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廓雲と扇の剣士  作者: 実茂 譲
第七話 荒野の扇とネイヴィ・コルト
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七の二十一

 高杉晋作の命令で扇と時乃はまた鉄道敷設現場へと舞い戻っていった。総大将自らが先陣を切って左翼の畑を占領したことを老将軍に報告したが、老将軍は驚く様子もなく、ただ、わかった、とだけ告げた。同時に右翼からの伝令がやってきて、陸上甲鉄艦が敵の防衛線と突破したと報告した。敵は潰走していて、中央に農園の屋敷や工場、そして今、革命軍が喉から手が出るほど欲しい鉄道駅は三方から攻められて、陥落寸前だった。

 陽は西へ沈みつつあり、夜の帳も下りようとしていたが、砲声は衰えるどころかますます激しくなり、線路の修復も夜を徹して行う構えだった。途切れた線路まで残すところ、一里半であり、線路がつながったら最後、鳥取へ一直線だった。

 疲れた体を休めようとした扇と時乃は近くの森へと入っていった。

 砂漠の植生は極端でまったく草が生えないか、物凄い巨木が育つかのどちらかしかないようだった。その高さが軽く七丈、八丈を超える。一番低い位置の枝ですら四丈ほどの高さから生えていたので、登ることはできない。森は夕暮れの最後の光すら入らないように緑の天蓋で空を閉じていた。

 森のあちこちで焚かれた火から蒼ざめた煙が上がっていた。樹木が柱のようになっていて、暗い森は古代の神殿のようだった。森には薄ぼんやりとした灰色の天幕が二十から三十単位で一塊になって、あちこちに集落を作っていた。

 袴の股立ちを高くとった兵士たちは焚きつけにする枝を背負って樹のあいだにできた浅瀬を裸足で歩き、士官たちは苔の生えた倒木に腰かけて、小さな鏡の破片を覗いて、鬚の形を直していた。天幕の支え木にベルトで結んだサーベルやガラス洋灯をひっかけて、うんすんカルタをやっている騎兵たちがいた。和服と洋服が入り乱れためちゃくちゃな服装の男たちは円座を組んで、退屈そうにカルタを引いては、小銭を投げて賭け金を釣り上げていた。ある中佐は物憂げに樹間の水辺を馬で行きながら、彼が書き溜めている戦記小説のための材料を探していた。炊事部隊では白米が炊かれ、その白く甘い煙がぶらぶらと歩いていた兵隊や士官を引き寄せた。豚脂を塗った大きな鉄板の上に細切れにされた塩漬けの豚肉がばら撒かれ、じゅうじゅうと音を立てていた。他にも漬物やお湯で戻した乾燥野菜が桶にどんどん盛られていき、中隊ごとに配られた。

 森は浅いが細長くて大きな池で二つに分かれていた。向こう岸にも蒼白い煙を上げる焚火がちらちらと燃え、天幕の並びからは三味線の音にあわせて誰かが謡っているのが聞こえてきた。この森には現在、二個旅団が駐留していた。老将軍の師団が増強されて、三個旅団から六個旅団となった。だが、蒸気装甲兵器はあまり増えず、代わりに襟に星をつけた将軍や大佐がかなり増えた。新しくやってきた将軍や大佐たちはそれぞれ旅団と連隊を率いていたが、その兵力は通常の旅団や連隊の四分の一以下だった。

「兵の欠けた旅団よりも、満員の大隊が欲しい」

 とは、あの老将軍の言葉であった。

 ズアーブ兵風に着飾った女従軍商人は蒸気トラクターで引っぱった移動店舗を開店して、竜舌蘭焼酎を売り出した。時乃はそれを羨ましそうに眺めていた。売っている商品ではなく、水辺で商売をするという行為そのものを羨んでいたのだ。

 扇は、あの従軍商人のところで泊めさせてもらってはどうか? と時乃に勧めていた。というのも、兵士たちは沐浴と称して、素っ裸になり、浅瀬で転がりまわっていたのだ。泰宗(今、どこで何をしているのか知らないが)の言うところのジェントルマンシップを扇なりに実践したつもりだった。

「別に平気よ」

 時乃はそっけなく答えた。浅瀬の横を馬で通り過ぎるとき、男の一人が自分の一物を見せびらかして、

「見てくれよ、このおれの百ポンド砲! すげえだろ!」

 と、わめいた。

 時乃は袖口に隠した二連発の小型銃を取り出して、その男の自称百ポンド砲を撃ち抜く真似をした。

 やりこめられた男を見て、他の男たちはゲラゲラ笑った。時乃は小型銃の銃口に硝煙を吹き飛ばすように、ふっ、と息を吹きかけた。

「やっぱり泰宗は間違ってる」それを見ていた扇がこぼす。「女は強い」

「何か言った?」

「なんでもない」

 扇と時乃もそれぞれ自分用の円錐型天幕を張った。馬のための秣を手押し車で運び、たっぷり食わせてやると、扇は泰宗がいないか探しに行くことにした。

 天幕を出てすぐのところに砲兵隊付きの鍛冶屋があり、刀砥ぎが茣蓙と灯明皿で自分の店を作っていた。サーベルや業物だけでなく、高級士官の星章も砥げるということで、あちこちの将軍や大佐たちがこの砥ぎ師に星の形をした金属片を渡しに来た。

 陽が完全に西の砂漠に飲み込まれても、この不思議な森は空気を赤く光る砂に満たされたようにぼんやりと明るかった。兵士たちの焚火の光が空を塞いだ幾万もの葉に跳ね返っていたのだ。森を割る水辺のそばで葦や蒲が山からの風になぶられ、揺れていた。天幕の集落を見つけると、恐ろしく強い弾を撃つ長髪の優男についてたずねるが、兵隊たちは知らないと認めるのが嫌ででたらめを扇に教えた。

「志願兵騎兵が掘ったねぐらにいたぜ」

「森の外の重砲隊の塹壕にいるって話だ」

「新しく来た旅団長の護衛兵になった」

「そいつなら野戦病院だ。両足を大砲に持ってかれたってよ」

「そいつなら知ってるぜ」だみ声の兵隊が白茶けた袖で酒をなめた口を拭いながら答えた。「大佐に昇進して、騎兵隊を率いてる」

 一番怪しいでたらめが真実であることを知るのに、さほど時間はかからなかった。というのも、探し疲れて、自分の天幕に戻ると、頼村大佐――つまり泰宗の使いと称する騎馬の老兵が待っていたのだ。

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