七の三十
昔、鳥取砂丘があった場所にその宮殿は作られた。それは大統領の母親のための宮殿で新鮮な食料をいつでも供給できる大農園と一緒に建てられたもので、大統領の宮殿に負けないくらいの豪華なものとなっていた。
大統領――本当は影武者なのだが――が処刑されたときくと、農園で奴隷のごとく使われていた小作人たちが農園の管理人や会計係、官吏と警備兵を殺して、宮殿に殺到し、したい放題に略奪した。
扇たち三人が騎馬で鳥取市を北上し、宮殿に到着したときには略奪は終わり、小作人たちは一人残らず逃げ去った後だった。
静寂に包まれた農園にはズタズタにされた作業監督の死体が転がっていた。リンゴの木には作業監督のなかでも凶暴なことで知られた男が奴隷を打つのに使った鞭で吊るされていた。農園の屋敷には火が放たれていて、赤い光に照らされた野菜畑に不気味な影がかかり、倒された見張り台のそばでは鶏たちが今が夜であることも忘れて、死体をつついていた。
桔蝶たちの情報によると、大統領の母親が彼女のために作られた宮殿に住んだのはたった一度だけだったらしい。大きな宮殿では落ち着かず、昔の茅葺き屋根の百姓家に住みたいと言ったのだ。だが、国家の最高権力者の母親が茅葺き屋根の百姓家に住むのを余人に見られることを嫌った大統領は宮殿のそばにまったく同じ百姓家を作ることでその問題を解決した。その老婆はもう百の齢まで四、五年を残すくらいの老齢ではあったが、自分が食べる分の野菜畑を世話するくらいに元気であり、大統領が執務に疲れ、女たちを相手にすることに疲れ、心からの安らぎを得ようとするとき、彼はその百姓家を訪れ、母親の家で一泊するのだ。
略奪されつくして空っぽになった宮殿のわきの海岸へ出る道を通る。一見すると、行き止まりに見えるのだが、実は下る道が森に隠れていて、それを辿ると海岸に出る。波が押しては楕円の形に白い泡を残して引いていく静かな浜辺にその百姓家はあった。囲炉裏のための煙り出しがある茅葺きの屋根から白い煙が立っていて、戸と窓からほんのり灯がもれていた。
扇は馬から降りると、手綱を近くの潅木に引っかけて、銃を抜いて、戸を引いた。老婆が一人、囲炉裏で大根と麦の粥を煮ていた。その奥には燕尾服を着ているが、勲章も綬もなく、ネクタイもせず、小柄で剥げていて、黄ばんだ顔に白い鬚が目立った。
大統領は扇の顔に死神の相貌を見たように脅え、家が揺れるのではないかと思うくらいにぶるぶる震え出した。
老婆のほうは黙って、木のしゃもじでゆっくり鍋のなかの大根粥をかき回していた。
大統領も小柄だったが、母親はそのさらに上を行く小さな体だった。若いころは人並みの大きさがあったのだろうが、歳を重ねていくにつれて、縮んでいき、今では顔一面皺に覆われていた。だが、普段から野良仕事をしているせいか、大統領よりはずっと顔色もよく、日に焼けた顔に埋もれた小さな目は子どものために粥を作る母親以外の何者でもなかった。
扇は戸の脇に退いて、泰宗と時乃を呼んだ。
処刑人が増えて、大統領はますます震えが止まらなかったが、老婆は慌てることなく、焦げつかないようしゃもじで鍋をかきまわした。
泰宗はもうその気はないようだった。
時乃は大統領のほうへ二歩進めると、関介のネイヴィ・コルトを抜いた。
「五秒あげる。祈りなさい」
懐中時計を見つめながら、時間を計っていたが、その五秒は五時間にも思えるほど長く思えた。
大統領はただ呆けたように口を開けていて、老婆はただ粥を混ぜていた。虐殺、処刑、戦争、略奪、解放の末にあるものが囲炉裏にかけられた大根の麦粥なのだと思うと、扇はますます天原に帰りたくなった。もう、大統領の生死に何か意味があるとも思えなかったし、この土地はもう死んだ土地であり、時乃はやはり生きた土地へ――天原へ行くべきなのだ。
そして、五秒が経った。時乃の目と銃の照準と大統領の頭が同一線上に並んでいたとき、引き金を引いた。
カチン。
小さな金属音だけがなった。
大統領が縮んでいくのが分かった。老婆は一瞬だけ粥を混ぜる手を止めた。
時乃が外に出て、泰宗に銃を渡していた。
泰宗は関介のネイヴィ・コルトを手にとると、弾を一発取り出して、歯で弾丸を外した――薬莢のなかには火薬が入っていなかった。
泰宗が顔を下に向けて嬉しそうに微笑み、銃を時乃に返した。
老婆は粥を息子のために椀にすくっていた。その椀に老婆の刻みのような細い目から涙が一粒落ちた。