九の十六
空の砲艦は相変わらず、里の上の空を飛んでいる。
「タエが朱菊だったとはなあ」
「それも遊廓一番の女郎だべ」
「まさかなあ」
日も暮れたころになった。タマの家には忠吉ら一同が集まって、タエのことを話していた。朱菊の正体についてはタマの後ろにいた里のもの数人がきいてしまっていた。タエが女郎であったという話はあっという間に里に広がった。女郎という職業への偏見はどうあがいても取り除けそうもなく、かといって、タエを批難するだけの覚悟もない。タエは朱菊として、里のために人身御供になったのだ。
囲炉裏部屋の端ではせんと新右衛門が座っていた。部外者らしく黙っていたが、やりきれなさでいっぱいだった。
「蒸気や鉄の時代になって、何がよいかといえば、下らぬ迷信で人柱をすることがなくなったことだ」新右衛門は寄り合う里のものたちの背中を見ながら言った。「だが、よもやこのような形で人がみなのために犠牲にされる瞬間を見ることがあったとはのう。嫌なものだ。何が嫌かといえば、己が無力さよ。武芸者が笑わしてくれる。こたびのことが終わったら、それがしは銃の撃ち方を習うつもりじゃ。こんな歯がゆい思い、一度で十分すぎる」
「そうだな――」
せんは反対側の隅にいるはずのタマのことを気にかけた。囲炉裏を囲んで座っている大人たちがいるので、姿は見えないが、せんが最後に見たとき、タマは膝を抱えて落ち込んだように小さく座っていた。
「結局、これが一番だったのかも知れね」里のものが言った。「タエが女郎と知れれば、どうしてもいろいろ面倒事が起こるべ。男衆のなかで変な気持ちを抱くやつもいれば、女衆にも穢れを嫌がるもんもでる。でも、タエはこうしておらたちを救ってくれた。もう、二度と里には戻れねえかもしれんが、これがいいのかも知れね」
「んだな。最後に里のためになれたんだし」
男たちの賛同の言葉らしいものがもごもごとつぶやかれた。
「いいわけなんてねえべ!」
咎めたてる大声に大人たちはいっせいに振り向いた。タマが小さな体をすっくと立ち上がらせ、激しい呼吸で肩を上下させながら大人たちを睨んでいた。
「金欲しさに里を吹き飛ばそうとするようなやつと一緒にさせられて、タエ姉やが幸せなわけがねえべ! おら、タエ姉やを鬼熊屋から帰ぇしてもらう! 嫌だとごねたら、鉄砲食らわしてでも、取り戻す!」
「座れや、タマ!」忠吉が声を張った。「おめえ一人で何ができる。相手は空に飛んでるんだべ? しかも、大砲でこっちを狙ってる。いつ撃たれてもおかしくねえべ」
「おっとうは里の長だべ! んだのに、タエ姉やがさらわれちまっても平気なんがか?」
「平気なことがあるかい! タエが、人に優しいいい娘だってことは分かってる。だが、おらは里の長だ。里全部を危ねえ目にさらすわけにはいかねえ。それを……それをタエが救ってくれるなら、それでもいい。腰抜けといわれてもいい。おらは何もできねえ弱え長だ。タマ。好きなだけおらを責めろ。里を、里の子らを――おめえを大砲から守ってやれるなら、おら、どう思われても構わねえ」
タマが悲愴な表情でうつむいた。タマが鬼熊屋に鉄砲を撃つ覚悟があるように、忠吉は里と娘のために卑怯者呼ばわりされる覚悟をしていたのだ。
重苦しい沈黙が部屋にたちこめた。
それを破ったのは二人の余所者だった。
「ったく、すげえなここは! 水車とゼンマイだけが動力だなんて信じられるか?」
「火薬が足りない。ここには圧倒的に火薬が足りない」
毛皮で着ぶくれ雪だらけになった若者二人が戸口に現われた。
