九の四
たっぷり十貫はありそうなイノシシは両目を結ぶ線のちょうど中間を撃ちぬかれていた。イノシシはタマの山刀で切り裂かれ、皮を縄で結ばれた。その縄のもう一端は空の水道に接した水車に結びつけてあった。堰の止め木を引いて、本流の水を水道に流すと、流れる水の力で縄が巻き取られ、たちまちのうちにイノシシの皮が頭から尻尾までバリバリと剥がされた。すると、どこからともなく山刀を持った里のものたちがわらわらと集まって肉を切り離し、イノシシはあっという間に骨だけになった。
タマが父親と一緒に嬉しそうに家に入ってきた。手にはイノシシの白い脂がたっぷり乗った赤い肉のかたまりを抱えていて、すぐに厚めに切り出した。
部屋の真ん中に切られた囲炉裏では木炭が足されて火を強くして、大きな吊り鍋が自在鉤にかけられた。里の人々は火一つとってもできるだけ利用した。打ち出の小槌を真似た横木付きの自在鉤は格子状の天で釣られ、天からは串を打った岩魚が刺さった藁苞がぶらさがり、囲炉裏の煙に燻されていた。
生姜で臭みを取ったイノシシの肉、ごぼう、こんにゃく、しいたけ、葱が鍋で煮立ち、叩き割ったイノシシの骨と髄で出汁をとり、塩をふって味を調えると、蓋をかぶせた。その日の夕頃はどこの家の煙り出しからもぼたん鍋の煙が立っていた。その煙は西から差す夕暮れの光でイノシシの赤身のような鮮やかな色に染まった。
「さ。食っぺ。食っぺ」
蓋を開けると、うまそうな匂いが立ち込めた。椀に盛った肉に溶いた山吹色の卵をたらし、その上におにおろしにかけた荒い大根をかけた。せん、タマ、タマの父の忠吉、新右衛門は夢中になって食べた。すぐそばで殺されたばかりの獣を食べることで、人は山や森の仲間に入ることができた。それは文明を得て以来、人が軽んじ遠ざかっていた自然の秩序に戻る方法だった。自然は奔放で荒々しいが、その懐は途方もなく深いので、一度そこに戻ると、自分が氷を頂く連峰の一つになったり、悠々と空を飛ぶ鷲、百年以上も崖に根づいている松の大木になったような感覚を覚えるのだった。
「せんと新右衛門は運がええだよ」タマはいっぱいになったお腹をかかえて、けぷっとして言った。「もうじきタエ姉やが帰ってくるだ。おっとう。タエ姉やは明日、あさってには帰ってくるだか?」
「そうさなあ」忠吉は剛い鬚の生えた顎を撫でながら、宙に視線を泳がせた。「たぶん帰ってくるんじゃねえかなあ」
「タエ姉やには一年で十日くらいしか里に戻らねえんだべ。姉やを見たら、おったまげっぺ。ほんとにきれいなんだから!」
タマはうっとりして言った。新右衛門が笑いながら、
「そこまでタマどのが褒められるのだから、そのタエ姉や、よほどの美人か」
「美人なんてもんじゃねえだ。まるで天女さまだべ」タマはエヘンと威張りつつも夢心地に言った。「タエ姉やが帰ってくる。ああ、待ちきれねえだ」




