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廓雲と扇の剣士  作者: 実茂 譲
第七話 荒野の扇とネイヴィ・コルト
117/611

七の十八

 前線があるはずの、はるか東の地平線は空気がゆらめいていて、固まりかけた寒天のようにどろっとしているようだった。そこではどちらが撃ったか分からない榴散弾が空中で赤く爆発して、細かい弾子が白い煙を引きながら四方八方に飛び散っていた。火砲の咆哮は相変わらず続いていて、風上からは発砲音に加えて、両軍の怒鳴りあう声が流れてくるようだった。

 街道へ合流すると、わあっと鬨の声を上げながら南無八幡台菩薩と書かれた白い旗を先頭に騎兵の一団が左手の涸れ川に沿って早駆けしていった。彼らの目指す前線では、敵が二本足で歩く蒸気装甲兵器を投入していて、味方の砲兵隊が支援を必要としていたのだ。駆けて行く騎兵隊七十は〈別働第三志願騎兵中隊〉と名乗っていた。別働第三志願騎兵中隊は戦場から引き上げてくる怪我人など歯牙にもかけずに前進する。仏頂面の彼らの心を満たすことができるのは崩れた敵に抜刀突撃をしかけ、逃げる敵の背中を馬蹄にかけた後におとずれるであろう爽快感だけだった。

 この騎兵隊の成員はイナバと周辺諸国からかき集めた武家と士族の志願兵で、他の多くの部隊と同じで正規の軍服がなかった。装備は雑多で、洗いざらしの絣をたすき掛けにして小倉縞の袴を穿いて弾薬ベルトを肩からかけているものもいれば、洋服の上から肩がすり切れた長羽織に袖を通して三尺の大刀を背負う若侍がいた。ポケットの多い白の狩猟用ジャケットに釜をひっくり返したような滑稽な山高帽をかぶった男は革砥のようなベルトを肩から下げて、刀を吊るしていた。筒袖股引に地下足袋、イガグリ頭に白いものが混じり始めている男は刀の他に時代遅れだがまだ使える管打ち式回転拳銃を三丁ほど帯に差していた。隊員の半分以上が髷を結っていて、胴丸や具足を身につけているものもいた。

 隊の指揮官主従に至ってはまるで義経と弁慶だった。指揮官は二十を越えて数分も経っていないような凛々しい若武者で赤糸威の大鎧を纏い、革命軍大尉の一つ星章を鎧の袖につけ、弓を携え箙に矢を差し、腰に弦巻と太刀を吊るして、引立烏帽子から長い髪をたなびかせがら、隊の先頭を走っていた。そのすぐ横には雲水服の下に胴丸と鎖帷子をつけた僧形の大男がいて、刃渡り三尺の大薙刀を肩に担っていた。不思議なのはこの時代錯誤の指揮官と副官の銃嚢にドイツ製の最新式連射ピストルが刺さっていることだった。銃器に詳しい時乃の知る限り、この十発入りの挿弾子で簡単に再装填できるカウフマン拳銃は日本には数丁しか輸入されていないはずだった。

 ドイツ本国でもまだ近衛連隊の士官にしか支給されていない代物がどうして義経と弁慶の鞍の銃嚢に突っ込んであるのか、それは戦場がもたらす謎の一つだった。

 人はなぜ戦うのか、なぜこんなふうに殺しあわねばいけないのか、といった謎に匹敵するほどの謎であった。

 騎兵たちは左へ左へ、つまり北東の方向を目指していき、そのうち地平線のゆらめく砂靄のなかに入って見えなくなった。

 扇と時乃が進んでいた街道沿いに数軒の民家が並んでいた。逃げずに残っている夫婦が冷たい茶を一杯小判一枚という法外な値段で売っていた。小判一枚といえば朱菊太夫の揚代だ。その隣の空き家では武器管理担当軍曹が舶来の葉巻を吹かしながら、導火線を差した三合徳利に漏斗で爆薬を流し込み、即席の手投げ爆弾を作っていた。軍曹は通りかかる部隊であれば、誰であれ、この徳利爆弾を持たせた。

