十一の六
六角堂裏に住む妖怪専門家、というくらいだから、きっと町屋造りの窮屈で薄暗い屋根裏に閉じこもって地方の伝承だの妖怪変化の版画を集めたりしている変なやつだろう。
だが、そこに着いてみると大夜たちの予想は大きく裏切られた。その住所にあったのは、かの名高き六角堂よりも大きなルネサンス様式の二階建て洋館だった。どういう仕掛けなのか大夜たちがやってくると、鋳鉄の門がひとりでに開いた。車まわしのある庭を通り過ぎて(火薬中毒者はこの立派な邸宅を解体するにはどこに爆薬を仕掛ければいいか考えながら歩いていた)、玄関を開けると広大な広間に出た。そこで屋敷の主である妖怪専門家が大夜たちを出迎えた。
「お待ちしておりました」小柄だがとても洗練された身なりの紳士が微笑んだ。「鞍馬崎と申します。よろしく」
鞍馬崎は一人一人と握手をかわすと、早速本題に入った。
「ご用件については内務省と侍所からうかがっております。まずはこちらへ」
通されたのは装丁された革の匂いが香る図書室だった。一階から二階へ吹き抜けになっていて、手すり付きの回廊があった。床は大理石、天井は縦横に走る黒い梁で小さな正四角形に分かれていて、その四角形のなかに金箔を張り、唐傘お化けや輪入道の彩色画が描かれていた。
「ここにあるの全部妖怪関係の本なんですか」すずが目を点にしてたずねた。「すごい数ですねえ」
「ええ。長年のコレクションです」
鞍馬崎はドアの脇に控えていたお仕着せ姿の召使いに飲み物と簡単な軽食を持ってくるように命じた。
図書室の中央にマホガニーのテーブルがあり、鞍馬崎に勧められるまま、大夜とすずは腰かけた。火薬中毒者は丁重に誘いを断り、ぶつぶつつぶやきながら、図書館の広間を歩き回った。
テーブルの上にはすでに数冊の本と巻物が用意されていた。鞍馬崎は深刻さと安堵の異なる感情を同居させた珍しい表情をして言った。
「このようなことを言えば、不謹慎ですが、こうしてわたし個人の道楽が人助けになって嬉しいのです。確か、京で姿を消した方のお名前は九十九屋虎兵衛さんと――」
「頼村泰宗」大夜が言った。
「そのお二方ですね」
「屏風の絵にあるような雲、なんつったか――」
「すやり霞?」
「そう。それに包まれて二人とも姿を消しちまったんだ」
「九十九屋さんはヤマトと揉め事があったときいてます」
「へえ、事情通なんだね」
「天原とヤマトほどの国家となると、噂は必ず入ってきます。それも京の人々は格別噂話が好きと来ている。しかし、ある種の噂は何ども口にしているうちにだんだん事実へと近づいていきます。まあ――言霊とでもいうのでしょうか?」
「何度も口にしていると、それが本当になっちまうってやつかい?」
「ええ。それです。京というのは永年の都となるだけのことはあって、霊的な力が強い場所です。そこに邪な意志を持ってして、言霊を操る人物がいたら? 例えば、天原の総籬株の筆頭を妖かしたちの虜にするような言霊を操るということですが――」
「仮定の話だけど、その言霊の話が本当だとして、その元凶を探ることはできるのかい?」
「それについては調べてみました」
鞍馬崎は白い手袋をつけると、巻物を一本取り出して、それを二人に見えるように広げて見せた。烏帽子を失い亡者のように髪と鬚を伸ばした公家らしい男がさびれた荒野で皮籠によりかかっていた。その荒れた庭へ顔を向けながら、尖らせた口から風のようなものが流れ出している。巻物の左へ行くにつれて、風が火の玉のかたまりに変化して、屋敷の女官を焼き殺していた。
