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廓雲と扇の剣士  作者: 実茂 譲
第十一話 洛中洛外図扇と梟雄悪御所百鬼夜行
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十一の二

 とにかく一度天原に帰ってきた左文字屋と仙王寺屋が言うには、祇園への参りも済んで、京の町を少しふらついていると、見たことのない川のそばに出た。まるで屏風のすやりかすみのような金色の雲に包まれた、尋常ではないその川辺に三人の楼主はお互いを見失わないように固まって歩いていたが、そのうち虎兵衛と泰宗がはぐれてしまった。

「最後に見たとき、九十九屋さんと泰宗は紅い行灯が奥に灯る、どこかの屋敷の廊下のようなところに上がろうとしていた」左文字屋勘十郎が言った。「それを見て、こっちも大声を上げたんだが、例のすやり霞がまるでふすまのように両側から伸びて、九十九屋さんたちの姿を隠しちまった。そうしたら、金色の雲があっという間になくなったんだ。おれと仙王寺屋さんでその屋敷の廊下らしきものがあったはずの場所に行ってみたが、どこにでもある普通の道があるだけで、小さな店や民家はあっても、屋敷なんてものはどこにもない。そして、それっきり、二人の姿が見えなくなった」

 明治政府の警察庁と室町幕府の侍所が合同であちこち探しているが、いまだ、虎兵衛と泰宗は見つからない。

 総籬株が開かれて、すぐに虎兵衛と泰宗を探すための捜索隊が出されることになった。言うまでもなく、扇、大夜、半次郎が志願し、白寿楼抱えのカラクリ番として久助が、火薬中毒者は扇の奴隷としてついていくことになった。時乃はコスモポリタン・ホテルの開業に力を貸してくれた虎兵衛のためにと時乃が志願し、舞もついてくることになった。

「時乃は分かるが、あんたが来るとは思わなかった」扇は舞を見ていった。舞もここに暮らして、少しずつ天原に――外の世界に慣れつつあったが、感情が表に出ることはほとんどなく、話し方も抑揚がなく、ぼそぼそとひとりごとのようにしゃべっていた。

「時乃は虎兵衛に恩があって、わたしは時乃に恩がある」

「芋づる式か」

「その言い方はマヌケっぽいからやめろ」

「でも、その格好。実際、マヌケっぽいぞ」

 舞はホテルで使っている西洋女中メイドの格好をしていた。普段からこれに着慣れていたし、武器も隠せるように工夫もしていた。例えば、たった今、扇の脛を蹴飛ばした靴の爪先には鉄が仕込んである。

「痛っつぅ……」

「ふん」脛を抱える扇を残して、ぷいっと舞は顔をそらした。

 白寿楼の用心番全員が虎兵衛と泰宗を探しに行くあいだ、宝鶴楼と華仙楼の用心番がそれぞれ一名ずつ詰めることで決まり、翌日の払暁とともに京へ降りることになった。

 その夜、白寿楼の三人の用心番はろくに眠れそうにもなく、用心番部屋に集まっていた。

「もし、これがヤマトのクソどもの仕業なら――」大夜が言った。「もう容赦しねえ。皆殺しにしてやる。大将が止めようが関係ない。あたしは殺るからな。あんたらも止めるなよ」

「止めはしないが、おれも連れて行け」扇が言った。

「落ち着け。二人とも」飴玉を口のなかに転がしながら半次郎が言った。「こいつはヤマト絡みじゃない」

「なんで分かるんだよ?」大夜が噛みつくように言う。

「泰宗がついてたんだぞ」それで分かるだろ、と半次郎は眉を上げた。「ヤマトの刺客が束になったところで本気になった泰宗に敵うはずがない。たとえ、二人が囚われたとしても、さらわれた現場には胴から真っ二つにされたヤマトの刺客どもが十か二十は転がってるはずだ」

「……じゃあ、誰の仕業だよ?」

「分からん」半次郎は飴玉を噛み砕くと、泰宗の書卓に頬杖をついた。「だが、もっと得体の知れない、妙なもんが絡んでる気がするんだよ。襖絵のすやり霞のような金色の雲。紅い灯の屋敷。どう見ても人間の仕業とは思えねえ。ヤマトなんかよりももっと危険な何かが――」

 扇が立ち上がる。

「どこに行くんだ?」

「散歩だ。少し気を紛らわせたい」

 白寿楼のカエシから裏口へ出て行く。仲町は何も知らないかのように華やいでいる。虎兵衛たちの失踪には緘口令かんこうれいが敷かれていた。白寿楼の張見世も何もないように花魁たちが並んでいる。そこには、なんだかんだと理由をつけて座っている織里と春ノ音――伊織と音二郎がいた。

虎兵衛の言ったことが思い出された。

 ――天原に来ると、こう頭がクラクラするんだよ。で、普段は考えもつかなかったことを試したくなる。

 今では伊織のほうが板についてしまったくらいだ。もちろん体を売らせてはいないが、ただ酒宴にいるだけでいいという客が大勢いた。虎兵衛は約束どおり音二郎の証文を破って捨てたが、伊織はそのような情けは無用、きちんと代金を返すまでここで張見世に出るつもりだと言ってきた。本人はいやいやっぽかったが、そのとき虎兵衛は横にいた扇にだけ聞こえるように、

――な、おれの言うとおりだったろ?

