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廓雲と扇の剣士  作者: 実茂 譲
第八話 〈背信者〉の扇と〈鉛〉の舞
134/611

八の四

 見世のオモテとカエシを説明し、用心番たちの住むカエシのほうへ行くと、蜜を塗った団子が十個もささった串を手に半次郎が待っていた。虎兵衛の伝言を持っていたのだが、曰く〈鉛〉といえども年端のいかない少女であり、また遊女以外が男と同じ部屋に泊まることは見世としてもかっこがつかない。だから、扇とまいは別の部屋に――。

「ちょっと待った」扇が手を上げて止めた。「舞ってのは何だ?」

「その子の名前だ。扇と来たら、次は舞だって親方がいうのさ」

「ふうん。おい、きいたか?」扇は舞のほうへ首を傾けて後ろを見つつ言った。「お前の名前はここでは舞で通すことになる」

「わたしは道具……」

「ここじゃ誰もお前を番号で呼ばない」

 半次郎は団子をもぐもぐやりながら話の続きを始めた。扇と舞が同じ部屋に泊まることはできないが、まったく別々の部屋にしては扇も大変だろうから、おあつらえ向きの部屋を用意した。

 それは六畳間が二つ縦に続いていて、奥の六畳から廊下へ出るには廊下側手前の六畳を出なければいけない。つまり、奥の六畳に舞を、手前の六畳に扇を住ませれば、部屋を別々にしていながら、扇は舞を見張りやすくなる……。

「そういうことだから、後は頼んだ」

 半次郎はそのままくるりと後ろを向いて、最後に残った団子をぱくりとやりながら、その場を立ち去ってしまった。

 扇はその六畳間を見た。床の間と布団の入る押入れ、着物を入れる引き出しが付いている。奥も似たような造りになっていた。どちらも布団が敷かれていた。

「ここがあんたの部屋だ。それと武器を返す」

 粗布でくるんだ武器が差し出されると、舞は目にも止まらぬ速さで、そこから苦無を抜き取って、扇の首へ切りつけた。

 次の瞬間には腕を取られて、足を払われ、苦無を握った腕を中心にぐるりと体が引っくり返って、背中から倒れた。続けざま扇の拳がみぞおちを打つ。

「うぐっ……」

 やっぱりそう来ると思っていたんだ。まったく。

 完全に気を失ったのを確かめると、扇は舞を奥の部屋へ引きずり、掛け布団を足で蹴飛ばした。空いた敷布団に対して、斜めになるように気絶した舞を横にして、武器を外して床の間に押し込み、そのままうつ伏せに倒れている舞の上に乱雑に布団をかけた。

 このまま出口の六畳間にいたほうがいいか、それとも用心番の控えの間に行こうかと考えていると、虎兵衛がやってきた。六畳の襖を閉じて、曇りガラスの雪洞から火をもらってエジプト煙草をつけると、

「どんな調子だい?」

 と、たずねてくる。

「さあ。まだ斬ってみないと分からない」

「そんなにひどいのか?」

「ん? これはそのための道具だ」

 扇は脇に置いた刀を差した。

「あはは。違う、違う。刀のことをきいたんじゃないんだ」

 刀とは七代目藤原是永ななだいめふじわらこれなががスウェーデン鋼で打ったという瑞典是永ずいてんこれなが二尺二寸六分。扇の刀が鳥取で折れたので、虎兵衛が贈ったものだ。刀工は泰宗と同じであり、現在生存している刀工のなかでも最高峰の腕といわれるものの業物だった。

「おれがききたいのは、奥で眠ってる物騒な女の子のことだ」

「普通の〈鉛〉だ。特に変わったところはない」

「その普通がおれには分からないときていてなあ」

「感情に動かされずに任務を遂行する。それが果たせないときは死ぬ。機関はあと百人くらいあんなのを抱えている」

「ひどいところだな、まったく」

「それでもイナバの鳥取砂漠で見たものよりかはマシかもしれない」

「そっちもひどい戦だったと泰宗からきいている」

「人間が幸せに暮らすために払う代償としては大きすぎる気がした」

「それは、どの程度の幸せを求めるかによるな」

「イナバの革命軍に参加した人々が本当に欲しかったものが何なのか、おれも、泰宗も、時乃も結局は分からなかった」

「そうか」

 虎兵衛は釉薬うわぐすりをかけた煙草盆に灰を落とした。

 虎兵衛がたずねた。

「あの子――舞が幸せに暮らすにはどのくらいの代償が必要だと思う?」

「分からない。おれだって、自分の分の代償を払いきったと思っていない」

 虎兵衛は懐から一枚の紙を取り出した。四隅に花の絵をあしらった天原電信所の黄色い用紙に字が並んでいた。

「おれが出した電信に対する返信なんだが――まあ、読んでみな」

 内容はなんとヤマト国の政府から送られたものだった。機関執行員五五三九番の行為は暴走行為であり、ヤマト国は天原に対して、一切の敵意を有していないというもので、五五三九番についての処分は天原の規定に乗っていただいて結構だ、という代物だった。

 前に――つまり、扇のときに報復として機関の諜報局長二人があいついで変死したことに脅えているのがありありと見て取れる文章だった。こんな臆病な連中にいいように使われたことにあらためて腹が立ったし、五五三九番――舞を都合良く斬り捨てたことにも腹が立った。自分を道具としか思っていない〈鉛〉が独断で暗殺を行わないことは向こうも承知だ。今回の襲撃は間違いなく、ヤマトの政府から出されたもので、それが失敗したと分かるとヤマトは舞を捨てた。〈鉛〉は道具。それが分かっていても、扇のなかではどす黒い感情が渦を巻き始めていた。

「やはり何人か血祭りに上げよう。おれが殺る」

「さっきも言ったとおりだ。それはしない。ところで、扇。これを見せて、舞はおれの首を狙うのをあきらめると思うか?」

「見たら、自分の命を断つ」

「間違いないか?」

「ああ」

「それじゃ、これはこうするのが一番だ」

 虎兵衛は雪洞の火を電報につけて、そのまま煙草盆のなかに放り込んだ。

「ヤマトの機関が舞を見捨てたことは秘密にしてくれ」

「教えて死なせてしまえば、あんたの安全を確保できる。それでも教えないんだな?」

 虎兵衛は古強者らしく、嫌味のない不敵さを見せて笑んだ。

「そうだ。そうしてくれ」

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