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廓雲と扇の剣士  作者: 実茂 譲
第七話 荒野の扇とネイヴィ・コルト
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七の十七

 扇と時乃はそれぞれ青鹿毛と月毛の馬を用意され、さらに騎兵に優先して配られているスペンサー騎銃と弾丸七十発を差した弾薬ベルトを二本受け取った。

 二人の任務は前線を見てまわり、必要なら敵陣まで偵察し、老将軍に情報を提供することだった。

 時刻は午前九時をまわっていて、太陽は砂煙に遮られながら、戦場の上にかかっていて、ついばめる死体はないものかとカラスが空を飛んでいた。最前線からは豆を炒るような銃声と鉄板を金槌でぶん殴ったような砲声が絶えることなく響いてきていて、もう戦いは小競り合いから全面戦争へとその性格を変えつつあるようだった。

 扇と時乃は線路修復箇所から前進した二百間進んだころにはライフルを引きずって引き返してくる負傷兵たちに出会った。頭に包帯を巻いてふらふらと歩いている百姓兵、担架に乗せられて戻っていく士官、二人の戦友の肩を借りて何とか片足で歩く騎兵――みな、一様に垢と汗と固まった血にまみれていて、その目は『おれたちの戦争はもう終わったんだ』と遠くにいる誰かに告げようとしているようだった。

 水を補給しようと筧がある岩場の陰に行くと、天幕とつっかえ棒で作った臨時の野戦病院があり、この暑いのに紋付袴にホンブルク帽をかぶった医者が鬚をひねりながら、負傷者の傷を観察し、おもむろに道具を手にすると、銃弾を食らってめちゃくちゃに砕けるか裂けるかした四肢を切り落としていた。患者に麻酔代わりに焼酎を飲ませると、慣れた手つきでキノコのように崩れた形の弾丸を穿り出して、傷を縫った。その後ろでは洗いざらしの木綿に股引の助手がいて、軍医の外科手術に顔を真っ青にして今にも倒れそうになっていた。

 扇と時乃は水を錫製の丸い水筒と予備の竹筒に入れ、飲めるだけ水を飲み、冷たい水に濡らした布巾で額や首筋を拭い、馬にもたっぷり飲ませた。

 二人が出発しようとするころに紋付袴の軍医がやってきて、いいものを見せてあげようといい、即席野戦病院の手術室へ来いと顎でしゃくった。

 手術室は四方を馬車の幌につかう生地で囲った部屋でちょうど前線から担架兵が一人の兵士を運んできたところだった。担架兵は運ぶだけ運ぶと、新たな負傷兵を持ち帰るべくさっさと野戦病院を後にした。シャツに袴姿のその負傷者はここに来るまでに、銃や弾薬カバンを残らず味方に盗られていた。だが、負傷の深刻さを考えると、もう彼には銃も弾薬カバンも必要ないように思えた。頭に砲弾の破片がかなり深々と突き刺さっていたのだ。

「ほうほう、こいつは……」

 破片は長さ三寸ほどの薄いのこぎりのようでそれが右耳の上二寸ほどの位置にざっくり半分ほど突き刺さっていた。おどろいたことに負傷兵は意識がはっきりしていた。

「なあ、先生。おれの頭、どうなってる?」

「砲弾の破片が脳みそまで突き刺さってるよ」

 それをきいただけで負傷兵は気絶した。

「おや、焼酎が一杯浮いたぞ」

 軍医は壜から竜舌蘭りゅうぜつらんの焼酎をたっぷり一口飲むと、既に血を吸ってぐっしょりしている布巾で頭の傷をぬぐって、破片が刺さっている箇所を見やすくした。すると、メスで頭皮を切って切れ目を入れて、べろりと皮をめくった。途端に真っ赤な血が流れ出したが、軍医は別に驚く様子もなく布巾を押し当てると、扇たちに、

「衝撃で肉をだいぶ削がれているな。ほれ、これが頭蓋骨だ」

 そう言って、切り開かれた肉の谷底にある薄汚れた灰色の破片を見せた。軍医は砲弾の破片をピンセットでつまむと、切断した手足が山盛りになった洗面器に放り捨てて、頭蓋骨の破片をひょいとつまんで、元の位置に戻した。

「こういう傷は四斤山砲やド・ヴァンシュ砲じゃあつくれない。パロット砲に違いないよ。あれは弾の殻がほっそりとしていて炸薬全体を覆っているから、こういう細長い金属片をばら撒ける。槍の穂先が弾丸と同じ速度で飛んでくるようなものだ。まったくたかが人殺しに大した工夫を凝らしてくれるじゃないか!」

 軍医は嬉しそうにしゃべりながら、時間が経つと体に吸収される繊維でつくった人工皮革をむき出しの頭蓋にぺたりとくっつけ、先端を火であぶって熱くした棒で皮の縁をジュッ、ジュッと焼いていき、人工皮革を焼きつけた。

 その棒は絶対に手術の光景は見るまいと意を固くしている助手が顔をそむけたまま、先端をアルコールランプで炙ったものだった。

 頭蓋骨の傷をふさいでも、負傷兵の頭にはまだ拳一つ入る穴が開いていた。

「おい、綿だ」

 目をつむった助手が顔を反対側に向けて、綿のかたまりを手にした腕を軍医のほうへ伸ばした。

「この境地に達するまでに――」頭の穴にぎゅうぎゅうと綿をつめながら、軍医は言った。「だいたい二十人くらい失敗したかな。そのかわり、一度コツを飲み込んでからは少なくとも三十人は助けてる。自慢じゃないが、今のわたしは世界一の脳外科医だよ。何せ、練習台には事欠かない」

 綿の上に例の人工皮革を被せると、まるでミシンのような素早さで皮革を頭に縫いつけた。それを見ていて、思わず扇はたずねた。

「こういう傷を食らうと治った後でどうなるんだ?」

「さあ? 多少、物覚えが悪くなるかもしれん。それに傷の深さだけ頭は凹む」包帯を巻きながら軍医は肩をすくめた。「それと頻繁に包帯を変えないと、傷に蛆虫が湧く。信じられるかね? 十一月に虫が湧くだなんて!」

 軍医はそれが馬鹿馬鹿しいほど不公平であるかのように声高く主張するのだった。

「きみらは将軍付きの騎兵だそうだな。じゃあ、今見た光景を伝えてくれ。こっちじゃエーテルが足りないし、クロロホルムも足りないし、メスも鉗子も清潔な包帯も足りない。布巾にも事欠く有り様で、助手は血を見るのが怖いときてる。幸い、焼酎だけは足りているが、これだっていつまで持つか分からない――(そうこぼしながら軍医は壜の焼酎を一口飲んだ)――今のところ死亡率は五人に二人だが、このままじゃ十人に七人が死ぬようになる! そのためにはもっと薬と人が必要だ。三時間も寝ていないんだからねえ! そんなところで麻酔なしで手足を切断するとなると、患者は泣くわ、わめくわ、暴れるわで手がつけられない――」

 扇と時乃は最後のほうはほとんどきかずに岩陰の野戦病院を後にした。ただ、斥候から戻ったら、前線の医療体制が非常にまずい水準まで落ちつつあることは伝えないといけないと思った。

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