 と、言った。

 そして、働いて稼いで、音二郎の年季明けが来たときにどんな言い訳をして、ここに残ろうとするのか、虎兵衛はそれを楽しみにしていたようだった。

 そのときの顔を思い出す。天原一の大見世を仕切る楼主というよりは、まるでいたずら小僧みたいだった。新年早々、禿相手に羽根突きをやって、顔じゅう墨まみれになったり、花魁一人一人の様子を見て、体調を気づかったり、高い鼻と尖らせた唇のあいだに細い筆を挟んで腕組みをして天原細見あまばらさいけんの絵柄を考えたり。

 そうしたもの全てが失われるかもしれないと思うと、怖くなった。

 気づくと、天原白神神社の鳥居の前にいた。境内はしんとしていて、誰もいない。寿もいなかった。

 春が近い夜空に星が瞬いていた。

 困ったときの神頼みというが、拝んで二人が戻ってくるだろうか。

 扇は唐金せいどうの鳥居に一礼すると参道を進んで、拝殿の賽銭箱の前に立った。ポケットには天保銭が一枚ある。最近また価値が持ち直して、蕎麦や銭湯を一枚で購えるようになったと世間では評判になっている。神さまの機嫌も取ることができるかどうか、扇には分からないが、それでもやってみようと、鈴を鳴らして、天保銭を放り、手を打って、目を閉じて祈った。

 虎兵衛。

 泰宗。

 どうか二人を無事に戻してくれ。

 拝殿の奥から物音がして、扇は思わず後ずさった。急に人の気配がした。扇は右手を刀の柄にかけて、鋭く誰何すいかした。

「誰だ!」

「おれだよ、扇」

 拝殿の奥の暗がりから姿を見せたのは寿だった。

「何をしている?」

「何を、って、ここ、おれの神社だよ」

「でも、お前、その格好は――」

 立烏帽子たちえぼし、白い水干すいかん、紅い袴に銀の鞘巻さやまきを腰に差していて、手には扇が一本。寿はへへ、と苦笑いした。

白拍子しらびょうしだよ。実はね、神さまがさ、おれの願いをきいたお返しに、一つ、舞を打って見せろと言って来たんで、一差し舞ってきたところさ。いや、異なる二つの世界をつなげるってのは、実にしんどいねえ、ほんとにしんどい」

「異なる世界?」

「うん」

 寿は石段に崩れるようにがくっと腰を下ろし、賽銭箱に寄りかかった。扇はぐったりしている寿の脇に屈んだ。

「大丈夫か?」

「平気、平気」薄く開けた目で扇を見上げながら微笑んだ。「ちょっと、力を使い過ぎちゃっただけ。しばらく休めば何とかなるよ。それより拝殿の奥へ進んで。その先に今回のことで助言してくれる人がいる。きっと……ためになるはずだよ……おれは、眠くて、うん、しょうがないんだ……疲れちゃったよ……じゃ、おやすみ――」

 寿は頭を賽銭箱にあずけて、目を閉じ、静かな寝息を立てた。

 扇は立ち上がって、暗闇に閉ざされた拝殿の奥を見た。密に詰まった黒だけが見える。人の気配はしない。だが、そこには寿がここまで疲弊までしてつなごうとした何かがあるのだ。扇はためらわずに足を暗闇へ踏み出した。

 次の瞬間、扇は紅い町に立っていた。麝香じゃこうが香る朱塗りの張見世。鶴が飛ぶ大波の金襖。紅友禅べにゆうぜんを纏った美貌の男たち。銀の煙管の紫煙。鞠のように太った女芸人の嬌声きょうせい。一間幅の店屋が並ぶ――錦絵を目いっぱい飾った絵双紙屋えぞうしや、下駄屋、鰹節商、蒸気洗濯、とろりと甘い芋菓子屋。炭火に落ちたタレの焦げる匂い。

「ここは――」

 扇は左右を見回し、妓楼の玄関口に垂れ下がった暖簾の紋を見た――交差した太刀に花紋。

「おこしやす、逆原」

 声がかかる。ふりかえると、銀朱ぎんしゅの羽織に行灯袴を穿いた男装の美少女――太刀華屋たちばなや楼主、夜叉がむすっとした顔で立っていた。

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