七の二十二
泰宗の天幕は浅瀬を渡った先の巨大樹の根元に立てられていた。中を覗く。七代目藤原是永作の太刀、汽車切是永三尺二寸を横たえた軍隊用の折り畳み寝台、真ん中の柱にかかった錫製の鏡、シャープス銃と特殊実包を差した弾薬ベルトが引っかけ鉤にぶらさがり、引き出しが二つあるキャンペーン・デスクには首が膨らんだウイスキーの壜と指二本分注いだ亜鉛のカップ。カップの下には義勇軍大佐の任命書が四つ折りにされて、コースターのかわりを勤めていた。泰宗はチョッキにシャツ姿で切った丸太に腰かけていた。支柱にかけられていたケープの折り返し襟に大佐を現わす三つの星が縫いつけられていて、筒型洋灯の灯をちらちら跳ね返していた。
「大佐と言っても――」泰宗はカップを片手に肩をすくめた。「柳将軍の麾下には六十人以上の大佐がいます。それにわたしの騎兵隊は三人しかいないのですよ」
「どういうことだ?」
「つまり、こういうことです。わたしが連れて行かれたのは右翼の前線だったのですが、向こうには蒸気戦車があって、こちらにはないという状態だったんですね。そこで我々は装甲兵器なしで味方の砲兵隊を守らなければいけなかったのですが、蒸気戦車はこちらの弾を跳ね返すので止めようがなかったのです。そこでわたしが例の特殊実包を撃ったのですが、命中と同時に爆発したのです。おそらく弾薬庫に命中して誘爆したのでしょう。戦車を一人で潰したということで大佐に昇任したわけです。まあ、戦時中のみの期限付き任命ですが――。大佐にしたはいいのですが、問題は兵隊がいないということで、とりあえず隊とはぐれた騎兵を三人ほど指揮下に組み込んだのです。それで提案なんですが、あなたたちもわたしの隊に来ませんか? 革命軍にはこの西部師団の他に、南にも同規模師団があって、これから戦線はどんどん拡大していくようです。離れ離れでいるよりはいいと思うのです」
合流が決まると、扇は天幕の外でたむろしている泰宗の三人の部下を見つけた。いずれも鉄道会社支給の印半纏を着た老人で、歳が六十を下回るものはいないようだった。この三人の老兵――太吉、権左、彦左はどうして自分たちが革命戦争の真っ只中にいるのかさっぱり分からず困り果てていた。彼らを革命に引っぱり込んだ軍曹は弾が数発しか差さってない弾薬ベルトを支給したが、肝心の武器はくれなかった。野戦病院へ運ばれる負傷兵から回転式の拳銃を一丁失敬したが、弾丸が大きすぎて、輪胴に入らず、あきらめて捨ててしまった。彼らは白髪頭を三つ寄せ合わせて、不平をもらしていた。
「政府軍もひどいが、武器もないのに戦えとは革命軍も無体なことをいうわい」
「一番いい銃をもらっても、わしは戦はしとうないわい」
「鉄道会社が持ってる農園は中立地帯だと聞いたがのう」
「戦争が終わるまで、そこで働いて隠れていよう。わしらがいなくても、大佐は気にせんさ」
「なあ、お若いの」老人の一人が近くを通りがかった扇に話しかけた。「お前さん方、若いもんには、なに革命も面白かろうが、わしらのような年寄りにはしんどくていかん。昔は革命のことを世直しと呼んでいて、そのうち維新と呼ぶようになったが、あのときだって、そりゃあしんどい思いをしたものさ。名前がどうあろうと戦があることには変わりはないでな。あんときゃ、池田の殿さまが侍や足軽だけでは数が足りないと言って、わしら百姓まで戦に連れて行こうとしたが、どっこいわしはまんまとずらかってやったのだ。殿さまは年貢をまけてくれると約束したが、それを信じて戦に行った百姓たちは大砲でぶっ飛ばされたり、頭をちょん切られたりとえらい目にあい、おまけに年貢をまける約束もやぶられて散々な目にあったのだ。戦は侍のやることで、わしらみたいな百姓のやることじゃねえ。侍同士、くたばるまでやればいいんじゃ」
「大統領が死ねば、少しは生活がよくなるんじゃないのか?」
扇の質問に三人の老人は結った髷からほつれ出た白髪を力なく揺らしながら首をふった。
