男装姿でつばの広い兎毛の帽子をかぶり、新興宗教のぶつかり合いをききながら、自分の銃の薬室や輪胴のまわり具合を確かめている。薬室をパチンと閉じると時乃が言った。
「馬鹿たちは放っておいて、こっちはこっちの仕事を始めましょう」
仕事――最近現れた歌舞伎小屋の怪しいものに探りを入れる。四条河原の広い砂地には確かにいくつもの芝居小屋がかけてあった。それも当世風の洋式劇場や歌舞伎座のようなきちんとした建物ではなく、入母屋の舞台や桟敷をつくり、入口に櫓を立て、タダ見ができないようにまわりを竹矢来と蓆で目隠しする簡単な作りだった。他にも能や浄瑠璃が催されている囲いがあり、どこも人の声、楽の音、それに唄に満ちている。
幼イ気シタル物アリ 張子ノ顔ヤ塗リ児
縮砂結ビニ篠結ビ
山科結ビニ風車 瓢箪ニ宿ル山雀
胡桃ニ耽ケル友鳥
伸ばしたり、縮めたりする奇妙な唄にお囃子が調子を取ろうとする。舞にはそれが不吉なものに聞こえた。唄には必ずケタケタ笑いがついてきていたが、それは唄を笑っているのではなく、もっと深いところで起きつつある不幸を笑っているように思えた。
小屋と小屋、囲いと囲いのあいだは路地になり、人で込み合う。人といっても、いろいろな人がいた――赤い大傘を広げて茶を入れる月代のつるりとした一服一銭、八の字鬚の肋骨服に紙巻煙草を吹かす偉そうな軍人、我が子の手を引く鳥打帽に二重回しの長身の男、侍烏帽子に鹿の行縢を穿いた侍、小さな骸骨標本をふりかざす丸薬売り、市女笠に虫唾を垂らした若い女、中折れ帽をかぶった顔色の悪い売卜師、泥酔した僧侶、垂髪に花小袖の遊女、乗馬用の紫のドレスを着た婦人運動家、ザンギリ頭に黒縮緬の羽織を着た旦那、黒い穴あき銭を並べた銭見世、水兵帽子と金ボタンの外套をつけた子ども、行器を天秤棒にふって走る袖なしに烏帽子の男、日本語が達者らしい白髪のフランス人画家、きれいに着飾った黒人奴隷に大きな傘を差させて歩くイスパニア商人、手垢まみれの曲げ物を捧げる痩身の物乞い……。まるで当世と室町の人々が入り混じったような光景だった。
そして、誰も銃声を気にしない。銃声絶えない京の都から四条河原だけが切り取られて時間の迷路に放り込まれたようだった。
そのうち遊女歌舞伎をかけている小屋の前に着いた。竹矢来と蓆でめぐらせている。入口には櫓が立っていて、垂れ幕には色鮮やかな抱き寓生に向い鳩紋が描かれていた。太鼓がドンドン鳴り響き、熊手と刺又と毛槍の三つ道具が突き出ている。櫓の下にくぐって入るねずみ木戸が二つ開いていた。木戸のあいだには墨で、
此うちにおいて かぶき
御座候御望みのかたがた
御見物なさるべく候
そうせん じゅうせん
と、ある。
「いかにも怪しい感じだ」
半次郎は羊羹をもぐもぐやりながら顎でしゃくった。ねずみ木戸には菅笠に赤い布で顔を隠した男たちが木戸をくぐる客から十枚の宋銭を取り立てていた。
「何が怪しいの?」時乃がたずねた。
「自分の懐を探ってみな」
言われて時乃はポケットをさぐると、見たこともない宋銭が十枚出てきた。
舞もまさかと思うと、ちっとも擦り切れていない宋銭が十枚、舞のポケットから現れた。
もう何百年と流通をやめている穴あき銭がまるで仕組まれたように苦労なく手に入った。
「罠だ」舞が即座に言う。
「まあ、そうだろう」半次郎が言った。「おいでおいでされているのは確かだ。たぶん、あの警部と目付にはめられた。でも、まあ、見方を変えれば、探す手間が省けたとも言える。ペロレンと散多どもがドンパチやってるなか、大将と泰宗をさらった化け物を探すなんて、冗談でも笑えねえや」
そう言って、半次郎はねずみ木戸に屈んで、枠に足をかけた。赤い覆面の男が手を差し出したので、宋銭を十枚手に押しつけた。舞は木戸の奥へ消えた半次郎を見てから、時乃を見た。
「大丈夫なのかな?」時乃がたずねる。
「扇が言うには甘いものがあれば頼りになる」
「なくなったら?」
「これも扇からきいたことだけど」舞は言った。「蜜のつまった壷一つのために自分の刀を質屋に入れたことがあるそうよ」
時乃はあきれたように肩をすくめた。だが、扇に言わせれば、時乃も十分変わっているそうだ。内乱と無秩序のイナバ国の砂漠で独裁者の手下を処刑しまくっていたそうなのだが、その理由が夫の仇を討つためだった。その夫は齢六十を超えていたという。扇がだいぶ前に言った。
――まあ、すずや火薬中毒者ほどではないが、時乃もそれなりだ。
――わたしには普通に見える。
――そうか。しかし、暗殺と処刑の違いは何なんだろうな。ときどき考えることがある。
時乃がひょいと頭を下げて、木戸賃を払ってねずみ木戸をくぐった。舞もその後に続いた。三尺五寸四方の入口。頭上からはドンドンと太鼓の音が響いている。四尺の樫棒を握った赤い覆面の木戸番が手を伸ばした。その手のひらにポケットから自然と湧き出た宋銭十枚を落とすと、木戸番は横に退き、歓楽の空間へと誘った。




