十の二
朝食は遊女とそれ以外の雇い人を分けて板張りの大部屋に入れると決まっている。扇は大部屋の用心番の席に座って、飯櫃と出汁を入れた鍋がやってくるのを他の連中と待っている。朝餉は白飯に焼いた魚の身が乗って、出汁をかけたものに漬物がつく。漬物については白寿楼はその種類の豊富さが天原じゅうに知られていて、これは他の見世で働くものたちから垂涎の的となっている。やはり朝から一等好きな漬物を選べると、気分がよい。小皿が何十と乗った盆がまわされ、番頭や中郎たちはめいめい柴漬なり、茎漬なりを好きなものをとっていく。扇は小茄子の浅漬が好きでほとんど毎日食べていた。トサ国では一年じゅう小茄子が出回っているので、仕入れに困らず、好きなときに食べることができるのだ。
「扇は浮気者だな、おい」
と言ったのは隣で毎朝わさびの茎漬を選ぶ大夜だ。
「何が浮気なんだ?」
「漬物だよ」
「おれは毎日小茄子の浅漬を食べている」
「おっと、そいつぁ嘘だね。先週、きゅうりの金山寺に手を伸ばしたのをあたしは知ってんだ」
「それがどうかしたか? 別にそのとき食べたいと思ったものを食べればいい話だろ?」
「切ねえとは思わねえのかい? いつも選んでもらってる小茄子の浅漬がだよ。金山寺に浮気されてさ。扇、あんた、もっと漬物の身になって考えないといけないぜ」
扇は大夜の顔の前に自分の顔をぐいと突き出すとくんくんと鼻を鳴らした。
「なんだよ?」
「いや、朝から酔っ払ってるのかと思って」
「あたしが天下の大道を説いてるのに酔っ払ってるって? 冗談言うんじゃないよ」
「それなら泰宗はどうなんだ?」
大夜は右隣の泰宗を振り向いた。いつもは蕪の千枚漬を選ぶ泰宗だが、今日は出汁も辞退して、からからに炒った鉄火味噌で白飯を食べるつもりらしい。
「ここにも浮気者がいたか」
大夜が、はあ、とため息をついた。
「何が浮気なんです?」
「漬物は一度決めたらとことんまで貫けって話だ。金山寺や鉄火味噌に浮気だなんて、あたしは納得いかないね」
「そうだぞ。二人とも」泰宗の右隣で用心番席の一番右にいた半次郎が言った。「やっぱり漬物一つにも立てなくちゃいけない義理がある。そういうことだろ?」
「そうだけど、半次郎、あんたをこっちの陣営に引き込むつもりはないからね」
「ん? それはなんでだ?」
「あんたはおかしいからだよ」
「おかしい? 何が? どんなふうに?」
そう言ってキョトンとしている半次郎の膳には杏の砂糖漬けがある。出汁茶漬けのお供に砂糖漬けを食べる半次郎の姿は思わず、ウッと呻きたくなるものがある。
その日の魚は塩鮭でそれに塩と醤油とみりんをくわえた昆布出汁がかけられた。サラサラ――というよりはガツガツした食べ方が主流の白寿楼大部屋では食事のときにも話に花が咲く。このときの話題は中郎や新造たちが座るところから起こった。最近、筒袖権蔵がいい仕事をしすぎることに下っ端は含むところがあるらしい。
「権蔵さんよ。もっと性悪の客を入れてくれや」
「何言ってやがる、この馬鹿野郎。どこの世界に性悪と分かって客を引くやつがいるんだ」
「そんなこと言ってもさ、権蔵さん」と若い新造が言った。「あたしたち、この二ヶ月、小田巻蒸しを食べてないのよ」
「要するに、客を餌につけてねえってことだろ?」権蔵が言った。「いいことじゃねえか」
「でも、小田巻蒸しが食いてえんだよ」
「いっそのこと、誰でもいいから餌づけしちまえばいいのさ」灯油番役の中郎が言った。
大夜は灯油番役の中郎に、馬ぁ鹿、と返した。
「まともに飲んでる客を餌づけしたら、白寿楼は閑古鳥が鳴かぁ」
「じゃあ、やっぱり権蔵さんが悪い客を引き込んでおくれよ」新造がしなを作った。「礼はするからさあ」
「だめだ、だめだ。客はいい客しかいれねえぞ。茶碗蒸しでも食って我慢しろや」
筒袖権蔵に袖の下を渡そうにも袖がない。しかし、確かに白寿楼はここ二ヶ月、鯉の餌づけをしておらず、小田巻蒸しも食べていない。客を餌づけにしたときの詫びの品としてしか出されないので、浅葱裏か生野暮が無粋な真似をしてくれないと、どうあっても食べることができないのだ。もちろん、万膳町には小田巻蒸しを出す店はあるが、味が違う。彼らが食べたいのは白寿楼の小田巻蒸しなのだ。