「な、なんだべ、おめえら?」
「鬼熊屋の手先か?」
村人たちの驚きをよそに二人組は雪を払い落としながら板の間へ上がり、部屋を見回した。
「あっ、ほらっ、いたぞ、火薬中毒者!」
余所者二人がせんの元へバタバタと近づく。
「探したぜ、扇。さあ、とっとと天原へ戻ろうや」
差し出された手を、せんはきょとんとして見つめていた。
「記憶喪失ぅ?」
余所者その一、久助が言った。
「へええ、何かの衝撃でなったんですかね?」
そう言ったのは余所者その二、火薬中毒者だった。
里のものたちは二人から事のあらましをきき、驚いた。
タエこと朱菊太夫とせんこと扇は同じ空飛ぶ遊廓〈天原〉の同じ妓楼〈白寿楼〉で暮らしていたのだ。扇はそこで用心棒をしていた。久助と火薬中毒者曰く、正月のめでたさをさらに増すために人類の進歩の記念碑ともなる大発明「火薬機関第二号」の試作運転を行い、扇が乗員となって、空を飛んでいったはいいが、そのまま戻らず、こうしてあちこちを探してまわっているうちに、扇名義でガザリの里で無事にしていることを電報で送られてきた。今、思うと、この電報はタエが誰かに言付けして、麓の町の電信所から遅らせたのだろう。朱菊は自分の出身を知られないよう用心していたから。
「まあ、扇が無事なのは分かった」と久助は囲炉裏を囲む男たちに言った。「で、おれの火薬機関第二号はどこだ?」
「あれならバラバラにして鋳つぶして鍋釜にしちまっただ」
「――は?」
「いくつかの鉄管だの鉄桁だのは便利だからそのまま利用してるだ」
「ふ、ふ、ふ」久助が震えながらわめいた。「ふざけんな、バカヤロー! おれの最高傑作をバラバラにしちまっただと!」
「おい、あんた」
せんが久助の肩をつかんで振り向かせた。
「その機械、空を飛べると言ったな?」
「言ったよ、ちくしょう……」
怒りの第一期が過ぎて、失望の第二期がやってきたのか、久助は目に見えてへこんできた。
「なら、それでおれを飛ばしてほしい」
「は?」
「上にあるあの鉄の船。あれに飛び乗れさえすればいい」
せんはタマを振り返った。
「心配するな。タエは必ず取り戻す」
「それがしも行こう」
新右衛門が立ち上がった。せんは強くうなずいて、また久助のほうを見た。
「言ったとおりだ。二人分を飛ばすためにその火薬機関を作って欲しい」
「そうは言われても、バラバラにされた上に、いくつかはつぶされて鍋にされたっつうんだから――」
「無理か?」
「は?」
「あんたはカラクリに詳しそうだ。そのあんたでも無理か?」
「無理なわけがあるか!」失望の季節が過ぎ去り、全ての復活を謳う第三期がやってきた。「一度、作ったもんをまた組み立てるだけだろ? 部品がちょっと鍋釜になったくらいで天才の発明はくじけたりしねえんだよ。よし、二人分の殴りこみができるように火薬機関をちゃちゃっと仕上げちまおう!」
「待ってくれんか」里の老人が言った。「もし、そんなことをして、鬼熊屋を怒らせたら、里は滅んでしまう」
「でも、その鬼熊屋さん、みなさんのことを最初から吹き飛ばすつもりだったみたいですよ」火薬中毒者が言った「麓の町ではその話で持ちきりです。金を掘るための鉱夫たちももう集まっているらしいですから」
里のものたちは絶句した。鬼熊屋はタエをさらい、最初から里を吹き飛ばすつもりでいたのだ。狼狽したもの、いまさら怒るもの、ただ頭を抱えるものが出るなか、久助が声を張った。
「だ、か、ら! おれが扇とそっちの侍を飛ばす機械が必要なんだ。さあ、家に帰って、おれの部品を集めてこい。今すぐ!」