「新しいお上だって、年貢なしにはやってはいけん。当世は年貢を税金とか地租とか呼ぶらしいが、どっちにしろ払うものは払わされるわけじゃ。百姓が苦労することに変わりはねえだ」
「若いもんはいいさ。気にいらなきゃ、身一つで逃げられる。わしらみたいな年寄りはそうはいかん。年貢を嫌がって逃げれば、一日もしないうちに捕まって、仕置き用の棍棒でいやというほどこっぴどく殴られる。ばあさんや息子どもも殴られる。わしらがもぞもぞしているあいだに産業資本家とかいう極道どもが罐を焚くために木を切って、そこいらじゅう砂だらけにして、その上、鉄砲薬の元になる石を掘るために狩りだされて、その上、税金を払えと来る。だが、わしらは一度だって石堀のお給金をもらえたことはないし、休むこともできない。それであのときも、もう勘弁ならねえって言ったやつらがいて、世直し一揆があって、池田の殿さまが国を追い出されて、議会とかいうのが国を仕切ったが、こいつらがまたしょうもない極道ぞろいで、普通選挙とかいうとんでもねえもんを考え出した。若いの、普通選挙って知ってるか?」
「民衆全員が参加する入れ札みたいなものだろ?」
「違う違う。いいか、教えてやる。普通選挙ってのはな、まず、こっちがぐーすか寝てるところへ兵隊がいきなり戸を蹴破って、ババアからガキまで筆を握れるやつを片っぱしから投票所とかいう場所へ連れて行く。それが昔の仕置き場みたいな場所で、そこには代議士とかいう餓鬼がいる。そいつらが投票用紙とかいうもんを配って、わしらは銃剣でつつかれながら、その腐った泥みてえな代議士がもういいと言うまで、何枚も何枚も代議士の名前を投票用紙に書かされる。字が書けないやつも書かされる。その場で覚えなきゃいけないのだが、間違えでもしたら、大変だ。鉄砲の台尻で、顔の形が変わるくらいぶん殴られる。これが、普通選挙よ」
「今の大統領もそうやって、今の地位にいるんじゃよ」
「おっかないことに革命軍の総大将の高杉晋作は、この国に本物の普通選挙を根づかせると言っている。これまでの普通選挙よりももっと大変な普通選挙をやるってことだ。今度の普通選挙はきっと死人が出るわい」
そのとき、突然、賛美歌が流れ出した。扇のいる水辺の反対側に聖母マリアの旗をかかげる青ずくめのズアーブ兵たちがいて、彼らが歌っているのだ。旗のなかの聖母マリアは日本風に被衣をかぶっていた。キリシタン・ズアーブ大隊の名で知られる精鋭たちは革命軍で唯一揃いの軍服を着ていた。金糸入りの青いケピ帽、だぶだぶの青ズボン、白いゲートルのこの大隊は志願兵から成っていて、革命軍の銃器のなかでは優秀な部類に入るベルダン銃を装備していた。
「あいつらは何のために戦っておるのかなあ?」老人の一人が言った。
「そりゃあ、死ねばパライソに行けると言われて戦ってるんだろうて」
「一向一揆みたいなもんか」
「そんなもんだろう」
扇と時乃は自分の天幕に戻った。扇は腿の銃嚢からネイヴィ・コルトを抜くと、弾を抜いて、機械油の小瓶をとり、ぼろきれを浸して、手入れ用の鉄の棒に引っかけて、銃身のなかへ丹念に油をひいた。天原にいるあいだに久助と泰宗に銃の手入れの方法をみっちり仕込まれた。自分でも意外だと思うのだが扇は一度やっただけで、銃の手入れが好きになった。掃除にしろ手入れにしろ没頭することに適性があるらしいと自分でも感じ始めていた。戦争は扇にとって、一つの大きな謎だった。戦争を好むもの、忌むもの、義務と心得るもの、それ以外に生きがいを見出せないもの、未来を見るもの、過去を引きずるものといった具合に戦争は人間の本性とまではいかなくとも、傾向のようなものを剥き出しにした。戦争にぶつかった結果、扇がむき出しにしたのは観察者としての自分だった。今日一日、前線とその後方をうろついて、一度も自分が戦っていると感じたことはなかったし、事実、戦っていなかった。扇は〈鉛〉を止めて以来、これまで何かの困難があれば、それを自分の力で解決しようと積極的な態度をとってきたつもりだった。だが、戦争にはそうしたやり方が通用しない。そこには大勢の人間がいて、大勢の思惑があって、結局人はその思惑の海に囚われて、身動きが取れないまま、自分を戦火に晒していく。
