八の三
ヤマトの機関の馬鹿ども。
扇は憤った。やつらが再び虎兵衛の命を狙ったことよりも、この事件のせいで確実に自分にふりかかるであろう面倒事に怒ったのだ。
大夜と泰宗、半次郎は、かつてはお前もこうだったな、と言いたそうだが、あえて口に出さず、みょうに生ぬるい微笑みと視線で扇をおちょくることに決めたらしい。
その試みを成功している。全身を固い藁でつつかれたようなむずかゆい恥ずかしさに襲われていた。
虎兵衛が〈鉛〉の少女に提案した条件は、かつて自分に課したものと同じだった。白寿楼の用心番以外は誰も傷つけてはいけない。それを守れる限り、おれの命を狙わせてやる。
「しばらくはこの扇の世話になるといい」
ほらきた。扇はもちろん抗うつもりでいる。
「悪いが断らせてもらう」
「その場合――」虎兵衛は誠に遺憾ながら、と前置きしてから言った。「火薬中毒者を呼んで、お前さんの部屋に住まわせる」
「別にそうしたければ、すればいい」扇はハッタリをかました。
「半次郎。見世にひとっ走りして、火薬中毒者を――」
「わかった! わかったから、やめてくれ!」
自分はハッタリがうまくない。それはつい最近、時乃に教えられて覚えたポーカーという海外のカルタ遊びでわかっていた。扇は基本的に無表情だが、相手の心を推し量る技術に欠けていた。
仕方がない。つい半年前まで、扇は道具だったのだ。ヤマトでの十数年、他人の思っていることなど考えず、ただ抹殺してきた扇にとって、これから殺す相手の心を知るなど必要ではなかった。そのツケが今になってまわってきて、虎兵衛や半次郎、あげくには大夜にまで鈍い、鈍いといわれている。
「いっそおれをヤマトに送ってくれ」扇は心から言った。「何人か血祭りに上げる。それで手を引かす」
「それはやめておこう」ほんの一瞬だが虎兵衛の顔に哀しそうな影がよぎった。だが、すぐ元の虎兵衛に戻って笑いながら、「この自分を道具と言い張る少女に、興が分かるかどうか。それを見たほうが面白いと思わないか?」
こうなっては何を言っても駄目だと分かっていた。
ふと、火薬中毒者のことが思い浮かんだ。扇に迷惑をかけた途端爆発する火薬を作ることができないだろうか? それがあれば、この〈鉛〉に常時もたせて、ヘマを仕出かしたら、ドカン!
扇は首をふった。危うく人としての道を外すところだった。間違っても火薬中毒者の思考を自分のなかに持ち込んではいけない。
じゃ、おれたちは先に帰るからな、と虎兵衛は言い残して、白寿楼の用心番三人を連れていった。
寿は、かっこいい御朱印を書く練習をしないといけない、参拝者は御朱印を目当てにやってくるから、と言って神社に帰った。
そして、時乃から追いたてを食らう形でホテルの外へ出された。黒の上衣と灰のズボンの上に外套を着ていたが、それでも寒い。
隣には〈鉛〉の少女がいる。武器の類は全部取り上げていて、扇はそれを粗い布で包んで小脇に抱えていた。
少女の着ているのは扇と同じ、黒の襟が丸くて高いぴったりとした上衣に灰色のズボンと長靴、ズボンは余裕のない作りになっていた。ぱっと見ると、外見は時乃に似ていた。小作りな顔に大きな目、華奢な作りの体はぴったりとした服に包まれているせいで余計に細さが目立つが、思わぬところできちんと筋肉がわずかに盛り上がったりするところを見ると、やはり〈鉛〉できちんと鍛錬はつけられているようだった。か細い少女と侮って、殺られた犠牲者の数は少なくないだろう。ただ髪は長く、腰のあたりまである。絞殺用の鉄線を隠すのに使うからだ。
扇は〈鉛〉と一緒に遊廓へつながる土手を歩きながらどうやって、この〈鉛〉に虎兵衛暗殺をあきらめさせたらいいか、考えていた。自分のときはどうだったか考えようとすると、新しい出来事にいちいちためらい、最後に至っては虎兵衛や禿たちの前で涙まで見せたことを思い出し、まるで火のついた松明を懐に突っ込まれたように体が熱くなった。恥ずかしいことこの上ない。
そこで扇は力ずくで何とかさせるのがいいと思った。何度も何度も気絶させてやれば、自分の非力を悟って、少しは態度を殊勝なものに改めるだろう。
いっそ武器を返してやろうか。
そう考えた。武器を手に取ったと同時にすぐに襲いかかるだろうが、峰打ちなりみぞおちに一撃くれてやるなりして気絶させる、そして、自分や大夜たちには叶わないことを――いや、この方法だと、扇は気絶した〈鉛〉を連れて、戻らなければいけない。だが、遊廓の灯は遠い。それに積もるつもりはないらしい雪が吹き荒れている。こんな寒い夜に刀と手裏剣で武装した少女を背負って帰るのは考えただけでうんざりする苦行だ。
女、というのが、またまずい。虎兵衛は女相手に乱暴を働くのにいい顔はしないだろう。だが、いついかなるときも自分がついてやり、少しでも怪しい動きを見せたら、絞め落とすくらいのつもりでかからないと、虎兵衛の首が跳びかねない。
ああ、きっと、これから、大夜と泰宗と半次郎が、いかにおれが〈鉛〉だったときは大変だったかをきかせるのだろう。
ヤマトの機関の大馬鹿野郎ども。
遊廓の惣門を通ると、すぐ桜の仲町を外れて、裏の小路へ入った。今のところ、〈鉛〉は黙ってついてくる。遊女や遊客、幇間たちが妙な目をこちらに向けている。それはそうだろう。扇が白寿楼の用心番になったこととその過程は周知の事実なのだ。遊客たちは、どうやらまたまた九十九屋さんの興狂いが始まったらしい、とひそひそ声を交わしていた。まるで闘鶏興行師の一団がやってきたように面白おかしく感じるのだろうが、当の扇にはたまったものではない。
これからこの〈鉛〉の面倒を見なければいけない。
だが、一番嫌なのは、〈鉛〉が本当に虎兵衛を殺したときのことだ。もし、そうなれば、おれは一生自分を許さないし、この〈鉛〉も殺す。それははっきりしていた。それが一番興ざめする終わり方だとも分かっていた。