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廓雲と扇の剣士  作者: 実茂 譲
第七話 荒野の扇とネイヴィ・コルト
125/611

七の二十六

 やつら、がきた。

 ラッパの音が途切れ途切れに聞こえてきて、敵側の丘の稜線に横に並んだ兵隊の姿が見えたのだ。味方の砲撃を食らいながらも、その歩兵隊は坂を駆け下りて、谷の底までやってきた。

「囚人部隊だ」

 キリシタン・ズアーブ大隊の曹長がこぼした。

 それは鬚を伸ばしたい放題にして自分たちで作った麦藁帽子をかぶり、目を血走らせた男たちだった。揃いの銃と揃いの軍服を着ていたが、靴は支給されず、裸足か草履を履いていた。軍服は砂漠で戦うことを考慮した白茶けた色をしていたが、竜舌蘭の残骸があちこちに転がって、地味が緑がかっているこの谷では白はむしろよく目立った。

「どうして政府軍はあいつらを馬に乗せないのだろう?」太吉が不思議そうにこぼした。「あいつらは馬賊なんだから、馬に乗せたほうがよく働くんじゃないか?」

「馬に乗せたら最後、盗賊どもは戻っては来ねえさ」と彦左。

「そうそう」権左が言った。「だからといって、馬賊を歩かせるのはなあ。正直なところ、馬を持っていねえ馬賊なんて、ただの穀潰しだしなあ」

 囚人部隊の横隊が塹壕まで五十間の距離に入ると、キリシタン大隊が一斉に十字を切り、首に下げた十字架に口づけて、白い軍服を撃ち始めた。泰宗と時乃はそれぞれ長身銃を手に射撃位置についていた。扇も塹壕の胸壁に腹ばいになって、スペンサー騎銃で塊になっている囚人部隊を狙い撃ちにした。白い上衣が裂けて、敵はのけぞり、崩れかけた竜舌蘭にもたれるようにして倒れた。囚人部隊は陸続と増援を送っていたが、丘を越えるや否や革命軍の大砲で吹き飛ばされ、生き残ったものは分厚い弾幕を突破することができず、谷底で地面にへばりついていた。一人の囚人兵が立ち上がるなり、銃を捨てて、逃げようとした。そばにいた士官がすぐにその兵士を撃ち殺した。次の瞬間にはまわりの囚人兵から突き出された銃身が士官を囲み、その士官を蜂の巣にしてしまった。あちこちで似たような上官殺しが起きて、囚人部隊は瓦解した。もう戦争に使える集団ではなくなり、ただ背中を見せて逃げ、撃たれるか刺されるかするだけの烏合の衆に成り果てた。

 高杉晋作と老将軍が二人で戦線を見に来た。将軍博士と鉱夫大隊の指揮官が呼び出され、援軍を送ることはできないが、絶対にこの防衛線を突破させてはならないと厳命した。ここを抜かれれば、野戦病院や補給拠点まで三里となく、守っているのは何とか軍務につける軽度の傷病兵が三十人ほどなのだ。そこを占領されれば、最前線の装甲列車は後背を突かれて壊滅する。

「ここが正念場だ」高杉が言った。「ここを守れるかどうかで革命の成功不成功が決まっちまう。各自、気合を入れてのぞんでくれ」

 高杉はまた坂を登っていったが、老将軍のほうは馬にまたがったまま、これから敵が羽虫のごとく湧こうとしている稜線を睨んでいた。老将軍は鞍の銃嚢からコンブラン銃を取り出し、鞍の前橋の上に置いて、落ちないように手で支えていた。

 将軍博士が老将軍に馬首を並べて、親しげにウェリントン公の半島戦役についてしゃべりだしたが、老将軍は鞍の前橋にコンブラン銃を置いたまま、不機嫌そうに目を細めて黙っていた。将軍博士はすごすごと退散した。

