表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
廓雲と扇の剣士  作者: 実茂 譲
第九話 せんの扇と氷水流れる崖の里
151/611

九の九

 里へ帰ると、里じゅうが大騒ぎだった。

「どうしたべ?」

 タマが谷川の家に住む老婆にたずねると、老婆は、

「タエが帰ってきただ」

 それをきくと、タマは居ても立っていられずに上り階段へすっ飛んでいった。

 それを見ていると自然と笑みがこぼれた。せんと新右衛門は水車の力でゆっくりだが上に上がる足場に俵を乗せた橇と一緒に乗り込んだ。ゆっくり上がりながら、里の子どもたちが嬉しそうにはしゃいだり、男たちがのぼせたような顔をして女房たちにつねられたりするのを眺めていると、足場が止まった。ずるずると橇を引きずり、時には俵を持ち上げて階段を上ったりするうちに人垣が見えた。どうやら、その中心には噂のタエ姉やがいるらしい。

 人垣からタマがぴょんぴょん飛び跳ねて、せんと新右衛門にこっちだと合図をしている。米や塩は里のものに任せて、その名も高きタエ姉やを見てみることにした。

 人垣を何とか通り抜けた二人はタマに紹介される形でタエと顔を合わせた。せんと新右衛門は呆気に取られた。こんなに美しい女がいたのかと驚くほどの美しさだった。垂髪を垂らし、里の女たちと同様に毛皮や袷で着膨れしているが、それすら様になって見えるのだから、たまったものではない。

 タエのほうもせんと新右衛門を見て、キョトンとしていた。

 すると、タマが横からタエに、

「こっちが新右衛門で、こっちがせんだべ」

「せん?」タエは驚いた様子でせんの顔を見ていた。

「せんは記憶がねえだ」

「記憶がない?」

「んだべ。どこから来たのかも分かんね。里の上の雪っ原で凍え死にしそうだったのをおらが見つけただ。さ、二人とも挨拶するだ」

「塚原新右衛門高遠と申す。こちらで修行のために世話になっている」

 まず新右衛門が背筋を伸ばして、名乗り頭を下げた。その顔は赤面していた。

 次にせんが、

「せんだ。それ以外のことは何も覚えていない。でも、あんたのことはタマからよくきいている。タマの言ったとおり、確かにきれいだ」

 と、言って、軽く頭を下げた。

「何も覚えていないって、本当になんにも覚えていないんけ?」

 鈴を転がすようなタエの声がせんに疑問を投げかける。せんはうなずいた。

「ああ、分からない」

 子どもたちがわっとタエを取り囲んだ。

「タエ姉や。お話してけろ」

「岩魚比べすっぺ」

 子どもたちに十重二十重とえはたえを囲まれたタエは水の流れる斜面のほうへと押されるように行ってしまった。

「ふうむ。まさか、かように美しい女子おなごがいようとはのう。世間は広い」新右衛門はかぶりをふった。「いかがした、せんどの?」

「いや」せんは子どもたちに囲まれて笑っているタエを見ながら、「ひょっとして、あの人は記憶を失う前のおれを知っているんじゃないかって」

「ほう」

「まあ、ただの勘なんだがな」

「あのような美人と知り合いであったのであれば、わ殿の記憶、何としても思い出さねばならぬのう」

 新右衛門が笑う。せんは釣られて微笑みながら、何かがふっと胸をよぎりそうになるのを感じていた。それが何かは分からないが、自分がどんな人間だったのか、教えてくれるような気がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