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廓雲と扇の剣士  作者: 実茂 譲
第九話 せんの扇と氷水流れる崖の里
153/611

九の十一

 タエがガザリの里に帰ってきてから、五日後の朝、山裾の町、鬼熊に二人の余所者がやってきた。二人とも少年の域を出ない若者で一人はカラクリ外套と呼ばれる工具をたくさん入れた厚手の外套を着込んでいて、もう一人は書生風でマントと学帽をかぶっていた。カラクリ外套の少年の顔は生まれつきの皮肉屋らしく、ふんとしていて、町のあちこちにある蒸気機関が三十年以上前の年式であることを嘲笑っていた。

「これが奥飛騨で一番機械が盛んな町だって?」カラクリ外套の少年が言った。「どいつもこいつも馬力不足のにせ蒸気じゃねえか。囲炉裏にかけたババアの鉄瓶のほうがまだ気合の入った湯気を吹くぜ、おい。こいつはとんでもねえド田舎に来ちまったなあ、火薬中毒者」

 カラクリ外套の少年、久助は連れの書生風の少年――火薬中毒者に話をふった。

「本当にここにいるのかな?」

「いや、ここにはいない。ここからさらに奥にいったガザリの里って崖にいるらしい」

「そこまで片道何日かかるの?」

「さあな。電報は里から五日で来た。それは走り慣れてるやつが一番近い電信所へ辿り着いての時間だ。おれたちの足だと一週間以上かかるかもしれない」

「それじゃ凍死しちゃうよ」

「だから、お前の火薬で暖を取るんだ」

「無理だよ。これは飲食用の火薬だもん」

「知ったことか、んなこと。凍死寸前になれば。どうでもよくなるさ。しかし、飛騨の奥とはまた扇もとんだところまで飛んじゃったもんだな」

「九十九屋さんはお腹が空いたらそのうち帰ってくるって言ってたけど」

「ひょっとすると、もう凍え死にしてるかも。熊に襲われてるかもしれねえな」

「送られた電報には元気にやってるってあったんでしょ?」

 久助は懐から黄色い電報用紙を取り出した。

「ヒダ ガザリノサトニテ ゲンキニヤッテイル ムカエニコラレタシ セン。そう書いてあるな」

「変な話だねえ。電報を送れるところまで降りたら、そこから飛行船の飛ぶところまで降りるのはそんなに難しくないよね?」

「そうだな」

「なんで、扇さんはそのガザリの里に帰っちゃったんでしょう?」

「知るかよ。それよりもおれの傑作〈火薬機関第二号〉の安否のほうが大事だ。ちくしょう、扇め。二号の安否も伝えてくれりゃいいのに」

「お金が足りなかったんじゃない?」

「それでもやっぱり知らせるべきなんだよ。大砲でぶっ飛ばされるのを除けば、あいつは助走なしの火薬の爆発で空を飛んだ史上初の人類になれたんだぜ。二号の安否を知らせるくらいのことはしてもいいはずだろ?」

「いつの時代も先駆者は苦労する運命なんだよ」

「おれたち二人を受け入れられるほど、世界はまだ進んでないってことか――おっ!」

 久助が鬼熊を囲う山々の東へ目をやった。最新式蒸気機関のガッシュ、ガッシュと吠える音が東の山の向こうからきこえてきたからだ。

 音をきいたのは久助だけではない。鬼熊じゅうの住民がその音をきいた。蒸気自動車や機関車を百台集めたよりも大きな蒸気とピストンの音は谷間に響いて重なって、軒のつららを全て揺り落としてしまった。地面が震動し、細かい粉雪が舞い上がり始めたころになって、騒音の主が山の頂の仰ぐ空からぬっと姿を見せた。

「空中艦だ!」久助が飛び跳ねた。「それも山岳戦闘用のフランスでも最新の軍艦じゃねえか! ひゅーっ。このド田舎のヤカンもどきにうんざりした後にはいい目の保養になるぜ」

「フランスかあ。仮にも列強の軍艦である以上、おいしい火薬をたくさん積んでいるんだろうね」

 火薬中毒者は空中艦の底部につけられた爆弾投下倉を羨ましげに眺めて、じゅるりとよだれを垂らしそうになった。

 装甲気嚢の前面に鋼鉄の衝角をつけ、上面には木製甲板があり、主砲の二〇センチ回転砲塔が二つ、九センチ副砲が八門、それに装甲板に守られた艦橋司令部と信号用マストが立っていた。気嚢底部には装甲ゴンドラのほかに火薬中毒者の羨望の的の爆弾倉があり、十二ポンド砲が一門、下からの攻撃に備えて砲身を地表へ向けていた。気嚢尾部は艦尾にあたり、五つのプロペラ羽根をつけた軸が二つ並んで、この空中艦に推進力を与えていた。

 空中艦は鬼熊の町の高さ四百丈の位置で停止した。すると、鬼熊の町でも一番大きな屋敷から小さな飛行船が飛び立ち、空中艦へと向かっていった。

 飛行船の気嚢には鬼熊屋の定紋が染め抜かれていた。

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