七の二十八
首都に到着すると、装甲列車は中央駅に入るかわりに大通りを射程におさめらる位置に停車した。扇たちが外に出て家畜車輌から馬を受け取るころには、暮れかけた日が建物を薔薇色に染めていて、海から吹く風は心地良く、雲を染めた茜色の光を運んでくるようだった。
これから革命軍の略奪と報復の処刑が待っている大統領の首都は静まり返っていた。大統領派のうち亡命できるだけの金のあるものは亡命したが、その金がないものは軍服や親衛隊の服を脱ぎ捨てて、徒歩で東の国境を越えようとしていた。反大統領派も息を潜めていた。ひょっとすると、この勝利は一時的なものですぐに大統領派が盛り返し、解放されたと勘違いして革命軍を出迎えた市民を惨たらしく虐殺するかもしれないと思っていたのだ。瓦屋根の家並みが続く官庁街には鉄道馬車が放置されていて、喉を渇かせた馬が哀れに鳴いていた。扇は手綱を切ってやると、馬は水場へと走っていった。貯蓄会社や投資銀行、機械工場と貿易会社が並ぶ商業街では店は全て鎧戸を下ろしていた。仲間割れで死んだらしい親衛隊員の骸が五つ道の真ん中に転がっていた。
キリシタン・ズアーブ大隊は大統領宮殿を略奪する最初の権利を持っていたが、そのかわりに彼らは大統領がフランスを真似てつくった大聖堂へ行き、聖具と聖職者、そして教会の安全を守るために警備についた。
扇と泰宗、時乃の三人は馬に乗って、商業街の大通りを進んでいた。すると、鉄道会社の事業所を見つけた。窓にはウィンチェスター銃で武装した社員がいて、他にも会社の私兵が警備についていた。鉄道会社はこの戦争で中立を貫いたので、この事業所を略奪しようと思うものであれば、政府軍革命軍問わず戦う構えを見せていた。
「大統領はどこにいる?」
扇がたずねると、隊長らしい背広の男が言った。
「まだ宮殿にいる」
そのころ、義経騎兵隊が鞍にかがんで銃で狙いをつけて、大統領宮殿の逃げ遅れた親衛隊と撃ち合った。そのうち後続部隊がぞくぞくとやってきた。乏しい銃弾を手の平で数え、履くものもなく、継ぎだらけの木綿着やボタンのない短上衣を羽織り、膝がすりきれた股引やズボンを穿いた男たちは大統領宮殿を囲う鉄柵に張り付いて、宮殿の窓から時おり見える親衛隊の頭を狙い撃ちにした。そのうち、大統領宮殿を囲む兵士が十重二十重になって、装飾の美しい扉、白い壁、窓の全て、女神像などが粉々に砕け散り、ついに鉄の門が蒸気戦車に押し倒された下敷きとなり、宮殿の表で榴弾が炸裂した。
兵士たちはもう鉄の柵を登って、敷地に入っていた。まだ大統領に忠誠を誓う親衛隊員が攻め手を撃ち、死体が鉄柵の棘にひっかかってぶらぶらと揺れることがあった。だが、兵士たちは銃撃をした窓に徳利爆弾を投げつけ、残り少ない親衛隊員の骨肉を四散させた。
このころになると、市民たちも威勢がよくなり、出刃包丁や槍鉋などを手に襲撃に加わった。略奪者は大広間、大統領執務室、舞踏場、巨大な厨房へ殺到し、手当たり次第に壊すか奪うかした。兵士たちは厨房で山海の珍味をがっついて、ウイスキーと竜舌蘭焼酎の特別上等なものをラッパ飲みにした。兵隊たちはチョウザメの卵やキノコなのか泥団子なのかよく分からない食べ物が大切にしまわれているのを見て、味を見たが、まったくうまくないので、地面に叩きつけた。銃でワイン樽を撃ち、床を赤ワインで水びだしにし、ラム酒の倉庫では一本のラム酒をめぐって、乞食と老婆の取っ組み合いの喧嘩が起きた。
「あんたも参加しなくていいのか?」
扇が泰宗にたずねた。泰宗は眉をひそめ、
「ああして手に入れたお酒はあまりおいしくありません」
「酒には変わりないと思うけどな」
時乃は厨房の惨状を哀しげに眺めていた。これだけの厨房を備えたホテルがあれば! 時乃はいつの間にか大統領宮殿を最高級ホテルとして見るようになった。そうすると、あらゆる略奪と破壊が彼女の心を悲しませるのだった。
舞踏場では兵隊たちが水晶のシャンデリアに発砲したために、このガラスと水晶のかたまりが落下して、浮浪児が一人下敷きになった。痛ましい犠牲は生きた親衛隊員を見つけたことで帳消しになり、その処刑方法で口論が起きた。赤絨毯の金箔造りの廊下には大統領の肖像画が並んでいた。兵士たちはそれを銃剣で切り裂き、額を撃ち抜き、中庭に焚かれた火のなかへ放り込んだ。見つかった親衛隊員も次々と生きたまま火に放り込まれた。民間人の略奪の第一波が自分の家へ獲物を持ち帰り始めていた。
金で出来た燭台、蝋筒式の蓄音機、ウェッジウッドの陶磁器、振り子に宝石をはめ込んだ柱時計、金モール付きの燕尾服、大きな鏡、黒漆塗り仕上げの蒸気計算機、裸の女性がベッドから気だるげに足を垂らしている西洋絵、天蓋付きのベッド、六種類の羽毛で飾り立てられた二角帽、雪花石膏のシェードがついたランプ、銀食器一式、エジプト煙草、スイス製の懐中時計……。
だが、こうした略奪物を家まで持ち帰るのは至難の技だった。革命軍兵士は革命戦争にまったく貢献していない民間人が略奪のおこぼれに預かることを許さなかった。兵士に見つかれば、たちまちのうちに略奪品は没収されてしまった。そのことに不平を上げた老婆が士官にピストルで殴られて、廊下に倒れた。士官は略奪の陣頭指揮を取るべく去り、うつ伏せになった老婆はピクリとも動かなかった。扇が屈んで観察すると、左耳の穴から血が一筋流れていた。老婆は死んでいた。
見ていても気鬱になるだけだと思い、宮殿を後にしようとしたときに天地が引っくり返るかと思うほどの歓声が沸いた。
「大統領を捕まえたぞ!」
扇たちはそのころ中庭に面した二階の廊下にいた。窓から覗くと、確かに大統領がいた。スカーフをかぶって女中に変装して逃げようとしたらしく、兵士たちは大統領の女装に大いに笑い、乱暴に引っぱった。メイドの制服が破れて、土気色の痩せた老人の胸が見えた。
その中庭は〈産業の勝利〉と名づけられた庭で何の役にも立たないが、技術だけは詰め込んだ高価な蒸気機関が巨大な塔のように君臨していた。その機械は今もまだ動いていて、むき出しになった歯車やベルト、ハンマーが鉄と鉄を打ち鳴らす恐ろしい音を発していた。
士官の命令で写真家が両脇を抱えられた大統領の写真を撮った。
記録を残すと、士官は〈産業の勝利〉機械を指差した。
大統領は兵士たちにかつぎあげられ、部品が激しく動く機械のなかに放り捨てられた。