八の十一
ホテルの裏手には庭がある。白い木の柵で囲ったなかに花壇やハーブ園、小さな池、蔓草をからませた白いアーチ状の通路、鳥の巣箱が置いてあるのだ。
〈鉛〉はホウキを手にぼうっとして庭を掃いていた。五時半の天原はほとんど夜である。西の空にかすかな残照があるが、庭を照らすことはできない。あちこちに蝋燭を入れたランプがかかっていたので、それのまわりを掃除する。
手が止まる。〈鉛〉。それが自分の呼び名であり、存在する意味。使い捨ての道具。今、手にしているホウキと同じ――いや、ホウキよりも価値がない。
〈的〉を殺すこともできずに〈鉛〉として生きている意味はない。だが、機関は〈鉛〉が〈的〉を殺すことを恐れている。
自分はどうすれば、いいのか。
「舞」
ふと、〈的〉のつけた言葉をつぶやいた。自分は〈背信者〉のようにはならない。なりたくない。
だが、その言葉が本心からのものなのかも分からない。
命令がなければ、何をすればいいのかが分からない。関係ないなどと見捨てるくらいなら、死ねと命じてほしかった。
物思いに気を取られて、周囲の気配を探ることを怠った。いま、舞のまわりを四人の〈鉛〉が庭を取り囲んでいた。
棒手裏剣が四本飛んで、裏庭にかけてあったガラス・ランタンを貫き、周囲を闇に沈めた。
舞は咄嗟に身を低くして左の花壇へ飛んだ。先ほどまで立っていた場所に大ぶりの苦無が二本、ざくざくっと突き刺さる。
舞は気配を殺した。
〈鉛〉は四人。仮面に黒装束、通常夜間戦闘装備で黒く仕上げた刀をすでに抜いていた。
こちらは寸鉄も佩びていない。
どうして、わたしは自分の身を守ろうとしているのだろう?
望んだ死がこうして与えられようとしているのに?
舞はゆっくり立ち上がった。
四人の〈鉛〉に取り囲まれる形で立って、ふと思った。
自分は〈鉛〉として死ぬのではない。舞として死ぬのだ。
大した違いがあるとは思えないが、それでも機関がわたしを捨て、〈的〉がつけた名前を今夜初めて生まれた自我の記念として抱いて死んでいこうと思うと、安らぎを感じた。
四人の〈鉛〉はじりじりと間合いを詰めている。舞も機関では上級の〈鉛〉として知られていた。だから、何か罠があるのかもしれないと勘繰っているらしい。
未熟な〈鉛〉たちだ。殺せる機会を見つけたら、即座に殺すのが基本なのに。
舞の後ろに立つ〈鉛〉が地を蹴った。
放たれた斬撃が舞の首を左から右へ薙ぐ。
大きな音がした。刃が骨に当たった音かと思った。だが、〈鉛〉が落としたはずの舞の首がまだつながっていて、振り切った刀がハバキから三寸のところで折れている。折れた刀には変形した銃弾がめりこんでいた。
次の一発はその〈鉛〉の顔を捉え、割れた仮面から脳漿が噴き出した。
ネイヴィ・コルトと銃身の短いポケット・コルトを手にした時乃が残りの〈鉛〉がいると思しき場所へ連射しながら、舞に肩からぶつかって、地面に伏せさせた。
その直後、二人の頭上を手裏剣が飛び過ぎていった。
時乃は仰向けになり、二丁の銃の輪胴に残った弾を撃ち尽くして、腰に差した次の二丁を取り出した。
「腰に武器がある!」
時乃が舞に叫んだ。手でまさぐると時乃が厨房から持ち出した大ぶりの肉切り包丁の取っ手に手がぶつかった。得物を手にした二人の少女はそれぞれ別方向に跳んだ。
舞の前には刀身を寝かせて構える〈鉛〉が立ちはだかった。舞は包丁で〈鉛〉の刀を捉えて、そのまま強引に押し下げた。そして体重をかけて、相手の防御を下に下ろさせると、自分の包丁と相手の刀を花壇の柔らかい土に突き刺した。そのまま、片手で逆立ちする要領で両脚を振上げて無防備な〈鉛〉の首にからめた。そして、ポキンと音が鳴るまできつく絞めた。
時乃のほうは、肩に棒手裏剣が刺さったが、そのままにして二丁の銃を次々と撃ち、二人の〈鉛〉を庭の隅へ追いつめた。
一人が庭から飛びずさると、白刃が閃く。逃げた〈鉛〉の首筋から血煙が上がった。倒れた〈鉛〉の背後では遊廓惣門から駆け戻った扇がいて、袈裟懸けに斬った姿勢のまま最後の敵を探して、庭を見渡していた。そのとき、
「五秒よ、祈りなさい」
庭の暗がりから時乃の声がして、ぴったり五秒後に銃声が鳴った――。