 丘の向こうの攻撃ラッパがまた鳴り出した。今度はコルク製の赤い探検帽をかぶった大統領親衛隊が騎馬の士官に率いられて、丘から現われた。銃剣付きの鉄砲を腰だめに構えて、前進する赤い横隊は、まるで梯子のように並んで次々と現われ、革命軍側の塹壕を銃剣突撃で突破するつもりでいるようだった。左右を蒸気戦車に守られ、後方の丘にはてっぺんがひし形の高い軍帽をかぶった槍騎兵連隊が突撃する機会をうかがっていた。

 砲兵隊は残り弾薬が少なくなり、塹壕の歩兵は銃身が焼きついて、相手の突撃を防ぐことはできそうにもなかった。目の前にいる赤服は本物の大統領親衛隊だった。やくざものに赤い服を着せて圧政の道具に使うのではなくて、本物の軍隊として鍛えられていた。砲弾で横隊に隙間ができると、すぐに後ろの横隊から人がやってきて、隙間を埋めた。撃たれてもひるむことなく、進軍太鼓の拍子で小走りに近づいてくる赤い肋骨服の精鋭たちは残り三十間の距離に到達した途端、叫び声を上げながら、猛進してきた。吶喊とっかんの声が砲声に勝った。先頭を馬で進む親衛隊大佐がまるで銅像のようにサーベルを高々と掲げて、馬に棹立ちをさせた。

 砲煙が絶えない戦場では赤い軍服の集まりは潰した梅干のように見える。扇はまずその梅干相手にスペンサー銃を撃ちつくした。次に例の散弾銃で二人の親衛隊員を斬り捨てた。そして、ネイヴィ・コルトを抜いて発砲しようとしたが、むしろコルトは白兵戦用に取っておこうと思い、コルトを元に戻し、ベルトに差した刀の鯉口を切った。

 その瞬間、親衛隊の横隊が塹壕に殺到した。まずキリシタン・ズアーブ大隊が、次に鉱夫大隊が白兵戦に巻き込まれた。馬乗りになった鉱夫たちのツルハシが親衛隊の頭を軍帽ごと貫いて刺さり、ズアーブ隊のヤタガン銃剣が魚をおろすような音を立てて、敵の腕の肉を切り裂いた。太吉、権左、彦左の三人はすでに逃げ去った後だった。

 扇の目の前には犬のような顔の男がいた。右手に剣付き鉄砲、左手に石を握りしめていて、砲弾の破片にやられたのか、耳の上の頭皮が髪の毛ごとべろりとしたに垂れていた。それが犬の耳を思い出させたのかもしれない。

 扇は左半身を引いて、相手の銃剣を避けると、銃身の下をすくうように抜き打ちを仕掛け、右脇の下から肋骨を断ち割って、体の中心まで斬り込んだところで刃を抜いた。直後、扇は鍛えた脚のバネを使って、七尺の高さを跳躍し、犬顔の男のすぐ後ろにいたフェルト帽の親衛隊員の頭に梨割りの一撃を見舞った。扇はそれから塹壕の低い位置から上に立っている敵の脚を三人分ほど薙いで、二度と立てないようにした。

 まるで嵐の前触れのような強い風を感じて、そちらへ目をやると、泰宗が汽車切是永三尺二寸を抜き放って、風車のように太刀をふるっていた。泰宗の一閃から一拍遅れて、三人の親衛隊員の首が跳ね飛んだ。まるで鬼神のようだった。突けば、巻き上げ斬り割る。殴りかかれば、弾かれて串刺しにする。泰宗のまわりには骸がごろごろと転がっていた。その後ろには時乃がいた。泰宗にかばわれる形で弾を込めていたが、手は震えておらず、落ち着いたものだった。

 扇は目についた敵をとにかく斬った。他の兵隊と取っ組み合いをしていたり、銃弾を込めようしていたり、死体に刺さったままの銃剣に悪戦苦闘したりしている親衛隊員が次々と背中から斬り捨てられ、地に伏した。塹壕の底には敵と味方の死体が重なり、切り落とされた体の一部が散らばっていた。