「ギリギリまで肉薄してから、こいつで敵の装甲兵器を吹っ飛ばすんだ」

 爆弾を扇に渡しながら、ギラギラした目で軍曹が力説した。

「戦車には必ず観測口があるから、そこからこいつをぽいっと放ってやれば。なかの連中は骨の欠片一つ残さず、消し飛ぶ」

 こうした人々に出くわすたびに、扇はなぜ火薬はこんなふうに人間の目に狂気を授けてしまうのだろうかと首を傾げるのだった。

 茶を売る夫婦の店はもともとはただの茶屋だったが、今では夫婦の才覚で戦場から手に入れた様々なものを販売する総合百貨店になっていた。街道に据えつけた見世棚にはコルクの帽子、ちびた鉛筆、錫箔の丸い水筒、弦が切れた三味線、青短が一枚足りない花札、親衛隊の士官用軍刀、裁縫道具、漆仕上げの矢立、竜舌蘭焼酎が半分入ったガラス瓶、包み紙にべったりくっついたキャンディなどが並んでいた。

 通りかかった侍風の兵士が売り場に立てかけてあったヘンリー・ライフルを見て、これは三日前に死んだ弟の持ち物だと言い、正当な遺産として自分にはこれを所持する権利があると言った。売店の女房はなるほど女ではあったが背は相手の男に負けないくらい高く鼻っ柱も強かった。彼女はこれは五日前、親衛隊が線路をひっぺがしたところに倒れていた死体のそばで見つけたものだから、あんたの弟の銃じゃないと言い返した。男はカンカンになって夫妻を嘘つき呼ばわりし、独裁者を倒し、お前らの暮らしを良くするために姫路からはるばるやってきたのに、お前らは弟の持ち物を盗んだとわめいて、刀の鯉口を切り出したので、小柄な夫のほうが慌てて仲裁に入り、どうぞどうぞ、持っていってください、と腰を低く対応した。男は黙ってヘンリー・ライフルを鷲づかみにすると、ペッと唾を吐いて、前線へ歩いていく歩兵の列に戻った。

 夫は今度は塩をまこうと塩壷をかかえる女房をなだめていた。

「なあに、塩の無駄だよ。やめるんだ。あんな銃くらい、また拾ってくればいい。どうせあれは撃鉄にヤスリをかけないと動かない代物なんだから」

 そのヤスリは一本二十両で売られていた。

「ああ、なんてことだろう!」

 女房のほうはおさまらないらしく、将軍付き伝令の目印をつけた扇と時乃を見るなり、二人の前に駆け寄ってさめざめと泣きながら訴えた。

「将軍さまに伝えてくださいな。あの極道どもの略奪ぶりを! これが初めてじゃないんですよ! 一刻前にはヤットコを盗られました。そのときも銃で脅しつけられたのです。ああ、真っ当に暮らしている正直者はいつも馬鹿を見るんです!」

 女房は着物の懐から紙を取り出したが、それによると革命軍の大佐による命令書でこの街道の家々での略奪を禁止するというものだった。扇が首を傾げて女房にたずねた。

「でも、あんたはあのライフルを死人から取ったんだろ?」

「そうですとも。死んだ人が何でライフルを必要とするんです?」

「死んだ味方から物を取って売っていると思われたら、兵隊たちはいい気にはならないだろうな」

 自分でも恐ろしく常識的なことを言っているな、と思いつつ話していたが、女房のほうは退く構えを見せずに反論した。

「だって、あたしが拾わなかったら敵が拾ってしまうじゃありませんか! あたしは死体から銃を拾うことで、この革命に貢献しているんですからね!」

「そうは言われてもな……」

 扇が困惑していると、ぼろ服に風呂敷を背負った歩兵五十名を引率していた騎馬の少佐が女房のほうへと近づいた。

「残念だけどね、おばさん。この命令書は無効だよ。この大佐はついいまさっきくたばっちまったからね!」

 女房はギャアと体を二つに引きちぎられたように叫び声を上げると、じゃあ、今度はあなたが保護命令書を書いてくださいと少佐に迫った。少佐は自分にはその権限がないと言って断ったが、背の高い女房は手綱をつかみ、少佐を引きずり下ろさんばかりにすがりついて再三頼んだ。その後ろでは少佐の兵隊たちが、小柄な夫を銃で脅して手を上げさせ、気に入ったものは手当たり次第――売り物も、そうではないものも――自分の風呂敷に詰め込んでいた……。

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