「一条帝の御世の話ですが、ある公家がやんごとなき女官に無礼を働いたとして、鬼界ヶ島へ配流されたのですが――この公家は配流先から女官を呪い、自らの言霊を火に擬して、京にいるその女官を焼き殺したという記録がこうして残っています」
「敵は都の外にいるのかもしれないな」
「わたしはそうは思いません。もし、九十九屋さんが言霊によってさらわれたのならば、この京にいる何者かの仕業でしょう。今の京は気、地、水の脈全てが乱流しています。こうした言霊も作りやすいというものです」
「大将を助けるには、すやり霞の出元を探ることが大切ってことか」
大夜は腕を組んで、ううむ、と呻った。そのとき、図書室の扉が開いて、紅茶とクリーム菓子を銀の盆に乗せた召使いが現われて、テーブルに置いた。
「あちらの方は?」
鞍馬崎は歩き回っている火薬中毒者を手で示して、たずねた。大夜はあいつはいいんだ、と手をふった。
「こんなこといって悪く取って欲しくないんだけど、あいつはあんたの屋敷を発破解体する練習を頭のなかでしているんだ」
「発破解体?」
鞍馬崎を少し驚いて、瞬きし、火薬中毒者を見た。ちょうどそのころ、火薬中毒者はしゃがんで大理石の床をコンコン叩いていた。鞍馬崎の視線に気づくと、火薬中毒者はにこりと笑って、実に面白いですね、このお屋敷は、と言った。
「まだ検討中ですが――」火薬中毒者が言った。「六角堂のほうへ瓦礫のかけら一つ飛ばさないでこの建物を発破解体できるかもしれません。いやあ、大変なお屋敷ですねえ」
呆気にとられた鞍馬崎に大夜は肩をすくめながら、まあ気にすんな、と言っておいた。
「それにしても――」すずがクリーム菓子のうまさに目を細めながら言った。「おいしいお菓子ですね」
「喜んでいただいて嬉しい限りです。フランスのリッツでペイストリー・シェフをしていたフランス人をこちらに呼びましてね。店を持たせて作らせているのです」
「そいつぁ、大変な御大尽だ」大夜が言った。「でも、それほどの富豪なのに、天原であんたの名前をきくことがなかったのは妙だなあ」
「ははは。わたしの資産はほとんどが父から受け継いだものでしてね。資産運用は専門家に任せて、わたしは妖怪や怪異の研究に打ち込んでいました。そのせいか、この齢になるまで、妻帯もせず、廓遊びも全くしませんでした。天原はおろか祇園にだって行ったことがありません」
「なるほど。そりゃ、あたしらもきいたことがないわけだ。とりあえず、言霊の出元を追うってことで一つ方針が立ったよ。見ず知らずのあたしたちにこんなに便宜を図ってもらえて、何だか妙な気分だ。でも、助かったよ。礼をしきれない」
「もう、お出かけになりますか?」
「うん。このことを他の連中にも知らせて、それから対策を練りたいんでね。もしかしたら、またこっちに寄らせてもらうことがあるかもしれない」
「そうですか。しかし、今、外出するのはよしたほうがいいですよ。鉦が鳴って、お経が読まれます」
「そいつはどういうわけだい?」
そのとき、屋敷の外――六角堂のほうからトンツクテンテンと鉦の音と唱え文句がいっせいに鳴り出した。
ペロレンペロレン ペンペロレン
叡山国賊 禅天魔
法華狭識 散多邪宗
救いはこれぞ ペロレン宗
ペンペンペロレン ペンペロレン
「ペロレン宗ですよ」鞍馬崎が言った。「困ったものです。同じ新興宗派の散多宗と京の覇を競っているのです。もうじき六角堂の鐘が撞き鳴らされます。京じゅうのペロレン宗が散多宗とぶつかります。そうなったら、物騒です」
「そうきいたら、ますますここには居られねえ。他の連中にも注意するよう伝えないと」
「もう手遅れですよ、ほら」
カン! カン! カン!