 政府軍の蒸気戦車のうち一両は砲弾を受けて燃え上がり、もう一両は敵味方入り乱れた塹壕に対処する方法が浮かばなかったらしく、じりじりと後退していた。

 そのあいだ、扇は誰かに突き飛ばされ、刃こぼれした刀を抱えながら、三人の親衛隊員の振り下ろす棍棒やサーベル、銃剣から逃れるために塹壕を転がりまわらなくてはならなかった。何とか位置を決めて片膝を立てると、低い位置から逆袈裟に切り上げた。胸から喉を斬られた親衛隊員が倒れると、何か硬いものに自分の斬撃が負けた感覚を覚えた。見ると刀は半ばから折れて、上半分がたった今斬ったばかりの兵士の顎の下に突き刺さっていた。扇は折れた刀を捨て、死体の手から鋼の棘と鉤を埋め込んだ棍棒をひったくった。それを左手で持ち、サーベルを持った士官の振り下ろしを棍棒で受けると、ネイヴィ・コルトを抜いて、相手の胴に押しつけて、引き金を引いた。士官はぶるっと震えたが、まだサーベルを強く握り締めて、空いているほうの手で扇の胸倉をつかんだので、さらに二発撃ち込んだ。男の厚ぼったい唇が震え、その口からどす黒い血がだらだらと流れ出すと、男はゆっくり正座してくつろぐような落ち着いた動きで自分の骸を地に横たえた。銃剣で扇をさんざん狙っていた親衛隊員はどこかにいなくなっていた。

 白兵戦は終わるどころかますます激しくなっている。南方の迂回路では親衛隊の槍騎兵中隊と義経の騎兵隊がぶつかっていた。義経が金モールをつけた大尉の胸を矢で射とおすと、そこから先は馬と馬のぶつかり合いで、同士討ち覚悟で双方が回転式拳銃を撃ちまくっていた。

 扇はコルトをしまって、棍棒を右手に持ち替え、大ぶりな鎧通しの短剣を左手で抜いた。足に縄がからまったと思えば、両膝から骨が飛び出している親衛隊の軍曹が扇の脛をつかんでいたのだ。棍棒で殴る。一発。二発。三発目が必要のないことは軍曹の頭を見れば分かった。目を上げると、帽子を失い、頭から血を流している老将軍が刀と脇差を抜いて、騎兵士官と一対一の勝負をしていた。老将軍のほうが押していたが、その後ろでマルティニ・ヘンリー銃にボクサー実包を込めている親衛隊員の姿に全く気づいていかった。扇が横から老将軍に体当たりをすると、発射されたボクサー弾が騎兵士官の首を撃ちぬいた。扇が鎧通しを投げて、マルティニ・ヘンリー銃を持った親衛隊員の右目に深々と命中させる。何があったのか、一瞬で理解した老将軍は立ち上がりながら、脇差の柄頭で扇の肩を軽くコツンとついた。そして老将軍は頭の傷を手ぬぐいで縛って、地面に転がり人に踏まれてぺしゃんこになった中折れ帽を拾い上げて形を戻し、乱戦から距離を置くべく、丘を登った。

 老将軍は扇についてくるように顎で坂の上をしゃくった。鎧通しを取り戻してから、丘の中ほどまで登った。そこから裾の塹壕を見ると、壮絶な光景に言葉を失う。いいかげんに掘り広げた長さ半里ほどの溝に死体が折り重なって倒れていた。青いズアーブのキリシタン大隊、陣笠筒袖段袋の鉱夫たち、大統領親衛隊。塹壕の向こうの畑では両軍の騎兵が弾切れをしたらしく、剣で打ち合っていた。そこにも死体は転がっていて、両軍の砲兵隊が敵陣地目がけて砲を発射している。この谷の外では砲声が響き続けていて、丘の向こうに噴き上がる土くれと黒煙が見えることがあった。