それについては泰宗も時乃もあの三人の老人も同じ立場だ。個人の努力は通じない。一刀流の免許皆伝をもっていようと、素手で音一つさせずに人を殺す技術を体得していようと、この戦争では何の役にも立たない。例えば、こうして森のなかの天幕で銃の手入れをしているあいだにも十里の射程のある重砲の弾が込められて、発射を待っているかもしれない。そして、その砲弾が描く軌跡の終点に扇がいるとすれば、扇は自分では何もできないまま死んでいくことになる。銃の手入れをするときは火気に気をつけるとか、熟睡を防ぐために柱にもたれて寝るといった生きるための工夫など嘲笑うかのごとく死が訪れる世界というのは初めて体験する世界だった。
勇むか脅えるかするべきなのに、扇はただ観察をした。今日一日見たものは何の役に立つのだろう? 戦争の根っこにあるものを理解する一助になるとは思えない――ばらばらの服とばらばらの武器、兵士たちの冗談と不満、何かの悪い冗談としか思えない野戦病院。
全ての部品に油を塗布して、銃を組み立てると弾が入っていない状態で何度か撃鉄を起こしては引いてみた。ネイヴィ・コルトはカチッ、カチッと音を鳴らして、なめらかに動いた。
銃を観察してみる。
ランプの黄色い光でも分かるくらい金属が青みがかっている。鋼鉄製の八角形銃身はひょろりと長く、その銃身に半ばから添えられるような形でバネ付きの手動排莢装置がついている。銃の右側に薬室を閉じたり開けたりできる火蓋のように金具がついている。弾丸はここから入れるし、空になった薬莢はここからはじき出す。銃身と輪胴は青い。指で撫でるとかすかに抵抗を感じる。その表面には海を行く三本帆柱の外輪汽船が彫られているからだ。帆と帆のあいだに張り渡した紐にかかった洗濯物や船の外側に張られた索具によりかかって空中から望遠鏡で海を覗く航海士、手すりのない見張りの高台でマスケット銃を手に帆柱によりかかる水夫。まったく同じ船が輪胴のぐるりに二隻描かれていた。用心金は真鍮の金色で握りは使い込まれた胡桃材ですべすべとしていた。騎兵が分厚い手袋をしたまま使うことを前提にした銃なので、用心金や引き金、それに撃鉄が大きすぎている気がした。だが、手にとって部品一つ一つに注目すると大きすぎるのだが、机において全体を俯瞰してみると、不思議と釣り合いがとれている。元々は金属薬莢ではなく、雷管を使う古い銃だったのを会社が無理に改造して、この形となった。改造とは言っても、久助と火薬中毒者に比べればマシだ。数ある拳銃のなかでこれを選んだのは、そもそもあの二人がこの銃にまったく手をつけていなかったからだった。
撃鉄を半分上げて、手で輪胴を回転させると、六十度回転するごとにカチッと音がなった。まるで時計のように正確だ。実際これをつくるには時計工場並みの設備と工作機械を使える熟練した職工が必要なのだろう。もっと別の機会に考えてみれば、時計と銃のあいだにいろいろな共通点を見出せるはずだ。だが、今は薬室を塞いでいる金具を起こして、弾を一発ずつ輪胴に入れていく。真鍮の薬莢にむき出しの鉛がはめてある。鉛の先端は椎の実型になっている。撃鉄を上げて、引き金を絞ると、撃針が薬莢の底にはめられた雷管を付き、火薬が爆発し、弾丸が回転しながら銃口から飛び出す――。
そこから先は観察の対象外で、想像するしかない。
ただ、想像力をもてあそぶには少し疲れていた。腿に縛りつけた銃嚢を外して、銃を差し込んで寝床のそばに置いた。棒手裏剣を差した装具を外し、長手甲を脱ぎ、髪を結んでいた紐を解き、鞍を枕にして仰向けに寝て、円錐形のてっぺんをじっと眺めていた。そばで歩き回る兵隊の影が焚火によって大きな怪物のような姿で天幕に映っていた。
扇はそれをぼんやりと眺めながら、眠りが訪れるのをじっと待った。
そのとき、天幕に細い華奢な影がかかった――。