六角堂の鐘が撞き鳴らされ、図書室のガラス窓が震えた。
「ほら、始まった」鞍馬崎は穏やかに微笑み、諭すように言った。「信徒たちが集まります。歓声が起こって、銃が撃たれますよ」
わあっ、と声が湧いて、銃弾がガラスを突き破って図書室に飛び込んで、言霊を描いた巻物をかすめた。巻物はそのままくるくるまわって広がりながら、テーブルから落ちて、床の上を転がった。
「さあ、始まりました。こうなっては剣呑です。騒ぎが収まるまで、ここにいましょう。それが間違いありません」
「あたしはそうは思えねえな」
大夜は椅子を蹴って立ち上がり、鞍馬崎をはっしと見据えた。背は大夜のほうが高い。鞍馬崎は穏やかな微笑みを湛えて、大夜の鋭い目線を受けている。
「さっきからおかしいんだよ。あんたが鉦と経が読まれるといえば、そのとおりになったし、六角堂が撞き鳴らされるといえば、そのとおりになった。声が湧いて、銃が撃たれるといえば、そのとおりになった。これじゃ、まるで――」
「言霊ですね」
すずがいつにもない真剣な声で引き取った。その視線は床の上――長く伸びた巻物の画図文に落ちている。
「鞍馬崎ノ中将遠島ニテ人ヲ呪イ女房衆ニ怨火ヲモタラスハ衆人コレヲシテ中将ノ言霊ト呼ベリ――中将の言霊、これはあなたのことです、鞍馬崎さん」
大夜の大脇差が閃いた。鞍馬崎の首は跳ね飛びながら、ケタケタ笑い、炎の玉となって四方八方に飛び散った。その強烈な光に目をつむり、再びまぶたを開けたとき、図書館の全ての壁が炎に包まれていた。革の装丁がジジジと鳴きながら反り返り、天井の妖怪画が梁とともに焼け落ちてくる。
「くそっ! 罠だった!」
大夜は左右に目をやったが、扉も窓も渦巻く炎に飲み込まれ近づけない。火薬中毒者が爆薬試験管を投げるが、扉も窓も破れず、火勢ばかりが強くなる。
「とにかく机の下に入れ!」大夜が叫んだ。「落ちてくる梁を防ぐんだ!」
大夜とすずが机の下にもぐりこんだが、火薬中毒者だけはマホガニーの机を叩いて、物差しを出し、その分厚さを調べて、独り言をぶつぶつこぼしている。
「マホガニーの厚さが十一センチ。床の厚さは六センチもないから、必要な火薬は――」
「火薬中毒者、机の下に入れ! 梁に下敷きになったらお陀仏だぞ!」
火薬中毒者は首をふった。そして、
「二人とも机の下じゃなくて、上に乗ってください」
「は?」
「ぼくの計算が正しければ、それで逃げ道が確保できます」
「でも……っ!」
「火薬中毒者さんを信じましょう!」すずが言った。
「ええい、くそ! どうなっても知らねえぞ!」
大夜は言われたとおりテーブルに乗った。すずも乗り、火薬中毒者も乗る。炎を巻きながら大きな梁材が落ちてきて、テーブルの角をもいだ。あと少しずれていれば三人とも潰されていた。大夜もすずも生きた心地がしなかった。火薬中毒者は冷静そのもので小さな空の試験管を取り出し、二種類の液体火薬を混合して導火線付きのコルク栓で蓋をした。すぐそばで燃えている梁から火をもらうと、パチパチ火花を立てる試験管をテーブルの下に放った。
「体を丸めて、耳を塞いで!」
そう言うなり、火薬中毒者は耳を塞いで丸まった。すずと大夜も慌ててそれに倣う。
大きな爆音がしたとき、三人の乗ったテーブルは二階の高さまで飛び上がった。そして、そのまま図書館の床に叩きつけられた――はずが、そのまま落ち続けた。床に開いた穴はちょうど三人を乗せたテーブルほどの大きさだった。燃えさかる炎は頭上の小さな点となり、落ち続けるうちに体が浮くような奇妙な感覚を覚えたとき、マホガニーのテーブルに乗った三人は黄金色のすやり霞のなかを漂っていた。