「ここはほんの一部だ」老将軍は生徒に自然科学を教える教師のように言った。「他の農園や操車場でも同じような戦いがある。蒸気戦車を集中的に投入した場所もあるが、装甲列車が支援砲撃をできる位置もある。だが、結局、戦いはこうなる。つかみ合い、殴り合い、死ぬまで首を絞める。これまで戦争に礼儀作法を作ろうとした試みがあった。古くは治承寿永じしょうじゅえい年間の一騎打ち。新しいところだと戦時国際法ということになる。だが、これを見れば、戦争に礼儀なんてものは存在しないということが分かる。まあ、多少位が上の将軍や元帥くらいにはそういった贅沢も許されるかもしれないが、前線の兵士にはそんなものは何の役にも立たない」

 それから口を閉じた。もう一生分しゃべったといった様子でただ鼻から息を長く吹いた。

 気がつくと太陽が南中に達していたが、そのころになると、敵の勢いが若干弱くなってきた。また、敵の軍服も探検帽がシャコー帽、肋骨服がかぶってきる木綿の赤シャツになっていて、最初襲いかかってきた親衛隊に比べると、兵としての質が落ちているようにも思えた。扇は丘の斜面を歩いて戻ることにした。途中で行縢を穿いた親衛隊士官がフランス製の回転式拳銃を抜いて、扇を狙った。弾はそれて、後ろの岩で跳ね返った。扇は棍棒をその士官に投げつけた。相手がひるんで、避けるように手を前に突き出しているあいだに、扇は銃嚢からネイヴィ・コルトを抜いて、士官を撃った。士官は身をねじりながら、倒れて、取り落とした銃を手探りしていたが、やがてその動きも止まった。

 塹壕へ舞い戻る直前、迂回路から赤く飾り立てた親衛隊槍騎兵が現われた。槍騎兵たちはバラバラになって丘の裾の道へ逃げていった。続いて、義経騎兵隊が現われた。彼らは槍騎兵に追い討ちをかけるべく谷底を走っていたのだが、途中で方針を変えて、塹壕に殺到しようとしている後続の親衛隊に抜刀突撃を仕掛けた。ちょうどそのとき、鉱夫大隊が親衛隊を塹壕から押し出したところだった。親衛隊の横隊が側面から崩れ、後背を脅かされたことで残りの塹壕の親衛隊たちが慌てて、塹壕から這い出て、後続部隊と合流しようとした。だが、肝心の後続部隊は算を乱して敗走していて、待っていたのは義経騎兵隊が振り下ろす白刃だった。その餌食となった敵のなかには親衛隊旅団長も含まれていた。

 最後の敵が切り倒されるか、丘の向こうに消えるかしたとき、将軍博士の旅団は五十の戦死者、百二十の負傷者を出していた。戦闘のあいだ、姿が見えなかった将軍博士がいつのまにか現われて、旅団の勝利を宣言して、部下の敢闘を称えたが、口を慎むことなぞ屁とも思っていない鉱夫大隊の面々は、その場ではっきりと将軍博士が戦場からずらかったことを攻め立てた。将軍博士はウェリントン公爵の言葉を引用し、司令官には必要なときに後退の必要を認める勇気が必要である、と言ったが、ウェリントンは後退するときは部下も後退させたことは言わなかった。

 その場に老将軍がいたので解任はあっという間だった。将軍博士はただの博士となった。老将軍はその場の守りを鉱夫大隊に任せて、キリシタン・ズアーブ大隊と義経騎兵隊、泰宗たちには移動命令を出した。

「どこに行くんですか?」

 泰宗がたずねると、老将軍は言った。

「装甲列車に乗ってもらう。線路がつながったから鳥取まで一気に攻め上る」

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